二.花と貴方へ

「杯様、変わった鞄をお持ちなのですね」

 背の高い杯の隣を見上げて歩きながら、宵ノ進はトランクケースと杯とを見比べながら言う。やんわりとした雰囲気のまま笑って見せるので、物珍しいのだろうと思う杯の表情は特に変わらない。
 鮮やかな橙色の髪が緩い秋風に煽られて、宵ノ進が不思議そうな表情で見つめると、切れ長の淡藤色の眼がつられたように僅かに見開かれる。

「スーツケースだ。そんなに物珍しいか」
「す……? ……滑車が付いておりますし、わたくし見るのは初めてなのです。杯様の鞄はどれも綺麗なものばかりなのですね」
「旅行鞄としてよく使われる。似たような形ばかりだと思っていたが」

 普段籠屋へ薬を届けに来る杯の持つ鞄は医者のそれであるが、今杯の引く本革のトランクケースと色味も似ており宵ノ進の中では杯の鞄は総じてトランクのようなものと位置付けられているらしい。

「わたくしも鞄を持った方が良いのでしょうか……旅行など、随分と昔に虎雄様と大瑠璃とで行ったきりなのですよ」
「……風呂敷一つで荷物が足りるのならば気にすることでもないと思うがな。欲しいのならば見に行こう。今後も機会はある」

 こじんまりとした風呂敷を抱える宵ノ進は小さく笑う。

「わたくし荷造りは得意なのですよ。差し支えなければ、次の機会にでも選んでいただきたいです。今持ち帰ってしまったら、笑われてしまいそうですから」
「土産でも詰めて帰ればいい。ところで宵ノ進。柊町を出たら車に乗るが、気分が傾いたならすぐに言え」
「杯様、車、とは牛車にて目的地まで行くのですか?」
「…………………………」


 首を傾げてぱちくり瞬く金の眼と、ふわりと揺れた黄朽葉色の髪がじっと見つめたまま返答を待っている。いつの間にか立ち止まっていた医者と板前はお互いに見つめ合ったまま、鉄紺の着物の上から百入茶のコートを羽織った宵ノ進の短い三つ編みが秋の日差しで一層色味を増す中、「来ればわかる」とだけ一言。
 再度歩き出す二人の革靴と下駄の音が響いて、またゆるりと秋風が吹いてゆく。


「杯様、何故お誘いに?」

 柔らかく笑う宵ノ進が訊ねてくる。

「安らげると思った。どうした?」
「いえ、何も」

 宵ノ進がそっぽを向いたので、珍しいこともあるものだと癖のあるふわふわの頭を見ている杯の整った髪を幾度も緩い風がすく。
 景色を見ているふりをしながら、杯から見えぬのだからと目を閉じてしまいたい衝動に駆られる。

(秋風の香りだと思っておりました……)

 ふわふわ、ふわふわと。普段は香りに気を配る籠屋の中で、ひときわ薬品ばかりの印象であったから。


 見慣れた道が舗装されたものへと変わってゆく。柊町に気を遣い、色や見た目を抑えた道の先はだんだんと背の高い建物が増え、人のそれとは違う賑わいも増してゆくのだろう。
 宵ノ進が籠屋に来てまだ虎雄と大瑠璃との三人で暮らしていた頃、あの大きな保護者は時たま連れ出してくれた。騒がしくて、見慣れぬものばかりで、聞き慣れぬ言葉が飛び交って。知らぬ土地の匂いに目眩を覚えて。
 名を呼ばれて、杯の方を向く。
 ああこれが車か。落ち着いた色合いが彼に良く似合う。しかし。

「杯様、この車とやらでどう移動するのです……? ……!!」

 車のドアを開けてやると眼を真ん丸にして息を詰めた宵ノ進に一度瞬いた杯は座るように促して、しなやかな所作の割に恐る恐る座り静かに閉めたドアの向こうで固まっている着物の男にほんの少し笑ってやる。
 荷物を付け、左側の運転席に座ってからも固まっているので説明しながらシートベルトをしてやるとだんだんと青ざめてしまう。

「気分が悪いか」
「い、いえ……わたくし締め付けるものは苦手で……帯のようなものだと思えば……」
「すまない。どうしてもそれだけはしてもらわねば移動できんのでな」
「うう……あぁ申し訳ございませんこのようなお見苦しいところばかり……」
「重ねてすまないが帰りもこれを使う」
「あああああ……」

 両手で顔を覆い出した宵ノ進に、杯はエンジンをかけることで何事かと顔を上げる様子を見た後そのまま発車した。
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