夜の舞踏会場、行き交う華美な仮面と衣装が曲に合わせ揺れる中、壁際の椅子に一人ずつ座る少女たちの仮面が一斉に外される。
 側仕えであろうか、燕尾服の老人は黒い仮面のまま微笑い、会釈を済ませたところで一人の男が黒山羊が吊るされた絵柄のカードを差し出した。

「御嬢様、どうぞ」

 老人がカードを受け取り促すと、少女は椅子からふわりと立ち上がりドレスの両端をつまんで頭を垂れる。一切の装飾を払った長い金の髪が垂れ背中から腰元まで晒した肌を撫で去ると、少女は手を取られ腰を支えられては廻る音楽と仮面の男女の中へと消えていった。
 屋敷から漏れる軽快な音楽を拾いながら、老人は手元のカードを見つめる。縄で吊るされた黒山羊が咽を仰け反らせ呻く様を描いたカードを裏口番へと差し出せば、彼は自らの血を混ぜたインクでサインをし箱にぎっしりと収めた金貨を差し出した。

『お前は黙って俺を売ればいい』

 軽やかに笑って言い放った少女の声が拭えない。理由は訊くなと譲らずに、カードの種類と意味を伝えるとけらけらと笑っていた。
 黒山羊のカードは“内密”だ。取引が成立すれば何があろうが他言、接触は許されない。

 老人は金貨の詰まった箱を抱え、暗い夜道へと姿を消した。




「君、男だろう?」

 踊りながら燕尾服の男が緩んだ唇で囁く。腰を寄せられ踊る少女はうっとり笑って金の長髪を靡かせた。

「悪趣味だな」
「今夜の豚共の中では最上と思うがね。おや、気分を悪くしたかな? 仮面を外された辱しめ以上に飾り立てたい表情をしている」
「他の連中に聞かれるぞ」
「聞き取り触れ回ればいい。君は私に買われたのだがね」
「生憎主人は他にいる」
「そのような眼をしていたよ。私が二人目の主人だと、蹂躙されねば解らぬかね?」

 少女のピンヒールが床を強く鳴らし、ぐらりと傾いた身体を男に支えられ仰け反ると周囲からは拍手が沸き起こる。

 音に紛れて顔色一つ変えずに舌打ちした少女は手を引かれ会場を後にすると黒塗りの馬車に押し込められ、何事も無く隣に座る燕尾服の男は「出せ」と一言、揺れる車体で少女へ口付けると嘲笑った。

「先程は惜しかったな。履き慣れていないのだろう? 私を殺したところで、望みが遠退くだけだと思うがね」

 少女は手の甲で口を拭うと静かに睨んだ。

「あんたの足を粉々にしてやろうと思った。で? 俺に殺されない自信があるわけ」

 仮面の奥の眼は愉しげに歪んでいる。燕尾服の男は手首を掴んで押し倒すと、ドレスに歯を立て噛みちぎる。

「あるとも。腐った治安は腐った肉共に築かせ続けていればいい。君が何をしようが、私のものであるならば咎めるものなどないのだよ」
「俺の主人は一人だけだよ」
「そうとも。だが言った筈だ。私が二人目の主人だと。肉には飽きてね。勘のいい子だ」

 ドレスを裂かれ身体を撫でられながら胸に歯を立てられると少女は憎たらしげに歯噛みする。一滴さえ出ない血に狂喜した気配に嫌悪感を募らせて、心臓を抉り出そうにも先程の言葉が引っかかる。
 治安が最悪なのは解っている。容易く行われる人身売買を取り締まる動きもない。殆ど無法地帯と化しているこの国では、あらゆる手段で財と権力を築いた貴族に取り入るのが手っ取り早い。向こうも知る上で、持ちかけてきた。自分は望みを叶えるに十分な“当たり”だと。

「髪は剥ぎ取ってきたのかい? 眼の色はどんな子の眼球を削いで入れたのかな? 私がよく見えてはいないだろう、君からは芳しい血の香りがするのに、この髪と眼の膜は偽物だ。豚共の反り血が染み込んだ身体は穢れることはない、君は血の通わない人形なのだから。なのに、温かい。反応もある。仕舞うには惜しい──あの場で犯してもよかったのだがね」
「殺すわ」
「君は私を殺す機会を逃したのだよ。過度な自信と実力が、今の君の様だ。君の主人は今君を守れない。そうだろう? あぁ、苦しそうに。見せてやりたい。そうだ、君の声、馬車の先まで聞こえているよ。いい子だ、実に」

 夜道を行く馬車は崖上に建つ旧い屋敷へ辿り着く。紫の硝子が嵌め込まれたランプが門を照らし、ゆっくりと馬を走らせ玄関前で停まると燕尾服の男は短髪の少年を抱えて降り立った。

「ご覧、海だ」
「死ね殺してやる」
「いい返事だ」

 馬車の中には偽った長い金髪が衣服の残骸と散らばり、御者が柔らかく笑いながら丁寧に拾い始めた。
 真っ黒に広がる海を背に、使用人が開いた屋敷の扉へ機嫌良く笑みを浮かべて男は進んで行く。

「お帰りなさいませ、ヴィジュワーノ様」
「土産だ」
 
 黒いドレスを身に纏う眼に光の無い少年、少女は声を揃えるとその場に跪き、主人が投げ床で割れたワインを舐め続けていた。
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