二.花と貴方へ
羽鶴が目を覚ますと部屋の奥で気の抜けた声の鳥が鳴いている。寝ぼけた頭を枕に押し付けると温かく、片腕が掴んでいる先も柔らかい。何度か瞬いて視界が澄むと、大瑠璃を抱き枕にしていた事実に青ざめた。
当の大瑠璃は鳥が鳴いていようが起きる気配もなく、そっと布団を抜け出すと羽鶴はその場に正座した。
辺りを見渡す。植物、鳥、桜。飾り棚に揃えられている本、奥に見えるきらきらと輝く色鮮やかな簾。大型行灯の火は消えており、桜の散る庭が明るい。
二部屋ぶち抜きで使っている大瑠璃の部屋は、端と端が遠くだだっ広い。沿うように咲き誇る一面の桜は奥が見えぬ程で、静かにひらひらと散り続ける満開の桜を眺めているとぼうっと吸い込まれていくような心地になる。
(いけない僕学校あるんだ……支度しないと……もう廊下に出てもいいのかな。大瑠璃にはおとなしくしてるって約束しちゃったし……時計はないし、起きる気配もないし)
健やかな顔で眠る大瑠璃を叩き起こすのは憚られるので延々鳴いている鳥の方へと近寄る。大瑠璃の寝床の台から丁度視線の合う位置にある鳥の巣で、二羽の小鳥が覗いては鳴き続けている。
片や白地に茶の斑点、片や真っ白で毛の長いふさふさした鳥が羽鶴を黒い目にジッと映したまま小刻みに首をかしげ羽をバタバタやりながら、お互い見つめ合うことしばし。
「あ、鳥籠じゃないんだ。どっちがふみでどっちがしらたきなのかな」
以前大瑠璃が頭に乗る鳥の名前を口にしていたが、以後特に会話にも出ないのででかいふさふさの白毛玉と小柄な斑点を前に放し飼いだと大きくなるんだろうか、等と考え込む。
「ふみ~」
「……ピッ」
小柄な斑点が小さく鳴く。
「えっほんと今返事した? しらたき~?」
「ヒョルリッハ!!!」
でかいふさふさの白毛玉が体を震わせながら大きな声で鳴く。自己主張の濃い白毛玉は図体の割に高く美しい声を部屋に響かせた。
「すげえ……返事できる……大瑠璃の鳥すごい……」
震える羽鶴を前に白毛玉が美声で鳴く。そうだろうそうだろう、とでも言いたげな、胸を張るように声を震わすのである。
「……しらたきうるさい…………」
「あ、おはよう大瑠璃」
半分開いた眼で鳥と羽鶴を見た大瑠璃は着崩れた夜着の上に花緑青の羽織を適当に羽織ってやってくると菊模様の丸筒から餌を箱に入れてやる。
がっつく二羽を見ながら眠たげな大瑠璃は、扉の方を指差すと欠伸をした。
「もう出ても大丈夫だよ。いってらっしゃい鶴……あと三回寝る」
「まじか」
抱き枕の件は黙っておくことにして、扉を開けた頃には畳の上で寝ている大瑠璃に布団をかけると部屋を出た。
通りの自室で簡単に身支度を整えて座敷へ降りる。階段は既に掃除が済んでいるらしく至る所が小綺麗で、座敷の襖へ手をかけるところで桶を抱えた雨麟と出くわした。
「おはよー羽鶴! なンだ支度終わってンのか、ゆっくり食べれるな」
「おはよう雨麟。自分を起こすにはちょうどいいから。雨麟もう掃除してるの?」
「俺ぁ起きて体ほぐして掃除かな。広いから朝からやらンと間に合わンし。これ置いてくっから一緒に飯にしようぜ」
「うん。座敷で待ってる」
裸足に襷上げのピンクのオールバックは機嫌良く廊下を歩いていく。小さな背中を見つめ、ふと我に返ると襖を開けた。
途端に厨房からの香りが胃を刺激する。暖簾の先からする包丁や食器の物音に安堵する。人数分敷かれた座布団のひとつに一際派手な折鶴柄を見つけ、その主があくびをしながらとことこと夜着のままやってきては挨拶をして。少し遅れてやって来た白鈴と雨麟が慌てて羽織をかけてやり、座らされた朝日はうとうとしながら意味不明な言葉を並べて首をかくんとやったきり動かなくなった。
「……朝日っていつもこうだっけ?」
「うーン、起きるタイミングを間違えたンだろ。早起き苦手だからなァ。本人が言うにテンションで起きてるらしいが。なンもない日は一番遅いな」
「今日はちょっと頑張ったんだと思います」
「へ」
「なるべく皆で食事がしたいと羽鶴さんが言いましたから」
「僕物凄く無理させちゃってるんじゃ……」
「あンなあ無理して合わせたりするような奴ァいねえわ。楽しみだったンだろ。朝飯抜かなくなるのは嬉しいしな」
「おや朝日は早起きですね。南瓜の煮付けもありますからね」
穏やかな声音がそのまま表情に出ている宵ノ進が膳を運んでは挨拶をし、その後ろにすっぽりと隠れてしまう小柄な香炉が無表情におはよう、と呟いた。
羽鶴は宵ノ進の姿に安堵する。
(良かった。何もなかったみたいだ)
「二人ともおはよう」
板前二人も席に着き、六人での朝食の中三度寝宣言していた大瑠璃はさておき不在の店主を訊ねると、用事の為既に出掛けているとのことだった。
「今日は夕刻前から虎雄様の筋肉乙女の会で貸し切りですから、羽鶴様が戻られる頃には賑やかでしょうね」
「その凄まじいネーミングは突っ込まざるを得ない」
「ね……?」
