帰心

 夜更けは赤い空が見える。
 肩から腹を一気に切り裂いた合間からぼたぼたと血が流れ跳ね、唸りの混じる呼気は全身の毛並みのように不揃いで、剥がれた鎧や皮膚も置き去りに岩場を登り続けることしばし。登れど登れど夜更けの空が赤みを増してゆくばかり、獣の脚では登らせまいかと低く笑ってまた一歩、空の赤みが増してゆく。
 祖国の夜空は一見黒にも映るが深い青紫、すべての魔物を祝福し、ひとつ息をすれば手厚い庇護を感じる程の居心地に、国を出るものは限られていると聞く。
 他国を知り、戻るまでの旅。二足歩行の獣など、己の姿形は他者を脅かすだろうにと、鎧を纏えどこのざまだった。言葉が通じようと、その眼に映るは唾棄、刃を振りかざし大勢となり追い立てる。笑うとごぼりと血の塊を吐いた。
 


 仕方がないのだと言い聞かせている己の声に気がついた。その声に、何故だと問うてしまった。
 ずるずると身体を引き摺り歩いた。岩を抉り、登る先にはやはり赤い空がある。その先に、このような傷をもたらした人間がいたなら。ありふれたものではないだろうか。

 岩場の頂上に手をかけ、身体を引き摺り上げ見渡せば、地平の果てに明かりが見える。
 牙が震え、脚は岩を蹴った。
 
 けれど、ふわりと抱き留められた。
 じわじわと血が這い上る。纏う衣装に、その白い肌にまとわりつくようにして。
 細い腕が胴を抱き止めている。傷口に頬を寄せ、ただただ、そうしたまま。
 呆然と立ち尽くしていると、その人物は眠りへ誘う声音で告げる。「おかえり」と。玉音が胸を撫でる。焦がれた祖国の匂いがする。

 ごぼりと血泡を吹いたきり、何の言葉も発せなかった。
 愛しい愛しい国王陛下。我が国の誇りである御身にこのような無礼を、このような。

「いい。おまえの声が聞こえた。おまえはハルドランの民。我が国の誇りだ」

 
 

 

 気付けば森の中に横たわっていた。
 祖国の香りがする。
 眼を開けば、同胞達がわんわん吠え立てて、見た目も獣なのだから笑えた。お前たちの顔を見ることなどもうないと思っていた。
 そこで気が付いた。視界の赤が消えている。
 傷口を見れば、しっかり痕が残るものの完全に塞がって血の一滴も見当たらないのだ。
 
「なんて愛しくて残酷な御方」


 空を見上げれば、木々の葉の合間から覗く深い青紫に、一点の星が映った。


 
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