二.花と貴方へ
厨房の暖簾を捲ってピンク髪に乗っけたままのオールバックは、ふて腐れ顔で呟いた。
「つつ兄が来た。泊まってく」
返事も聞かずに頭の上の暖簾をずずずと巻き込んでは個室のある廊下の方へ行ってしまった雨麟に、香炉は心の中で頷くに留めた。
「……あれ、僕どうしたんだっけ…………」
「何か面倒ごとに巻き込まれて気をなくしたみたいだよ」
羽鶴がむくりと起き上がると、布団の脇に頬杖をついて座布団を下敷きに寝転がった大瑠璃がいた。
「……僕の部屋か。あ、片付けしなきゃ……」
「残念ながら助っ人がきたので寝ていなよ鶴。賑やかだからほっといていいよ。虎雄が明日は店お休みでいいって」
「え、籠屋臨時休業多くない……? 大丈夫か……」
「大丈夫全く平気なんだなこれが。下には降りてくるなってさ」
「うん……? 何お前も閉め出されたの」
言えば大瑠璃が物凄くいやそうな顔をしている。うわあ……と顔に書いてある。
「寝てなよ鶴。窓を開けちゃいけないからね」
立ち上がって片手をひらひら振りながら襖も閉めずに出ていった大瑠璃の指に結ばれた包帯がじんわりと赤かった。
(ああ、そうか、手伝えないのか……)
ふらりと厨房へ入っていっては洗い物をしていた大瑠璃を思い起こして、羽鶴は言われたままにぽすんと布団へ倒れ込んだ。
隅に置かれた行灯が、じりじりと照らす薄闇にうとうとと瞼が重くなってゆく。もう少しで夢の中、すとんと寝入りそうだった羽鶴の耳は何かが転がる音を拾った。
(廊下から……?)
再びうとうとしていると、小さな何かが廊下に落ちる音。
(うるさい……)
襖を開けていても物音なんて気にならない人気のなさであるのに。一番奥の部屋に陣取る大瑠璃は今まで物音ひとつ聞かせたことがない。むしろこの距離で聞こえるはずもないのだが。
襖を閉めようと引手に指がかかった時、廊下の隅に小さなものが映った。
(おはじき……?)
拾い上げれば、真ん中が窪んだ赤い硝子に辺りを見回す。普通に暗い。誰もいない。
とんっ、からからから。
階段近くの方から物音が。
鳥枠に提がる籠に灯っているはずの光は消えている。とうに夜中なのだろう、廊下がどうしようもなく暗いので、羽鶴は部屋に戻り提灯に火を入れると音の方へと歩き出した。
ぽつり、廊下の真ん中に赤いビー玉が落ちている。
(…………?)
拾い上げ見回せど誰もいない。また、奥の廊下で小さな物音がする。
(この籠屋のしかも三階に泥棒するような勇者はいない……から、なんだろう。でも宵ノ進の部屋の方じゃなくてよかった……僕夜中にあっち行く勇気はないわ……)
花枠の廊下で迷子になったが最後、出てこれる自信はない。
とん、とん、とん。ゆっくりと廊下を叩くような音。加えて、ばらばらばらばら。細かい廊下を叩く音。
ぞわりと身を震わせて歩くのをやめた羽鶴は後ずさると月夜の枠横に嵌め込まれた灯籠に頭をぶつける。したたかな痛みの衝撃で傾いた提灯はゆらゆらと暗い廊下と足元を照らし、橙の灯りが床に散らばった何かと子供程の赤い着物を捉えた。
(…………!)
それはかたかたと身体を震わせては動く度に胃の辺りから何かを落としてゆく。とん、とん、からから。乱れた赤い着物の間からみっちりと詰まった赤い硝子と木の歯車が見えた。
(に、人形……!)
一瞬ほっとした羽鶴だが、身体を震わせ中身を床に撒き散らしながらゆっくりこちらへ向かってくる人形の長い黒髪はずれ、目玉は剥き出しになりぎぎぎ、と口が開くと大きくばきりと音を立て首が足元まで転がった。
さあ、と羽鶴の血の気が引く。悲鳴など出ない。木組みの人形であるのにひたすらにぐろい。照らすな提灯。
(あ、どうしよう廊下振り返ったら何が起こるかわからないしいや今何か起こってるしでも振り返る方が怖いいや怖くないけど無理、そう無理!!!)
