二.花と貴方へ

「宵ノ進いるかぃ?」
「黙れ馬鹿兄貴!!! 先日は兄が大変ご迷惑をおかけしまして失礼極まりないところ、手厚く看護していただきありがとうございました……! ご挨拶が遅れましたこと、誠に申し訳なく――」

 籠屋の玄関先に鉄二郎と昴が風呂敷包みの箱菓子とやってきたのは朝食を済ませ、雨麟の日課である掃除も終わり一息ついていた頃である。

「いや昴そんなに畏まらなくていいよ皆昼まで暇なんだし。少し休んでいったら? 店主も代理も不在で申し訳ないけれど」
「えっ宵ノ進いねぇのかぃ? 買い出しか?」
「兄貴が酔い潰れたりするから!! 何卒今後ともすばめ屋をご贔屓に……! こちらは皆様で召し上がっていただきたく……!」
「虎雄も宵も仕入れをすばめ屋から変えるなんて話していないから、顔を上げて昴」(本当は、こちらが謝らなければいけない話なのだから)
「おーい無視か~、引きこもりめ無視かぁ~」

 受付奥の小部屋で聞き耳を立てていた雨麟と羽鶴は足音が奥の部屋へ向かうとひそひそと話し出す。

「大瑠璃が応対って珍しすぎるんだけど」
「まァいつもは大体宵ノ進だからなァ。朝日もああだし、顔馴染みだから俺らがへたに言伝て預かるより大瑠璃が出た方がいいだろ。しかし面倒だな」
「え、何どういうこと?」
「宵ノ進今旅行中だろ?」
「あっ……」



「え?! はぁ?! 宵ノ進が旅行?! あの医者と?! 二人で?!」

 奥の部屋から鉄二郎の叫び声が響いた。場所を変えても受け付け奥の小部屋まで聞こえるとは、現場はさぞかし痛ましいことであろう。昴がいるため手は出さないだろうが、その分苛立ちを耐えた大瑠璃の巻き添えなどごめんである。顔を見合わせた雨麟と羽鶴はそそくさと二階へ避難した。


「兄貴大声出さないで……頭割れそう……」
「もう少し静かに話してもらえると助かるんだけれど。朝日も寝込んでるんだから」
「え……?! 瑠璃さま、朝日に何かあったのですか?!」
「風邪でね。急に冷え込んできたから、治るまで朝日はお休みなんだけど」
「あ、あのお見舞いを……」
「いやうつるから」
「うつりません!! 何卒……!!」
「香炉、いる?」
「よんだ……?」

 叫んだまま固まる鉄二郎と前のめりになる昴に兄妹だなあと内心思う大瑠璃は、すっと開いた襖の先で膝を折る香炉に目配せする。

「あんない、します……あんまり、ながくは……」
「……!! 感謝します!!」

 大瑠璃に会釈してから香炉に連れられて早足で行ってしまった昴を見送って襖を閉めた大瑠璃は、固まったままの鉄二郎に茶を横滑りに流して渡す。

「いつまで固まってるの誰がどこに誰と行こうが勝手じゃないの?」
「…………だっ……てあの宵ノ進がよりによってあの医者と二人きりで旅行なんて正気でいられるわけもなく?」
「いやあどこぞの浮かれ若よりはだいぶ頼りになるから任せたんだけどねえ?」
「その信頼感もおかしい……! 医者とは?! あれやこれやあ~れ~とならんか?! 花祭り前に旅行とか……なんてタイミングで……」
「なんだ誘ってみてたの。こないだ散々だったじゃない。あれは本当に悪かったと思ってるけど。変わりない?」
「旅行の方がショックだから大丈夫……大丈夫じゃない……だってあれだよ? 四六時中一緒だよ? 朝から晩まで一緒でどこへ行くにも一緒でずっと見ていられんだよ? 着替えも覗けるんじゃ? むしろ風呂にも一緒で行けるんじゃ?」
「本当に杯に任せて良かった」
「下心のない男なんていない!!!」

