港町の青年
嵐が過ぎた夜明け前、納屋の古戸からこっそり覗くと、積み上げられた藁山に埋もれる少年が寝息を立てていた。
(あの大鉈はーー……)
石壁に2本とも立て掛けられているのを見てほっと息を吐く。少年が飛び起きて構えるまでには距離がある。腕力には自信がある方なので拘束できればよいのだがと考える間に眼が大鉈の隣に揃えて置かれたロングブーツを捉える。そういえば嵐でずぶ濡れだったな、本当ならタオルくらい――。
(いやいやいや、あの嵐で訪ねて来て武器持ちはおかしいから。治安もよろしくないから。やられる前に、やらねえと)
するりと納屋の中へ入っては藁山に近付く。手が届く距離になったところで、寝息が消えていることに気付いた。
薄闇の中ばちりと眼が合う。あの赤い楕円を期待している自分がいた。けれど暗がりでよく見えぬ眼の色は、内と外とで濃淡があるようにも見えた。大きな楕円がじっと見つめる。“こいつは自分の敵であるのか”と。
動かれる前に前のめりになって四肢を押さえた。藁山とはいえ膝で太腿を押さえたりするのはちょっと痛いかもしれない。
「んー……お前もそっちの人?」
「はい?」
「ほらあるだろ性癖拗らせた紳士淑女向け用の等身大人形やらが。間に合ってないの?」
「いやアレは趣味じゃないってえか……顔が好みじゃない……え、いやお前どんだけエグい現場見てきてんの? あんなんで勃つかよ何だっけなぁそれよか酒場で好みの奴引っ掛けた方がよくない? えーと何、俺の勘違い?」
「俺納屋貸してって言ったじゃん。寝たら出て行くからもう少し寝かせて。それともなに、本当に悪趣味なの?」
「あ゛ーもう!! 起こして悪かったよ! ここいらは物騒だから気をつけてな!」
「ふ、あははは……」
藁の上に押さえつけられたまま少年が笑う。朗らかな、何の含みもない声で。ああどうしてもう少しだけ辛抱できなかったのだろう、もう少し遅ければ、笑った顔が見れたのに。
「おまえ、生き辛いね」
憐みでもなく、侮辱でもなく、真っすぐな少年の声が聞こえる。
「どうしてここに住んでるの? 物騒なんだろ?」
「……海が好きなんだ」
「もっと安全な、海の見える場所もあるのに?」
「仕事があるから」
自分の声から覇気が失せていく。少年を拘束する手がぎり、と彼の手首を締め上げて、痛がりもしない表情に加虐心が煽られる。
「見てたよ」
その一言で妹の顔を思い起こした。同じ黒髪の、同じ黒い眼の色の、自分を慕い必要としている唯一人を。
「この辺の船、臓器売買で使われてるって聞いたから、死体のふりして乗ってたんだけど」
積み荷の木箱が積み重なる一室で女と口論になった。
子供を産んで売り払うのが嫌になったと言う。もう悪事はやめて腕に抱いた子と暮らすのだと言う。どの口が言う、今まで家畜のようにしてきただろう。
俺ならひっそりと逃がしてくれると期待しての相談だった。この女は俺の仕事が荷物の監視と荷運び程度だと踏んだ時点で頼る相手を間違えている。断られ、呆然とした後に勝手な言葉を並べてなじるその様を腕に抱く子供が聞いている。
その子供と眼が合っていた。小さな黒真珠のような眼。目隠しをして睡眠薬を飲ませよく眠る間に腹を切り開く工程が頭の中を流れていく。今までのすべてを見られているような気がした。おまえ、それでもその女にしがみつくのか。
積み荷の酒瓶で女の頭を割った。子供を抱き上げて髪から破片を除けてやる。
綺麗に育つんじゃないか。うん、泣きもしない。
子供がシャツにしがみつく。
よほど喧しかったのか船員が覗きに来ては「あー……」と言葉を濁して頭を掻く。これは解体す、こいつはもらう。で話が通じる辺りどうかしている。
背中に紐で括り付けて死体の部位分けをしていても声一つ上げなかった。うん、とてもいい子だ。
「…………お前いつから行き来してんだ」
「さあね。あれ、やめたの」
少年の上から退けると本当に不思議だという声が聞こえる。どちらかといえば、あのまま少しでも『嫌だ』と滲ませてくれていれば。
「寝てろ。朝飯くらいは出してやる」
「それまでいたらね。じゃ、おやすみ」
少年が本当に藁をかぶり直して寝た。はあ、と溜息が出る。が、面白い。
可愛い妹の眠る部屋へ戻るとナイフを取り出して芋の皮を剥く。久しぶりに面白いものを見た。またあの赤く光る眼が見たい。
どうしてやれば見れるだろう。