羽鶴は真顔になると提灯に火が入っていることも忘れて全速力で前方へ駆けた。途中硬い何らかを思い切り踏んだが構わずに暗い廊下を駆け抜けて、拾ったおはじきとビー玉も途中で放り投げひたすらに走ると、襖に仕切られた一本の廊下に出てしまう。
「行き、止まり……?」
提灯は焦げ臭さを残して消えている。仄白い襖に柳と枯れ枝が描かれて、ぴたりと閉じているそれを開くことは躊躇われた。
「痛、……え?」
足裏からぬるりと広がる血だまりに、羽鶴は見覚えがあるような気がした。
(さっき何か踏んだから……痛い……あれ、僕、何か言わなきゃいけないことが。早くしないと行ってしまう…………行ってしまう……? でも、誰が……)
だんだんと広がる血だまりが、羽鶴の思考を霞めてゆく。視界にちかちかと穴が開いてゆき、羽鶴は前方へ倒れた。
「つつ兄が来た。泊まってく」
返事も聞かずに頭の上の暖簾をずずずと巻き込んでは個室のある廊下の方へ行ってしまった雨麟に、香炉は心の中で頷くに留めた。
「……あれ、僕どうしたんだっけ…………」
「何か面倒ごとに巻き込まれて気をなくしたみたいだよ」
羽鶴がむくりと起き上がると、布団の脇に頬杖をついて座布団を下敷きに寝転がった大瑠璃がいた。
「……僕の部屋か。あ、片付けしなきゃ……」
「残念ながら助っ人がきたので寝ていなよ鶴。賑やかだからほっといていいよ。虎雄が明日は店お休みでいいって」
「え、籠屋臨時休業多くない……? 大丈夫か……」
「大丈夫全く平気なんだなこれが。下には降りてくるなってさ」
「うん……? 何お前も閉め出されたの」
言えば大瑠璃が物凄くいやそうな顔をしている。うわあ……と顔に書いてある。
「寝てなよ鶴。窓を開けちゃいけないからね」
立ち上がって片手をひらひら振りながら襖も閉めずに出ていった大瑠璃の指に結ばれた包帯がじんわりと赤かった。
(ああ、そうか、手伝えないのか……)
ふらりと厨房へ入っていっては洗い物をしていた大瑠璃を思い起こして、羽鶴は言われたままにぽすんと布団へ倒れ込んだ。
隅に置かれた行灯が、じりじりと照らす薄闇にうとうとと瞼が重くなってゆく。もう少しで夢の中、すとんと寝入りそうだった羽鶴の耳は何かが転がる音を拾った。
(廊下から……?)
再びうとうとしていると、小さな何かが廊下に落ちる音。
(うるさい……)
襖を開けていても物音なんて気にならない人気のなさであるのに。一番奥の部屋に陣取る大瑠璃は今まで物音ひとつ聞かせたことがない。むしろこの距離で聞こえるはずもないのだが。
襖を閉めようと引手に指がかかった時、廊下の隅に小さなものが映った。
(おはじき……?)
拾い上げれば、真ん中が窪んだ赤い硝子に辺りを見回す。普通に暗い。誰もいない。
とんっ、からからから。
階段近くの方から物音が。
鳥枠に提がる籠に灯っているはずの光は消えている。とうに夜中なのだろう、廊下がどうしようもなく暗いので、羽鶴は部屋に戻り提灯に火を入れると音の方へと歩き出した。
ぽつり、廊下の真ん中に赤いビー玉が落ちている。
(…………?)
拾い上げ見回せど誰もいない。また、奥の廊下で小さな物音がする。
(この籠屋のしかも三階に泥棒するような勇者はいない……から、なんだろう。でも宵ノ進の部屋の方じゃなくてよかった……僕夜中にあっち行く勇気はないわ……)
花枠の廊下で迷子になったが最後、出てこれる自信はない。
とん、とん、とん。ゆっくりと廊下を叩くような音。加えて、ばらばらばらばら。細かい廊下を叩く音。
ぞわりと身を震わせて歩くのをやめた羽鶴は後ずさると月夜の枠横に嵌め込まれた灯籠に頭をぶつける。したたかな痛みの衝撃で傾いた提灯はゆらゆらと暗い廊下と足元を照らし、橙の灯りが床に散らばった何かと子供程の赤い着物を捉えた。
(…………!)
それはかたかたと身体を震わせては動く度に胃の辺りから何かを落としてゆく。とん、とん、からから。乱れた赤い着物の間からみっちりと詰まった赤い硝子と木の歯車が見えた。
(に、人形……!)
一瞬ほっとした羽鶴だが、身体を震わせ中身を床に撒き散らしながらゆっくりこちらへ向かってくる人形の長い黒髪はずれ、目玉は剥き出しになりぎぎぎ、と口が開くと大きくばきりと音を立て首が足元まで転がった。
さあ、と羽鶴の血の気が引く。悲鳴など出ない。木組みの人形であるのにひたすらにぐろい。照らすな提灯。
(あ、どうしよう廊下振り返ったら何が起こるかわからないしいや今何か起こってるしでも振り返る方が怖いいや怖くないけど無理、そう無理!!!)
羽鶴は真顔になると提灯に火が入っていることも忘れて全速力で前方へ駆けた。途中硬い何らかを思い切り踏んだが構わずに暗い廊下を駆け抜けて、拾ったおはじきとビー玉も途中で放り投げひたすらに走ると、襖に仕切られた一本の廊下に出てしまう。
「行き、止まり……?」
提灯は焦げ臭さを残して消えている。仄白い襖に柳と枯れ枝が描かれて、ぴたりと閉じているそれを開くことは躊躇われた。
「痛、……え?」
足裏からぬるりと広がる血だまりに、羽鶴は見覚えがあるような気がした。
(さっき何か踏んだから……痛い……あれ、僕、何か言わなきゃいけないことが。早くしないと行ってしまう…………行ってしまう……? でも、誰が……)
だんだんと広がる血だまりが、羽鶴の思考を霞めてゆく。視界にちかちかと穴が開いてゆき、羽鶴は前方へ倒れた。