3
少年は海沿いの街へと逃げてきた。
追いやられたという方が正しい。手負いの兄と妹のように可愛がっていた少女を連れ、身を潜める傍ら自身も気の休まる景色を求めてやって来た。
海の見える丘。隠れ家から少し歩くと木々の間から横一面にどこまでも広がる海が好きだった。波の音と海風に、荒んだ醜い内面が洗われるような幻想を抱いた。
「兄貴、立てる?」
膝から切断された兄の両脚はくっつかず、鉄の義足を作りはめることにしたのだが、敬愛している人形技師にくっついて作業を見ていたとはいえ、美しい兄の脚とは遠く及ばぬ不格好な義足に幾度も内心で“貴方がいたなら”とすがる思いで吐き捨てる。
「すまないな。すぐに慣れる」
両脚と、右目を壊された双子の兄は申し訳なさそうに笑った。天然で抜けていて大体真顔で物申す兄が笑うのは、本心から笑った時と他者を励ます意味合いの時であることに少年は気付いていた。兄にはなんとなく、内心が伝わっているのかもしれない。
「セレスの宝石、やっぱ砕かれて持ってかれたみたい。……どこにもないんだ」
セレス、とはハンモックですやすや眠る妹である。長い髪も服もピンク色で、背も低く丸みがあってよく笑いよく歌う子であった彼女は、胸を抉られて声が出せなくなった。
双子の兄弟と妹の三人は天才人形技師に創られた人形である。人間と変わらないという評価故、解体目的で襲われたのがセレスだった。人懐こく騙されやすい彼女の胸に空いた穴は身体の黒水晶が割れ、じわじわとヒビが拡がっている。
そこに収まっていたはずの、彼女を象徴するピンク色の宝石は半分以上持ち去られてしまった。残りの分が無事であるからまだ動くものの、兄の抵抗がなければ、セレスは壊されていただろう。
「買い出し行ってくる。すぐに戻るよ」
「いや、少し歩いてくるといい。キーリィの見つけたこの隠れ家が見付かるとは思わないが、有事ならば斬り伏せよう」
ぎこちなく義足で立ち、専用の大剣を片手で持ち上げた兄に少年は無理をして笑った。
「うん……ありがと」
お言葉に甘え海辺を散策しながら、物思いにふけることしばし。考え事の止まない頭部をどうにかできたらいいのにと、首を外して海に投げ入れようか半分本気で思うのだが、そうしたところで頭部も体も動くのだろうと予想がついてただ目を伏せるに留めた。
(ハリフォード……)
何度名を唱えたことだろう。すべてが懐かしく愛おしい。それを奪った者たちが憎たらしい。
「許せない、コレクター……」
思わず呟いた。幸いにも、穏やかな海が広がるばかりで聞き取る者などいなかった。逃げてきた自分たちにはあてなどないことを思い知らせるように影がひとつだけ伸びている。
(…………)
次、妹が襲われでもしたら、彼女は胸の宝石を抜き取られてただの抜け殻になるだろう。兄は、あの重い義足で守れるだろうか。自分がいなくては二人はもはや成り立たないのではないのか。それはあまりに信頼を欠いた思い過ごしだろうか。ああ、と少年は俯いた。照り付ける太陽でさえ疎ましかった。
悩める少年はとりあえず、と買い出しの存在を思い出しては市場へと足を向ける。飲食は必要ないのだが、義足のメンテナンスなどに必要な細々とした物に混ぜて食料を買い込む必要がある。おおっぴらに出歩く以上、ある程度、人のふりをしなくてはならない。
市場へ近づくと人通りが増え、その中で紙を配られ手に取ると、そこにはオークションハウスの宣伝が書かれていた。
「目玉は人形師の筆……?」
少年は人ごみの中立ち尽くして狼狽えた。まさか。この世界に人形師などごまんといるではないか。しかし目を通すうちに見つけてしまった。“天才人形師が遺した筆”だと。
そう呼ばれるのはあの人しかいない。
日照りは強く、海はきらきらと輝いていた。少年の薄い金髪を照らし、濃い影を落とす。
数日後、セレスを頼むと言い残して少年は消えたのだった。
