7
死体愛好家の富豪が失踪した。
残された古城からは防腐処理を施した年齢性別を問わぬ死体が150体、全て同じ髪型とドレスを着用し、顔立ちの整った者ばかりであったという。
古城を引き取った息子が気味悪がって私有地内の墓地へと土葬したが、唯一手を着けることの阻まれたのが寝室の天井から吊るされた少女の人形である。微笑む少女の人形はドレスや身体を縛るワイヤーに血を絡ませていた。
長い金の髪、左右で違う色の瞳、薔薇色のドレス。
薬指の指す方向にある鏡台に置かれた銀の花瓶に活けるは毒花、引き出しからは小瓶に詰められた粉の数々。小瓶のひとつに丸めて詰めてあった紙切れを使用人が割って取り出し目にすると、彼女は悲鳴を上げて絨毯の上に取り落とした。紙切れに書かれた爪傷の残した赤文字は怨嗟を綴り幾人もの人名を記していたのである。
怯えて足のすくんだ使用人を横目に絨毯の上に落ちた紙切れを眺めた息子は小さく悲鳴を上げる。赤文字の終わりに失踪した父の名に続き、自分の名前が書かれていた。
肝の冷えた息子は吊るされた少女の人形を下ろすよう命じ、細い首に括り付けられた大粒のアレキサンドライトのブローチを使用人に外させると、その日の晩に高熱を出して他界した。
息子の妻は震え上がり、微笑んだままの人形をどうにか手放そうと商人を呼び、雇った者に丁重に人形を運ばせると最も高価な衣装で着飾りブローチを添え、ドーム型のガラスケースに入れてオークションへかけてしまった。
少女の人形は間近で見ても生きた人間と変わりない。背丈の高い分長さのある金髪は細くきらきらと輝いて、左右で色の違う瞳も観客の目を引いた。
何よりの価値は曰く付きである。
彼女の持ち主は失踪する、呪いの人形だと嬉々として値が跳ね上がる。過去に何人もの所有者が謎の失踪を遂げ、オークションハウスは最高額を叩き出し閉場した。
少女を落札した物好きは田舎町に居城を持つ大富豪である。
晩年を静かに暮らそうと城住まいを始めたが、観葉植物を育てては3日で枯らし、動物を飼ってはその日のうちに逃げられる男なので、生物の世話を全て使用人に任せていた彼は似た者同士と笑いながら落札したのである。
使用人達が怖がるので、彼もまた人形を寝室に置くことにした。ガラスケースは取り払い、毎日櫛で髪をとかしてやりながら語りかける老人に人形は変わらず微笑んだままだった。
「どれメリオロール、好みの衣装はあるかね。好きなものを選んでいい。何でも用意してあげるよ」
名前を付けて語りかける老人は、色とりどりのドレスを並べ、小さなテーブルに二人分の紅茶と茶菓子を用意する。人形を座らせ、自身も体を包み込む心地の椅子に腰掛けると微笑む人形に皺の刻んだ目元を更に細めて笑った。
「安心なさい、おまえが私を呪わずとも、この通りの老い耄れだ。遺書にはおまえを丁重に扱うようにと添えてある。羽休めするといい。私は娘ができたような心地なのだがね」
ティーカップにミルクを注ぎ角砂糖を入れ口へ運ぶ老人は、正面の一向に減らないティーセットと微笑む人形を愛おしそうに見つめた。
天蓋のあるベッドが2つ並ぶ寝室で、老人は毎晩人形を寝かしつけてから眠りについた。
曰く付きを忘れる程の穏やかな眠り。明日は酔いの祝日、世に出回っている動く人形が一斉停止する呪いの日。
拙い技術で無理に動かそうとするから、「偽物!」と叫んで頭を割られる人形が増えるのだ。以前いた街では祝日明けの路上は陶器の残骸で溢れていたが、この田舎町にわざわざ城に踏み入り人形の頭を割りに来る者などおるまい。
深夜、喉が渇き水を求めて目を覚ますと、寝かせたはずの人形が老人を覗き込むように立っていた。
「メリオロール、眠れないのかい」
声が震える。持ち主の謎の失踪、残され続けた少女の人形。
「お茶にするかい? 凍えているのならば暖炉に火も入れよう」
微笑んだままの少女の人形の、唇が動いた。
「いいえ、旦那様。お身体に障りますわ」
「メリオロール……なんて美しい声なのだろう。もっと、もっと声を聞かせておくれ」
「ええ、旦那様。どうか私のことは秘密になさって。私と、旦那様の秘密」
「必ず守ろう。可愛いメリオロール、どうかこの老い耄れを父と、呼んでくれないかい……?」
少女の人形は、優しく微笑んだまま老人の隣に寝そべると、輪郭を撫で髭を擽る。
「ベルガモットの香りがしますわ、お父様」
「ああ、ああ。可愛い可愛い私の娘。毎日淹れる紅茶の香りが移っていたのだろう、気に入らないのならばすぐに取り止めよう、部屋ごと壊してしまっても構わない」
