二.花と貴方へ
ブラックカードで会計を済ませた杯に、口を挟む隙がなかった宵ノ進は店を出てから御馳走になってしまった件について申し訳ないやらなにやらと慌ただしくするも、「気紛れだ」と返されてしまい言葉に詰まってしまった。
「……では美味しい茶葉を選びます」
「それは楽しみだな」
会場は茶葉の香りで満たされており、産地毎に区切られ各スペースでは生産者が自慢の茶葉について来場者と語らい、試飲を提供している。
会場図を見ながら右回りに見たいと申し出た宵ノ進は朗らかに笑って、気になった茶葉の生産者とマニアックな会話を繰り広げている。ついて歩く杯も一緒に試飲を受け取りながら様子を見守るが、図面で見る限り抹茶を扱うのは最後の方だ。どうも、先程言った良い茶葉を選ぶ方を先にしたいらしい。
(抹茶が好きだと思ったが)
自分は後回しか。好きなものを見ているので良いが、普段からその調子なら、たまには引っ張り回しても構わない。
楽しそうに会話をして何件かで茶を買い、ふと思い付いたように商談を始め手短に纏め上げる中ですばめ屋の名が挙がった。籠屋は仕入れの殆どをすばめ屋を通している。柊町が車両不可の特殊な地区であることもあり、重宝される問屋だが若の顔が過るや煙草が欲しくなった。
「杯様、どうされましたか……? わたくし、あんまり夢中で話していたでしょうか……」
「いや。構わない。好きなだけ見て回るといい」
「ねえ杯様、あの渦巻きは何でしょう……? 朝日や雨麟がたまに食べている白い菓子とも似ておりますけれど、茶葉の色をしておりますし」
宵ノ進は遠くにある抹茶ソフトクリームのどでかい看板模型を不思議そうに見つめている。確かに柊町では見ない物だが、ここまで疎いと些か心配になってくる。
「食べてみるか?」
「なんと」
休憩スペースの赤い茶椅子に二人で座って、小さなスプーンとソフトクリームとを見つめる宵ノ進は延々と食べ方を考えているらしく、杯と目が合うとあわあわと口を開いた。
「お抹茶の種類を選べるとはなんと贅沢な……濃茶にしてしまいました……」
「他ではあまりないだろう。溶けるぞ、宵ノ進」
様子を見ていた杯が、溶けてからではしょげこむだろうと自分の分をスプーンで掬って食べて見せる。隣で小さく「おお……!」と声が上がるのでこれはこれで、良かったのかもしれない。
真似て口へ運んだ宵ノ進は、目をきらきらさせて杯を見つめると我に返ったように顔を赤くした。
「あ……とても美味しくて……火照っておりましたからなおのこと……お恥ずかしい」
「見ていて飽きないな。抹茶は選ばなくていいのか?」
「え、選びます!! 杯様わたくしをからかってらっしゃいますか」
「今更だな。宵ノ進が子供のようなのでつい、な」
恥ずかしさでだんだんと顔が赤くなっていく宵ノ進に、杯は笑った。こんなに笑ったのも久しい。
「わ、わたくしとっくに成人しております故……! 杯様がかように悪戯なさるとは思いもせず……!」
「そうかそうか、ではもっとわかりづらくしてやろう」
「!?」
ぷいとそっぽを向いたと思えば驚いて振り向く宵ノ進は、小さく肩を震わす隣の洋装に更に慌てた。
「なにゆえ……?! なにゆえそのような……! 杯様氷菓がとろとろにございますれば……!!」
一通り似たやり取りを交わして、ゆっくりとソフトクリームを食べた二人は一緒に抹茶を見ては選び、生産者との濃いお抹茶トークの結果少しおまけをもらって会場を後にした。
「買い込んでしまいました。呆れられてしまいそうです」
「土産も入っているのだろう? 後ろにつけるといい」
「ふふ。大瑠璃は玉露が好きなので。喜んでいただけると思うのですが。杯様にはこちらが宜しいかと」
宵ノ進は和紙にくるまれた茶筒を差し出す。先程選んだ抹茶とは別の包みに、杯は僅かに反応が遅れた。
はしゃぎながら回っている中でちゃんと選んでいたらしい。受け取りながら礼を言うと、満足そうににこりと笑う和装の男を夕陽が縁取って濃淡に目が眩む。日の落ちる前に、ここから離れなければ。そのような心地にさせる何かが促して、二人は車に乗り込むと夕焼けを眺めながら移動した。
湖面を弾く夕焼けを眺める宵ノ進はぼんやりと眺めているようで、眠ってもいいと伝えると頑なに「いやです」と緩く首を振る。鳥の影ひとつもなく過ぎてゆく景色に暗がりが迫る。ゆるゆると色を奪うようにして互いの姿が朧気になる中で、ぽつりと宵ノ進が溢した。
「こんなにも貴方が優しいから、気が狂ってしまいそうだ」
眠りに落ちそうな声音で、金の眼が伏せられる。
「それも悪くない」
「なんて意地悪な御方」
うとうととしていた宵ノ進はそれきり動かなくなった。
走り回る体力がないのは知っている。はしゃぎ疲れた子供のようだと言ったならまた昼間のようなやり取りが始まるのだろう。
眠った姿というのは怪我を負った以外で見たことがなかった。そのどちらも静かで糸の切れたように映る。
たまの息抜きを覚えれば、怪我の頻度も減るだろうか。
ちらりと寝顔を見ながら、杯は日の落ちた夜道を眺め車を走らせた。