猫又とお兄さん

 猫は眼を閉じようと思った。
 今度こそ、この横たわる体を放り出して夢を見るのだ。

「譲っていただけませんか」

 低く、それでいてよく通る声だった。猫は声のした方へ鬱陶しげに視線をやる。
 干物を少しばかり噛んだ罰にと放り込まれた檻を、年若な男がひょいと持った。

「五両だそうですよ」

 猫は歩き出した男を睨んだ。

「金で私を買ったというのか」
「いいえ、あなたの名前だそうです。わたしは好きですがね。ふたつそろいがいつつ。お金のことではありませんよ」
「ばかにするなよ小僧」
「二十六です。すこしのあいだわたしと付き合ってくださいな」

 男の着物を眺めたあと、五両はそっぽを向いた。

「干物はあるんだろうな」
「するめはだめですよ」
「ばか言え」

 風に乗った花の匂い。歩く度に揺れる檻。淡々と声を切る男。
 五両は男の家に着くまでに見た梅の木に眼を細め、緩い日溜まりに尾を揺らしながら思った。この男、声はよく通るくせにえらく口数の少ないやつだ。
 五両は長屋に着いて放されるなり畳の上を駆け、二枚重ねの座布団に陣取った。





 くる日もくる日も雨が降り、縁側に座り外を見ている男の膝上に丸まった五両は干物を噛みながら言った。

「おまえさん、ひとりでいくのかい」
「さてねえ。せめて燃やしてほしいねえ」
「そらぜいたくだな」
「そうさ。さいごのぜいたくなのさ。人はうまくはないだろうからねえ」

 男は一人で暮らしていた。整頓好きで、五両の牙で穴を開けるのが精一杯の硬さをした箱をいくつか持っていて、その中によく洗い磨いた魚の鱗をしまう癖がある。そのくせ日の大半はぼんやり外を眺めており、家族はいないのかと訊ねれば、“ほしいのだろうねえ”と返ってきた。
 五両は背を撫でてくる男の手を好きにさせながら、ばさばさした片耳をぴんと立てる。

「知ってるかい。ここいらじゃあひとを喰うやつもいるんだぜ」
「どうして喰うのかね」
「まずいからさ。ほかに見られたくはないんだろうよ」
「そいつぁお手数だね。わたしなら、裂いて転がしておくまでだろうに。どれ五両、峠の団子屋にでも行こうか」
「うえぇ、雨だぜぇ?」
「濡らしはしないさ。さぁ行くよ」

 抱き抱えられた五両は傘を持つ男を見上げ抗議する。

「湿気がなあ! 毛をぼさぼさにするんだよお!」
「あんみつ、草団子……」
「きいてんのかつつじいいい!!」
「ひとりで食べると味が濁る。どうか一緒にいておくれ」

 五両はそっぽを向いた。

「そらぜいたくだ」
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