 光を欠いている真っ黒な眼が冷ややかに頬杖をついて鉄二郎を見つめる中、固く拳を握り叫んだ鉄二郎は適当に茶を飲む大瑠璃に続いて口に含む。茶の寄越し方は最悪だが、客に出す茶としては最良を選ぶ辺り小憎たらしい。朝日に看板を譲るまで溺れる客を山程出した元看板のこの姿を写真に収め触れ回りたい気になるが、生憎映らないので本人が気を付けてさえいれば冗談で済まされるだけなのである。
 それよりも心酔した客の怒りを買うかもしれない。だからといって対応を変える気など無いが、向こうの心理は読みづらい。

(まあ抱え込める玉でもなし)
「何で俺を入れたんだ? いつも適当にあしらうくせによ」
「ただの気紛れだよ。言ったでしょ、昼まで暇なの。なんの話だと思った?」
「おめえつくづく波立てるよな。俺は諦めねえからな」
「なんの話をしているのやら。鉄二郎は壊しそうだから、全部。いつまで? いつまで壊せばいいわけ?」
「おめえが過保護すぎるんだ。大事に大事に仕舞いすぎてほつれねえようにしてるんだ。それじゃあそのまんまだ。計らい事は穴があるもんだ。どっからほつれるかはわからねえ」
「ほつれたら、治せると思ってるんだ? 傲慢だね」
「おめえはあの医者と話したことがあるか」
「ほどほどにね。隠すのが上手いから」
「あの医者も傲慢だと思うか」
「さあ。考えてごらんよ」
「俺ぁ毎日でも会いてえし声もかけてえ。話して笑かして横にいてえ。何度でも行く。行かなきゃ動かねえことだってある」

 しばしの間の後、視線を襖の方へ遣った鉄二郎は一気に茶を飲み干した。

「おめえが過保護なのと同じだ。何度突っぱねられても、何度でも会いに行く。何度でも、伝える」
「そう」


 目を伏せた大瑠璃は、開いた襖に見向きもせずに背筋を伸ばし座したまま、茶の残る湯呑みを映している。
 香炉に背を擦られながら部屋に戻ってきた昴は肩を震わせしゃくりあげ、ぽろぽろと次々溢れてくる涙を手の甲で拭うのに忙しい。香炉の片手に渋い柄のハンカチが握られているが、どうやら差し出しても気付かなかったらしい。

「うっ……ぐすっ……あさ、あさひ……あんなにくるしそうでっ……毎日看病したい……」
「大袈裟……すぐに良くなるよ、いつもあんなに元気だから、たまには休んでいいってことでしょ」
「うえええ兄様ぁ……」
「はあこれはとんだ面をお持ちのようで」
「女の子だからなあ。ウチぁ男所帯だからよ、いっつも気ばっか張ってんだ。女の子の友達ができたって大喜びしてたからなあ」
「まあそれはありがたいのだけれど。何かあると周りが見えなくなるのは似ているよね」
「おおるり……」
「うん少し落ち着いてから帰りなよ。昼間の客が来る前にさ。それとも食べていく? 賄い飯だけど」
「うわぁおめえが優しいと晴れでも雹が降るんじゃねえか」
「出し殻でも食ってろ鉄二郎」
「料亭の住人とは思えねえ台詞吐きやがる」

 鉄二郎が昴を座らせて言葉をかけながら頭を撫でている。この男は誰にでもこうだ。親切で、裏表がない。そして頭も切れる。なのに、行く、と言う。何度でも、真っ直ぐに。

(これはただの悪足掻きだ。この大瑠璃の、いや、咲夜の。変わらないものなど無い。あるとするなら深まるばかり、ただ、今は)

 香炉へ視線を遣ると、小さな手のひらが手招きする。

「寛いでていいよ、用意するから」

 とん、と襖を閉めた大瑠璃は、香炉と厨房へ向かった。
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