ハルドラン

 彼女は麗しく、誰もが羨むような力を持ち、そして、高慢であった。高慢故に、ただ一人の側近と共に華美な装飾を施され、広間に張った水鏡の中へ沈んでゆくのだと聞いた。
 沈んでゆく麗しい彼女が目を開けたなら、どのような色をしていたのだろう。どのような知性を宿し、相手を見据え、この国を見ていたのかと聞けたであろう側近は、ミリツァ――人間の出であったと聞く。彼もまた美しく、なぜ二人は沈んでゆくのだろうと小さな子供、ロジェラータは思った。
 沈みゆく彼女はこの魔物の国、ハルドランの魔王であった。何代目であるだとか、どこの出身であるだとか、物好きであるだとか、様々な言葉を聞くが、見送る魔物の誰一人、歴史を綴る書物のどれもが彼女のことを知らない。彼女は、高圧的に魔物を従えはせど、側近以外を近付けずに生涯を過ごした。側近は、生涯捜し物をしていた。――異国に飛ばされたという魔王の妹。力の気配を頼りに、魔物達は彼女を捜したが、先日、その気配が途絶えた。
 魔王の姉妹は再会することもなく、共に眠りにつくこととなった。故に、現在まで腐敗せぬよう保管されてきた麗しい彼女は水鏡の中へと葬られるのだ。
 新たな魔王だけを愛するために。
 麗しい輪郭が底へと消えてもなお見つめ続ける小さな子供は、水鏡の縁に小さな両手を添えながら覗き込むふりをして俯いた。

「ぼくでないと、いけない……?」

 小さな子供が見上げながら訊けば、驚いた側近が耳の上から生えている二本の捻れた角と鋭利な相貌に似合わぬ柔らかな表情をして膝をついた。

「ロジェラータ様。貴方以外に、このハルドランを治める方がありましょうか」
「ぼくは、ずっとずっと北の方、トンドルリアの出身ですよ……? 真っ黒で、なんにもないところ……みんな、嫌な顔をするところの……」
「彼らは貴方様に恐れをなしている。あの地で生きられたことは、それだけで大変素晴らしいことなのです」

 空も海も大地も真っ黒なトンドルリアという地区は、魔物であれば踏み入ることを忌み、名を聞けばそれだけで顔を歪める程の、生物が息絶えてゆく場所。踏み入れば、その瞬間に倒れるものがある程の、生とはかけ離れた場所で。ただ一人生きていた子供。彼を見付けた時、側近は歓喜に震えた。前魔王から賜った、いかなる法もはね退けるという胸飾りは子供を抱えてその地を出るなり砕け散った。前魔王の力を凌ぐほどの地で生きていた彼を魔王にせずして、他に誰がなり得ようか。

「私がずっとお側におります。ロジェラータ様、何なりと、お申し付けください」

 言えば、とことこと控えめに歩み寄る小さな子供が両手を伸ばしてきたので、側近は目許を和ませ抱き上げた。
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