「私も、ベルガモットの香りがしますわ……お父様と同じ……」
人形は自身の金の髪に口づけると、とろけるような声音で言う。老人は毎日手入れしている頭を撫でてやった。
「夢のようだ、メリオロール……。アーリーモーニング・ティーにはまだ早いがね、君とお茶がしたい。たくさんおしゃべりしよう」
「ええ。酔いの祝日が終わるまで」
以降、月に一度の酔いの祝日は心が弾んだ。
日付が変われば動かなくなる人形が愛しくて堪らず、祝日前には新作の菓子や衣装、紅茶を用意しては深夜に備えて仮眠を取る老人の様子に使用人達はひそやかに噂を立てる。
「ロード・ダルシャウカは最近機嫌がいいけれど、お部屋のお掃除だけはひやひやするわ。あの人形、亡くなったお嬢様がそこにいる感じがするんですもの」
「レイディ・ダルシャウカに触れなければどうってことないわ。私も初めは怖かったけど、ロード・ダルシャウカがご機嫌だし、羽振りもいいし嬉しいことだらけだわ。こんな田舎に来た甲斐があるってものじゃない」
「それは、そうなのだけれど。あの人形、時々見てくるようで怖いわ。動いたわけではないのだけれど」
「この人形を私の娘にすると言い出した時は気が触れたのだと思ったけれど。曰く付きの人形なのでしょう? 奇妙な怖さはつくものよ。ねぇ知ってる? あの人形、天才人形技師の作品らしいのよ」
「まぁ……火事で燃えてしまったと聞いていたけれど……。貴女、誰から聞いたの……? そんな貴重な人形なら、ロード・ダルシャウカをこれまで以上にお守りしなくてはいけないわ。噂が立ってしまわぬうちに、元を断つ必要があるのではなくて?」
「そうね、この間手紙を受け取る時にこっそり聞いたのよ。最高額の人形の作りが素晴らしかったって、そのような人形が天才以外に作れるものかってコレクターの間じゃもう有名みたい。元を断つよりは、警備に力を入れた方が良さそうだわ。今夜は酔いの祝日なのだし、明日提案してみましょう」
「そうね……警備の方々にも伝えておくわ、今夜からでもできることはあるはずよ」
背を向けて歩き出した使用人の頸に、注射器が突き立つ。一気に中身を注ぎ込んで引き抜くと、倒れたきり動かなくなった。
「あの人形、高く売れるのよね」
残された古城からは防腐処理を施した年齢性別を問わぬ死体が150体、全て同じ髪型とドレスを着用し、顔立ちの整った者ばかりであったという。
古城を引き取った息子が気味悪がって私有地内の墓地へと土葬したが、唯一手を着けることの阻まれたのが寝室の天井から吊るされた少女の人形である。微笑む少女の人形はドレスや身体を縛るワイヤーに血を絡ませていた。
長い金の髪、左右で違う色の瞳、薔薇色のドレス。
薬指の指す方向にある鏡台に置かれた銀の花瓶に活けるは毒花、引き出しからは小瓶に詰められた粉の数々。小瓶のひとつに丸めて詰めてあった紙切れを使用人が割って取り出し目にすると、彼女は悲鳴を上げて絨毯の上に取り落とした。紙切れに書かれた爪傷の残した赤文字は怨嗟を綴り幾人もの人名を記していたのである。
怯えて足のすくんだ使用人を横目に絨毯の上に落ちた紙切れを眺めた息子は小さく悲鳴を上げる。赤文字の終わりに失踪した父の名に続き、自分の名前が書かれていた。
肝の冷えた息子は吊るされた少女の人形を下ろすよう命じ、細い首に括り付けられた大粒のアレキサンドライトのブローチを使用人に外させると、その日の晩に高熱を出して他界した。
息子の妻は震え上がり、微笑んだままの人形をどうにか手放そうと商人を呼び、雇った者に丁重に人形を運ばせると最も高価な衣装で着飾りブローチを添え、ドーム型のガラスケースに入れてオークションへかけてしまった。
少女の人形は間近で見ても生きた人間と変わりない。背丈の高い分長さのある金髪は細くきらきらと輝いて、左右で色の違う瞳も観客の目を引いた。
何よりの価値は曰く付きである。
彼女の持ち主は失踪する、呪いの人形だと嬉々として値が跳ね上がる。過去に何人もの所有者が謎の失踪を遂げ、オークションハウスは最高額を叩き出し閉場した。
少女を落札した物好きは田舎町に居城を持つ大富豪である。
晩年を静かに暮らそうと城住まいを始めたが、観葉植物を育てては3日で枯らし、動物を飼ってはその日のうちに逃げられる男なので、生物の世話を全て使用人に任せていた彼は似た者同士と笑いながら落札したのである。
