宵さんの夏

 目が覚めたのは翌日の昼のこと、寝かされていた自室を出るなり雇い主に休暇を言い渡され店の皆にも言い募られとさんざんだった。


「何もするなと言われましても……」

 文台に肘をつく。七日。七日だ。店が七日休みなどと。その間にできることもあるだろうに、何もするなが雇い主の命ならば従いはせどどうにかなってしまいそうだ。


「調理場にお掃除お洗濯、買い出し、帳簿、皆の食事……お客さんの、お見送り……」


 普段自分が受け持つそれらを何一つしていない。空をゆるゆると飛んでいく鳥をただ眼に映しては、この数日のように空の色を眺め終わるのだろうかと思う。

 たまには空でも見ていろ。薬箱の中に入っていた紙切れに書かれた杯の言葉通りにしているなど、本人が知ればまた睨むに違いない。
 かといって何か思いつくわけでもない。これまでずっと、あの人が生きているために必要なことをしてきた。それ以外なんて、思いつくはずが。


「宵」


 声と同じくして襖が開く。始めから返事を待たずに部屋へと入ってきたその者は、わざと傾げた首と微笑みをたたえて届け物だと紙を差し出す。
 大瑠璃。この店の元看板にして、幼い頃からの友である彼はいつだって、その黒い眼に人を映して話す。黒い髪を揺らして、いらない? なんて聞くものだからたちがわるい。


「文、ですか」


 受け取ると大瑠璃は畳の上に寝そべる。いつも気まぐれにどこかの部屋に居座って、何をするでもなく過ごす。そんな彼の口から出たのは忘れかけていた事だった。


「牢の中から。よかったね、生きてて」

「初めてですね、生きてらっしゃるのは」


 中身を読み終え筆を執る。
 大瑠璃の戯けた声が聞こえた。


「返事を書くの?」
「またいらしてくださいと。お酒はやめるそうですよ」
「へえ。また会いに来るよ。それまで、刺されるのはまずいんじゃない」


 一度筆が止まる。そういえばあの小刀、見覚えがあったような。


「宵、夏祭りに行かない? 虎雄はみんな休ませてるし、抜け出すのも悪くないでしょう」
「虎雄様に伝えるなら」
「よかった。今夜、連れ出してね」



 やわらかく笑った気配にそちらを向けば、畳の上に寝そべったままおはじきを広げる大瑠璃と目が合う。

「なんて顔してるの。それとも引っ張り出されるのが好き?」
「私といると、刺されるかもしれませんよ」


 それか、別の何か


「この大瑠璃が? ふふ、宵は抵抗しないもの。たまには言いたいこと、言ったらいいんじゃない。あ、そうそう。朝日がね、綿菓子が美味しいって。あとお面もほしいな」


 おはじきを指の腹で撫でながら眠たげに言った大瑠璃は、緩く何度も瞬きをして身じろいだ。


「綿菓子、ですか」
「あはは、知らないんだ。いい機会だよ、宵。それにね」



 出かけたかったんだ。宵と。




 返す言葉を聞かぬまま眠ってしまった大瑠璃はたちがわるい。


「久しぶりですね、出かけるなんて」


 筆を置き、寝顔を眺めながら髪を撫で、吹き込む生ぬるい風に目を細めた。



「生きているなんて。本当に、不思議なこともあるものですね」


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