「はつる、遅れる……」
香炉に促され慌てて籠屋を出た羽鶴は、夢で見た靄などなく見送る香炉に手を振って駆け出した。
当の大瑠璃は鳥が鳴いていようが起きる気配もなく、そっと布団を抜け出すと羽鶴はその場に正座した。
辺りを見渡す。植物、鳥、桜。飾り棚に揃えられている本、奥に見えるきらきらと輝く色鮮やかな簾。大型行灯の火は消えており、桜の散る庭が明るい。
二部屋ぶち抜きで使っている大瑠璃の部屋は、端と端が遠くだだっ広い。沿うように咲き誇る一面の桜は奥が見えぬ程で、静かにひらひらと散り続ける満開の桜を眺めているとぼうっと吸い込まれていくような心地になる。
(いけない僕学校あるんだ……支度しないと……もう廊下に出てもいいのかな。大瑠璃にはおとなしくしてるって約束しちゃったし……時計はないし、起きる気配もないし)
健やかな顔で眠る大瑠璃を叩き起こすのは憚られるので延々鳴いている鳥の方へと近寄る。大瑠璃の寝床の台から丁度視線の合う位置にある鳥の巣で、二羽の小鳥が覗いては鳴き続けている。
片や白地に茶の斑点、片や真っ白で毛の長いふさふさした鳥が羽鶴を黒い目にジッと映したまま小刻みに首をかしげ羽をバタバタやりながら、お互い見つめ合うことしばし。
「あ、鳥籠じゃないんだ。どっちがふみでどっちがしらたきなのかな」
以前大瑠璃が頭に乗る鳥の名前を口にしていたが、以後特に会話にも出ないのででかいふさふさの白毛玉と小柄な斑点を前に放し飼いだと大きくなるんだろうか、等と考え込む。
「ふみ~」
「……ピッ」
小柄な斑点が小さく鳴く。
「えっほんと今返事した? しらたき~?」
「ヒョルリッハ!!!」
でかいふさふさの白毛玉が体を震わせながら大きな声で鳴く。自己主張の濃い白毛玉は図体の割に高く美しい声を部屋に響かせた。
「すげえ……返事できる……大瑠璃の鳥すごい……」
震える羽鶴を前に白毛玉が美声で鳴く。そうだろうそうだろう、とでも言いたげな、胸を張るように声を震わすのである。
「……しらたきうるさい…………」
「あ、おはよう大瑠璃」
半分開いた眼で鳥と羽鶴を見た大瑠璃は着崩れた夜着の上に花緑青の羽織を適当に羽織ってやってくると菊模様の丸筒から餌を箱に入れてやる。
がっつく二羽を見ながら眠たげな大瑠璃は、扉の方を指差すと欠伸をした。
「もう出ても大丈夫だよ。いってらっしゃい鶴……あと三回寝る」
「まじか」
抱き枕の件は黙っておくことにして、扉を開けた頃には畳の上で寝ている大瑠璃に布団をかけると部屋を出た。
通りの自室で簡単に身支度を整えて座敷へ降りる。階段は既に掃除が済んでいるらしく至る所が小綺麗で、座敷の襖へ手をかけるところで桶を抱えた雨麟と出くわした。
「おはよー羽鶴! なンだ支度終わってンのか、ゆっくり食べれるな」
「おはよう雨麟。自分を起こすにはちょうどいいから。雨麟もう掃除してるの?」
「俺ぁ起きて体ほぐして掃除かな。広いから朝からやらンと間に合わンし。これ置いてくっから一緒に飯にしようぜ」
「うん。座敷で待ってる」
裸足に襷上げのピンクのオールバックは機嫌良く廊下を歩いていく。小さな背中を見つめ、ふと我に返ると襖を開けた。
途端に厨房からの香りが胃を刺激する。暖簾の先からする包丁や食器の物音に安堵する。人数分敷かれた座布団のひとつに一際派手な折鶴柄を見つけ、その主があくびをしながらとことこと夜着のままやってきては挨拶をして。少し遅れてやって来た白鈴と雨麟が慌てて羽織をかけてやり、座らされた朝日はうとうとしながら意味不明な言葉を並べて首をかくんとやったきり動かなくなった。
「……朝日っていつもこうだっけ?」
「うーン、起きるタイミングを間違えたンだろ。早起き苦手だからなァ。本人が言うにテンションで起きてるらしいが。なンもない日は一番遅いな」
「今日はちょっと頑張ったんだと思います」
「へ」
「なるべく皆で食事がしたいと羽鶴さんが言いましたから」
「僕物凄く無理させちゃってるんじゃ……」
「あンなあ無理して合わせたりするような奴ァいねえわ。楽しみだったンだろ。朝飯抜かなくなるのは嬉しいしな」
「おや朝日は早起きですね。南瓜の煮付けもありますからね」
穏やかな声音がそのまま表情に出ている宵ノ進が膳を運んでは挨拶をし、その後ろにすっぽりと隠れてしまう小柄な香炉が無表情におはよう、と呟いた。
羽鶴は宵ノ進の姿に安堵する。
(良かった。何もなかったみたいだ)
「二人ともおはよう」
板前二人も席に着き、六人での朝食の中三度寝宣言していた大瑠璃はさておき不在の店主を訊ねると、用事の為既に出掛けているとのことだった。
「今日は夕刻前から虎雄様の筋肉乙女の会で貸し切りですから、羽鶴様が戻られる頃には賑やかでしょうね」
「その凄まじいネーミングは突っ込まざるを得ない」
「ね……?」
「はつる、遅れる……」
香炉に促され慌てて籠屋を出た羽鶴は、夢で見た靄などなく見送る香炉に手を振って駆け出した。