二.花と貴方へ

「はあ……退屈だ……」

 羽鶴が籠屋に帰ると、受付台に突っ伏した大瑠璃が気怠げに白い腕を投げ出しながら言う。その辺に放り投げた衣類のようなのだが、お店が休みだからとはいえ、この美人、大丈夫なのだろうか。

「何やってんの、大瑠璃」
「おかえり鶴。店番」
「嘘つけ。僕そんなぐったりした店番初めて見たよ。誰も構ってくれなかったわけ?」

 靴を脱ぎながら言う羽鶴は雨麟が磨いたであろうピカピカの床に上がり、受付台に頭を乗せたまま動きもしない大瑠璃の前に立つと首をかしげることしばし。いつもの色無地の着流しではなく、桔梗の乗る瑠璃色の中振袖が新鮮で、磨かれた桜色の爪が白い指に映えている。
 大瑠璃は突っ伏したまま気乗りしない声を投げてくる。


「宵は厨房だし虎雄に捕まってるから面白くないの」
「いやお前、朝日とかみんないるじゃん……どんだけ宵ノ進いじって日々過ごしてんの……あの忙しい板前をさ……」
「宵は虎雄の言うこと何でも聞くから、面白くない」

 ぽそりと言った。それで羽鶴は気がついた。
 ふてくされた猫のように拗ねているのである。

「あ、それなら橋から飛び降りないでって店長が言ったらもうしなくなるじゃない」
「虎雄はね、言わないよ」
「え? 効果ないってやつ?」
「飯事になっちゃうから」

 漸く顔を上げた大瑠璃の、目許や唇が桜色で化粧をしていることに気が付いた。普段適当に着流しを羽織って鎖骨やら白い肌を晒しているが、きっちりと着込んで帯留めまで桜色を選んで。白から桜色に変わる帯で瑠璃色の中振袖を締め上げた彼の黒い眼が問うように羽鶴の眼を見つめてくる。
 
「信じてあげないとね」
(僕はどうしてこんな言葉しかかけてやれないのだろう)
「……可笑しい? 自分で選んでみたのだけれど」
「……え? 大瑠璃の礼装なんて初めて見たからびっくりしちゃって」
(違った? 傷付けた? お前も、お前の大事な人も大切にしたい、言葉が出てこない)
「ほら早く部屋に戻りなよ。虎雄の知り合いばっかりなんだから絡まれたらめんどくさいよ。もう全員通して大座敷にいるから、近寄らなきゃ大丈夫」

 気だるげに手のひらをひらひらと振って露骨に鬱陶しそうにした大瑠璃に、羽鶴は無言でずいずい近寄って真っ正面に立つと独り言のように返した。

「綺麗だと思った。それだけ」

 返事を待たずに羽鶴は階段の方へと歩いていった。逸らされた話題には触れずに離れていったふわふわの銀髪を黒い眼が見送る。

(ここで話すことでもないでしょ)

 ずるずるあれやこれやと話し込んでしまうのを、他者に聞かれるのは好きではない。客がいる。話題を逸らすついでに伝えた事も本当で、あの筋肉の塊の群れが着物やら冥土服やら軍服ワンピースやらを着てただでさえ手のつけようがないところに羽鶴を放り込んでしまったら流されに流されてぐったりするのが目に見えている。
 そして目に毒でもある。
 店主虎雄のテンションと香水についていけるのは朝日くらいなのである。

 その朝日が大座敷に付き、料理を運ぶ雨麟と白鈴に指示を出しているのだから何も問題はないはずなのだが、筋肉の群れからうっかりはぐれた酔っ払いや用件に対応する役回りを羽鶴に見られたくはない。

「……はは」


 着飾った美人から、乾いた笑いがこぼれる。
 見世物だから見に来いと誘ったのは自分であるのに。以前客間に出ていたように、着飾った姿に息を飲む相手の顔を楽しんで、会話をして、最後まで見送る、その一切を見られたくないなどと。

 飾る程空虚になるのだ。客は皆、壊してはならぬ飾り物を相手にするのだ。
 ただ、久しく着物を選んだ。女装なのだが、違和感がまるでないらしい。
 幼馴染に唆されて、いや、違う。ほんの少し楽しげな、浮かれた様子が嬉しかったから。どこへしまっていたのかと訊ける筈もない少し悪戯じみた面を本当に久しぶりに見ることができたから。
 少しだけ乗っかってやろうと。たまには。


(受付が退屈なのには変わりないけど)
「大瑠璃! わりぃンだけど手伝って!!」
「え、何表の門閉めていいわけ?」
「おーけー!」
「やったぜ」

 門を閉め、受付を空にして雨麟と持ち場へいく大瑠璃は、一度階段の方へ視線を投げると明かりの見えぬ上階に安堵した。
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