使用人達が怖がるので、彼もまた人形を寝室に置くことにした。ガラスケースは取り払い、毎日櫛で髪をとかしてやりながら語りかける老人に人形は変わらず微笑んだままだった。
「どれメリオロール、好みの衣装はあるかね。好きなものを選んでいい。何でも用意してあげるよ」
名前を付けて語りかける老人は、色とりどりのドレスを並べ、小さなテーブルに二人分の紅茶と茶菓子を用意する。人形を座らせ、自身も体を包み込む心地の椅子に腰掛けると微笑む人形に皺の刻んだ目元を更に細めて笑った。
「安心なさい、おまえが私を呪わずとも、この通りの老い耄れだ。遺書にはおまえを丁重に扱うようにと添えてある。羽休めするといい。私は娘ができたような心地なのだがね」
ティーカップにミルクを注ぎ角砂糖を入れ口へ運ぶ老人は、正面の一向に減らないティーセットと微笑む人形を愛おしそうに見つめた。
天蓋のあるベッドが2つ並ぶ寝室で、老人は毎晩人形を寝かしつけてから眠りについた。
曰く付きを忘れる程の穏やかな眠り。明日は酔いの祝日、世に出回っている動く人形が一斉停止する呪いの日。
拙い技術で無理に動かそうとするから、「偽物!」と叫んで頭を割られる人形が増えるのだ。以前いた街では祝日明けの路上は陶器の残骸で溢れていたが、この田舎町にわざわざ城に踏み入り人形の頭を割りに来る者などおるまい。
深夜、喉が渇き水を求めて目を覚ますと、寝かせたはずの人形が老人を覗き込むように立っていた。
「メリオロール、眠れないのかい」
声が震える。持ち主の謎の失踪、残され続けた少女の人形。
「お茶にするかい? 凍えているのならば暖炉に火も入れよう」
微笑んだままの少女の人形の、唇が動いた。
「いいえ、旦那様。お身体に障りますわ」
「メリオロール……なんて美しい声なのだろう。もっと、もっと声を聞かせておくれ」
「ええ、旦那様。どうか私のことは秘密になさって。私と、旦那様の秘密」
「必ず守ろう。可愛いメリオロール、どうかこの老い耄れを父と、呼んでくれないかい……?」
少女の人形は、優しく微笑んだまま老人の隣に寝そべると、輪郭を撫で髭を擽る。
「ベルガモットの香りがしますわ、お父様」
「ああ、ああ。可愛い可愛い私の娘。毎日淹れる紅茶の香りが移っていたのだろう、気に入らないのならばすぐに取り止めよう、部屋ごと壊してしまっても構わない」
「私も、ベルガモットの香りがしますわ……お父様と同じ……」
人形は自身の金の髪に口づけると、とろけるような声音で言う。老人は毎日手入れしている頭を撫でてやった。
「夢のようだ、メリオロール……。アーリーモーニング・ティーにはまだ早いがね、君とお茶がしたい。たくさんおしゃべりしよう」
「ええ。酔いの祝日が終わるまで」
以降、月に一度の酔いの祝日は心が弾んだ。
日付が変われば動かなくなる人形が愛しくて堪らず、祝日前には新作の菓子や衣装、紅茶を用意しては深夜に備えて仮眠を取る老人の様子に使用人達はひそやかに噂を立てる。
「ロード・ダルシャウカは最近機嫌がいいけれど、お部屋のお掃除だけはひやひやするわ。あの人形、亡くなったお嬢様がそこにいる感じがするんですもの」
「レイディ・ダルシャウカに触れなければどうってことないわ。私も初めは怖かったけど、ロード・ダルシャウカがご機嫌だし、羽振りもいいし嬉しいことだらけだわ。こんな田舎に来た甲斐があるってものじゃない」
「それは、そうなのだけれど。あの人形、時々見てくるようで怖いわ。動いたわけではないのだけれど」
「この人形を私の娘にすると言い出した時は気が触れたのだと思ったけれど。曰く付きの人形なのでしょう? 奇妙な怖さはつくものよ。ねぇ知ってる? あの人形、天才人形技師の作品らしいのよ」
「まぁ……火事で燃えてしまったと聞いていたけれど……。貴女、誰から聞いたの……? そんな貴重な人形なら、ロード・ダルシャウカをこれまで以上にお守りしなくてはいけないわ。噂が立ってしまわぬうちに、元を断つ必要があるのではなくて?」
「そうね、この間手紙を受け取る時にこっそり聞いたのよ。最高額の人形の作りが素晴らしかったって、そのような人形が天才以外に作れるものかってコレクターの間じゃもう有名みたい。元を断つよりは、警備に力を入れた方が良さそうだわ。今夜は酔いの祝日なのだし、明日提案してみましょう」
「そうね……警備の方々にも伝えておくわ、今夜からでもできることはあるはずよ」
背を向けて歩き出した使用人の頸に、注射器が突き立つ。一気に中身を注ぎ込んで引き抜くと、倒れたきり動かなくなった。
「あの人形、高く売れるのよね」