そればかり考えながら作った煮込み料理は良い出来だった。
(あの大鉈はーー……)
石壁に2本とも立て掛けられているのを見てほっと息を吐く。少年が飛び起きて構えるまでには距離がある。腕力には自信がある方なので拘束できればよいのだがと考える間に眼が大鉈の隣に揃えて置かれたロングブーツを捉える。そういえば嵐でずぶ濡れだったな、本当ならタオルくらい――。
(いやいやいや、あの嵐で訪ねて来て武器持ちはおかしいから。治安もよろしくないから。やられる前に、やらねえと)
するりと納屋の中へ入っては藁山に近付く。手が届く距離になったところで、寝息が消えていることに気付いた。
薄闇の中ばちりと眼が合う。あの赤い楕円を期待している自分がいた。けれど暗がりでよく見えぬ眼の色は、内と外とで濃淡があるようにも見えた。大きな楕円がじっと見つめる。“こいつは自分の敵であるのか”と。
動かれる前に前のめりになって四肢を押さえた。藁山とはいえ膝で太腿を押さえたりするのはちょっと痛いかもしれない。
「んー……お前もそっちの人?」
「はい?」
「ほらあるだろ性癖拗らせた紳士淑女向け用の等身大人形やらが。間に合ってないの?」
「いやアレは趣味じゃないってえか……顔が好みじゃない……え、いやお前どんだけエグい現場見てきてんの? あんなんで勃つかよ何だっけなぁそれよか酒場で好みの奴引っ掛けた方がよくない? えーと何、俺の勘違い?」
「俺納屋貸してって言ったじゃん。寝たら出て行くからもう少し寝かせて。それともなに、本当に悪趣味なの?」
「あ゛ーもう!! 起こして悪かったよ! ここいらは物騒だから気をつけてな!」
「ふ、あははは……」
藁の上に押さえつけられたまま少年が笑う。朗らかな、何の含みもない声で。ああどうしてもう少しだけ辛抱できなかったのだろう、もう少し遅ければ、笑った顔が見れたのに。
「おまえ、生き辛いね」
憐みでもなく、侮辱でもなく、真っすぐな少年の声が聞こえる。
「どうしてここに住んでるの? 物騒なんだろ?」
「……海が好きなんだ」
「もっと安全な、海の見える場所もあるのに?」
「仕事があるから」
自分の声から覇気が失せていく。少年を拘束する手がぎり、と彼の手首を締め上げて、痛がりもしない表情に加虐心が煽られる。
「見てたよ」
その一言で妹の顔を思い起こした。同じ黒髪の、同じ黒い眼の色の、自分を慕い必要としている唯一人を。
「この辺の船、臓器売買で使われてるって聞いたから、死体のふりして乗ってたんだけど」
積み荷の木箱が積み重なる一室で女と口論になった。
子供を産んで売り払うのが嫌になったと言う。もう悪事はやめて腕に抱いた子と暮らすのだと言う。どの口が言う、今まで家畜のようにしてきただろう。
俺ならひっそりと逃がしてくれると期待しての相談だった。この女は俺の仕事が荷物の監視と荷運び程度だと踏んだ時点で頼る相手を間違えている。断られ、呆然とした後に勝手な言葉を並べてなじるその様を腕に抱く子供が聞いている。
その子供と眼が合っていた。小さな黒真珠のような眼。目隠しをして睡眠薬を飲ませよく眠る間に腹を切り開く工程が頭の中を流れていく。今までのすべてを見られているような気がした。おまえ、それでもその女にしがみつくのか。
積み荷の酒瓶で女の頭を割った。子供を抱き上げて髪から破片を除けてやる。
綺麗に育つんじゃないか。うん、泣きもしない。
子供がシャツにしがみつく。
よほど喧しかったのか船員が覗きに来ては「あー……」と言葉を濁して頭を掻く。これは解体す、こいつはもらう。で話が通じる辺りどうかしている。
背中に紐で括り付けて死体の部位分けをしていても声一つ上げなかった。うん、とてもいい子だ。
「…………お前いつから行き来してんだ」
「さあね。あれ、やめたの」
少年の上から退けると本当に不思議だという声が聞こえる。どちらかといえば、あのまま少しでも『嫌だ』と滲ませてくれていれば。
「寝てろ。朝飯くらいは出してやる」
「それまでいたらね。じゃ、おやすみ」
少年が本当に藁をかぶり直して寝た。はあ、と溜息が出る。が、面白い。
可愛い妹の眠る部屋へ戻るとナイフを取り出して芋の皮を剥く。久しぶりに面白いものを見た。またあの赤く光る眼が見たい。
どうしてやれば見れるだろう。
そればかり考えながら作った煮込み料理は良い出来だった。