二.花と貴方へ

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「許せなかった。あとをつけて見ていた上で、硝玻様の亡骸を置いて様子を窺って。逃げ延びて生きる勇気がなかった。幾度何れ程考え抜いても、硝玻様の兄上を殺めに行ったろう。……気がついたら、籠屋に来ていたんだよ。虎雄と宵がいて、訳がわからなかったのだけど。どうもね、虎雄が言うには時代からひょっこり咲夜だけを引っ張ってきた、なんてね。言ったでしょう、火を放ってたくさん殺したって。……引き寄せ刀の元は硝玻様の兄上なんだよ。ずっと、咲夜を刺しに来る。それだけならまだよかったのだけどね。引き寄せ刀は執着と嫉妬でできているようなものだから、咲夜の母まで巻き込んで、この時代に来てしまった」
「待って、大瑠璃……待って。お前、それは他に、方法がなかったんじゃないの」

「鶴は優しいね。売り飛ばされて武家に買われて、母親とは生き別れというやつさ。母が手放した訳じゃない。拐われたのだけど。身を案じてくれたのはありがたいけどね、引き寄せ刀に取り込まれてまで思わなくていいんだよ。引き寄せ刀は他の誰かを殺すのだから。鶴に嫉妬して、刺しに来たように。これまでも、座敷で知り合った客が何人も死んでる。けりをつけるとは言ったけれどね、どうしたら、硝玻様の兄上が諦めてくれるのかがわからない。殺したいなら殺せばよかった。死が望みな訳でもない。ただ、見ている。近付く者に嫉妬して殺してしまう。もう、どうしていいのかわからない。……怖いんだよ」


 ぽつりとこぼした大瑠璃に、羽鶴は息が苦しくなった。
 優しく笑っているようで、泣き出しそうな顔をしているのを、普段振る舞いに気を配る大瑠璃が気付かぬはずなどないのに。
 羽鶴の知らない大瑠璃の、咲夜の表情。

 “あいつ、髪飾りは間に合ってるのがまだわからないのかね”


 大量の贈り物が詰まった部屋で、そうこぼしていた大瑠璃を思い出した。小さな箱に収まった簪を手に取って、ぼんやりと眺めていた彼は硝玻と過ごした日々を見ていた。これまでを、殺めた人々を――きりなく巡る思考が彼を絡めとり、過去へと連れ去ってしまう気がした。
 

「咲夜、……僕も探すよ、方法。僕は、死ななかったでしょ。皆が守ってくれたから」
「懲りないね。でもね、鶴が気に病む事じゃないんだよ。抱える事でもない。これは自分の犯したこと、本当は、誰も殺めてはいけなかった。そんなことは解っていた。だからね鶴、自分の感情を押した私は善意なんかでできちゃいない。庇う必要もない」
「僕は、お前が生き急いでいるように見える。人を殺した、早く罰してくれ、誰も巻き込まない形でって。危ないことを自分で引き受けて、いなくなろうとしているような気がする。僕は、お前のことが嫌だったら、会話なんてしないよ。前にも言ったように、僕にはお前が人を殺していても関係がないんだ。軽く見ている訳じゃないよ、お前がそんなに悔いていて、他の人の事だって気にかけて面倒みるくせに、自分の事になると距離を置くから。お節介にならない程度に、そばにいさせてよ。あんまり入られると、嫌なんだろ」


 羽鶴が少しむくれると、大瑠璃はくすくすと笑った。何の含みもなく、可笑しい、と。


「お前お前って、好きに呼んだらいいのに……」
「どういう笑いどころなんだ……だって、咲夜って名前、みんな知ってたら呼んでるだろうし、でも呼ばれたらなんか嬉しそうだし、大瑠璃って呼ばれるのとどっちがいいんだろうって思ったからさ」
「ふふ、そうだね名前は宵と虎雄しか知らないから。たまにならいいよ。他には内緒がいいかな」
「わかった、好きに呼ぶ。ねえ、お前も宵ノ進もさ、何で大事なこと、僕に話すの。知り合って日も浅いのに、ほんとうは話さないでおいてもいい、大事なことばかり」
「ふふ……またお前って……」
「笑いすぎだぞ! 妙なとこで笑うよなほんと……」
「籠屋にいるから。籠屋で、一緒に住むから。まあ、他の皆には簡単に、前は何をしていた、何をやらかした、くらいなのだけど。あんまりこと細かく話しはしないよ。本人次第かな。宵のことは、宵に聞かなくちゃ。話す気になったから、話してくれたんでしょう?」

 羽鶴は言葉を返そうとしてふと、瞬いて固まる。思い出そうとした事が、藍色に塗り潰されていく。

「大瑠璃、僕、思い出せないことがある」
「思い出したら聞いてあげるよ」
「そうじゃなくて。……ええと、うん……?」
「いいから寝なよ。布団は貸してあげるよ。今廊下に出ると帰ってこれなくなるから」
「え、なにそれホラーなんだけど。お前が断言してる辺り怖いんだけど。ていうかあのちょっと高いとこにある布団で寝れる気がしない」
「まあ、廊下に出なければ大丈夫だよ。布団は一組だけだから……そうだ」

 ずるずる、すとん。大瑠璃は布団を引きずり下ろすと羽鶴に「これでいいでしょ」と真顔で言う。

「適当だなあ……僕は畳の上で寝るからいいよ、お前は安らかに布団で寝てろよ」
「わざわざ布団を下ろしたんだけど?」
「お前が寒がってる方が嫌だわ。座布団枕に寝るわ」
「うるせえなとっとと布団入って寝ろっつってんだろ」

 いきなり手首を掴み羽鶴を引っ張ると片足で掛け布団を払い除けた大瑠璃は背負い投げを決めた。短く悲鳴の上がった羽鶴に鋭い眼を向けながら、乱暴に掛け布団を被せると一度咳き込む。

「背中……打った……」
「……布団の上で喚くなや」
「……………………」

 眼光の鋭い大瑠璃に怯んだ羽鶴は一呼吸置いて、口を開いた。

「大瑠璃、一緒に寝てくれない?」
「畳で充分なんだけど」
「そうしたら、おとなしくしてる。廊下にも出ない」
「この大瑠璃を脅そうっての」
「お前があんまり優しい顔で名前を呼ぶから。幸せそうな顔をしていたから。寒いんだ。お願い」


 大瑠璃は花緑青の羽織を布団へ掛けると潜り込んで背を向けた。引き寄せ刀を剥がす為とはいえ、短くなってしまった黒髪が寒々しい。
 白檀の香りが髪に乗り、夜着にくるまれた大瑠璃の華奢な背が揺れた気がした。

「大瑠璃?」

 名を呼べど返事もなく、羽鶴は少し躊躇った後布団に潜ると大瑠璃の背中へ額を押し当てた。

「何してるの」
「うん」
「うんじゃなくて」
「あったかそうだったから」
「……このまま寝る気?」
「気に入らなかったら蹴飛ばせばいい」
「鶴、硝玻様を忘れることはないよ」
「うん、忘れなくていい。僕は、硝玻になれないことも知ってる。お前の大切な人だから、忘れなくていい」

 過去を語り、硝玻の名を口にする大瑠璃が、ほころぶような優しい顔で、囀ずるように澄んだ声で名を呼ぶ度に、心が軋む。
 咲夜は美しい。その咲夜を一層、思い起こすだけで幸せそうな表情にさせる硝玻は、もういない。


 忘れなくていい、忘れなくていいから、ほんの少しだけでもいい、僕のことも見ていてくれないか。


 どうしても、口に出すことができなかった。
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