追いやられたという方が正しい。手負いの兄と妹のように可愛がっていた少女を連れ、身を潜める傍ら自身も気の休まる景色を求めてやって来た。
海の見える丘。隠れ家から少し歩くと木々の間から横一面にどこまでも広がる海が好きだった。波の音と海風に、荒んだ醜い内面が洗われるような幻想を抱いた。
「兄貴、立てる?」
膝から切断された兄の両脚はくっつかず、鉄の義足を作りはめることにしたのだが、敬愛している人形技師にくっついて作業を見ていたとはいえ、美しい兄の脚とは遠く及ばぬ不格好な義足に幾度も内心で“貴方がいたなら”とすがる思いで吐き捨てる。
「すまないな。すぐに慣れる」
両脚と、右目を壊された双子の兄は申し訳なさそうに笑った。天然で抜けていて大体真顔で物申す兄が笑うのは、本心から笑った時と他者を励ます意味合いの時であることに少年は気付いていた。兄にはなんとなく、内心が伝わっているのかもしれない。
「セレスの宝石、やっぱ砕かれて持ってかれたみたい。……どこにもないんだ」
セレス、とはハンモックですやすや眠る妹である。長い髪も服もピンク色で、背も低く丸みがあってよく笑いよく歌う子であった彼女は、胸を抉られて声が出せなくなった。
双子の兄弟と妹の三人は天才人形技師に創られた人形である。人間と変わらないという評価故、解体目的で襲われたのがセレスだった。人懐こく騙されやすい彼女の胸に空いた穴は身体の黒水晶が割れ、じわじわとヒビが拡がっている。
そこに収まっていたはずの、彼女を象徴するピンク色の宝石は半分以上持ち去られてしまった。残りの分が無事であるからまだ動くものの、兄の抵抗がなければ、セレスは壊されていただろう。
「買い出し行ってくる。すぐに戻るよ」
「いや、少し歩いてくるといい。キーリィの見つけたこの隠れ家が見付かるとは思わないが、有事ならば斬り伏せよう」
ぎこちなく義足で立ち、専用の大剣を片手で持ち上げた兄に少年は無理をして笑った。
「うん……ありがと」
お言葉に甘え海辺を散策しながら、物思いにふけることしばし。考え事の止まない頭部をどうにかできたらいいのにと、首を外して海に投げ入れようか半分本気で思うのだが、そうしたところで頭部も体も動くのだろうと予想がついてただ目を伏せるに留めた。
(ハリフォード……)
何度名を唱えたことだろう。すべてが懐かしく愛おしい。それを奪った者たちが憎たらしい。
「許せない、コレクター……」
思わず呟いた。幸いにも、穏やかな海が広がるばかりで聞き取る者などいなかった。逃げてきた自分たちにはあてなどないことを思い知らせるように影がひとつだけ伸びている。
(…………)
次、妹が襲われでもしたら、彼女は胸の宝石を抜き取られてただの抜け殻になるだろう。兄は、あの重い義足で守れるだろうか。自分がいなくては二人はもはや成り立たないのではないのか。それはあまりに信頼を欠いた思い過ごしだろうか。ああ、と少年は俯いた。照り付ける太陽でさえ疎ましかった。
悩める少年はとりあえず、と買い出しの存在を思い出しては市場へと足を向ける。飲食は必要ないのだが、義足のメンテナンスなどに必要な細々とした物に混ぜて食料を買い込む必要がある。おおっぴらに出歩く以上、ある程度、人のふりをしなくてはならない。
市場へ近づくと人通りが増え、その中で紙を配られ手に取ると、そこにはオークションハウスの宣伝が書かれていた。
「目玉は人形師の筆……?」
少年は人ごみの中立ち尽くして狼狽えた。まさか。この世界に人形師などごまんといるではないか。しかし目を通すうちに見つけてしまった。“天才人形師が遺した筆”だと。
そう呼ばれるのはあの人しかいない。
日照りは強く、海はきらきらと輝いていた。少年の薄い金髪を照らし、濃い影を落とす。
数日後、セレスを頼むと言い残して少年は消えたのだった。