二.花と貴方へ

 気付けば羽鶴は籠屋の座敷に横になっていた。籠屋独特の、香りの良い香がうっすら漂っている。
 花模様の行灯に照らされた横顔は手元に視線をやっており、その手際の良さに瞬いて思考が追い付いてくる。
 縫い物をしている宵ノ進が、視線に気が付き手を止めた。

「ああよかった、羽鶴様、お飲み物をご用意しましょうか」
「……ねえ、大瑠璃は……? 僕たち、学校に……大瑠璃が」

 いなくなって――。口に出すのが怖かった。大瑠璃に貼り付いていた引き寄せ刀を思い出すと、細部まで見えていないはずなのに嘲笑っているような気がしてならなかった。

「引き寄せ刀が出たんだ。昼間に。大瑠璃に貼り付いてて、靄もあって。誰もいなくて。そもそも僕が出歩かなかったら、よかったんだ」
「ならばその脚、わたくしが切って差し上げましょうか」

 宵ノ進は笑った。普段の優しい顔つきで、悪戯に行灯を吹き消す。暗がりに慣れぬ羽鶴の視界をよそに、衣擦れとくすくすと笑う宵ノ進の声が近付き、身を起こして逃げ出す前に頬に冷たい手が触れる。


「怯えてらっしゃるのですか?」

 暗がりでうっとりと羽鶴に届かぬ笑みを浮かべると、いつ手にしていたのか、刀が握られている。

「ねえ、羽鶴様」

 

 脚の付け根に違和感を覚え、呼吸を忘れた羽鶴が飛び起きると、辺りは暗いが、座布団の上に置かれた学生鞄と、雨麟と選んだ階段箪笥や行灯が目に映り息を整える。
 適当に敷いた布団の上、畳の匂い。すぐ隣の押し入れを開けると提灯があり、手元をもそもそやりながらやっとのことで火を入れた羽鶴はようやく安堵した。――自分の部屋だ。籠屋の、雨麟と決めた部屋だ。
 確か座敷でご飯を食べて、部屋に戻ってしばらくしてから寝たはずなのだ。

(また奇妙な夢……夢なのか? 籠屋に来てから、随分多い……。前は、宵ノ進が怪我をしたじゃないか……さっきの夢…………大瑠璃)

 羽鶴は提灯を持ち襖を開ける。夢の初めの方、途中と、大瑠璃がいないままだ。夢の宵ノ進は、所在を答えなかった。
 夜の空気が肌を撫でていく。ひたひたと裸足で進んだ先には立派な一枚の彫刻、鳥を避け、植物の部分を二度叩く。
 しばらく彫刻の前に立ったまま、もう寝ているだろうかとあれこれ考える。何よりいてくれと。存在を確かめたくて訪ねてしまった。
 からからと巨大な彫刻が横へずれると、気に障った風もなく、夜着に花緑青の羽織を肩に引っかけた大瑠璃が出迎えた。

「もうとっくに夜中だよ。鶴は一人で寝れないわけ?」

 ふわりとお香の香りが漂い、ゆらゆらと照らす行灯の灯りの中でなにやら気の抜けた声の鳥が部屋の奥で鳴いている。

「怖い夢を見た。夢なのかわからない」
「……中で話そうか、鶴。寒いでしょ」



 大瑠璃の部屋は横長にとんでもなく広い。そういえば、二部屋ぶち抜きで使っていると雨麟が説明していたのを頭の隅に思い出した羽鶴が遠い目をすると、部屋の主は気にした様子もなく座布団を引っ張り出している。

「……というか、桜がある……今秋じゃなかった?」

 部屋の奥、壁側一面には満開の桜が並び、ひらひらと花びらを散らしている。その手前には紅の手すり――まるで橋のようだと羽鶴は思う。畳の部屋であるのに壁一面が桜とは、まるで現実味のない部屋だが羽鶴の腰ほどもある行灯や、部屋の角に群生する植物、小高い台の上に敷かれた布団等を見ると本人に合っている気もする。
 箪笥の上に置かれた香炉からすっと煙が立っており、部屋中に香りを拡げている。

「まあ座りなよ鶴。あの桜は枯れないし、ずっと咲いたままなんだよ。ちょっとした庭みたいになっているから降りれるけれど、夜は眺めているだけがいいよ。香りがきついなら消そうか?」
「ありがとう。あ、ふかふか。籠屋って不思議が多すぎてなんだか慣れてきた。お香、大丈夫だよ。いい匂いだなあって思ったから」
「そう、よかった。好き嫌いがあるからね。白檀はいいよ、あんまり炊きすぎて、宵に怒られたこともあるのだけれど」

 小高い台の上に敷かれた布団の上に腰掛けた大瑠璃が、悪戯っぽく笑う。こいつ、全然懲りてない。思わず真顔になった羽鶴に、大瑠璃はふふ、と笑って返した。

「それで? どんな夢を見たの?」
「話すと長いけど、僕、真っ白な中にいて、遮断機が降りてて、危ないところを大瑠璃に助けてもらったんだけど、……大瑠璃が倒れて、お守りも落ちてて……。別の夢は、靄が出てて、学校に行く途中大瑠璃が助けてくれて、でも途中でいなくなって……引き寄せ刀にしがみつかれてて、起きたら、宵ノ進がいたんだけど、脚を、切られそうになった」

「だいぶ断片的な話し方だね。鶴は二つ夢を見たわけだ。虎雄が払ってくれたから、引き寄せ刀は来てないよ。そうだね、宵はさっきまで一緒に話をしていたし、切りはしないと思うよ。寝かせないとまずいから、今部屋にいくのはお勧めしないけどね」
「……心配だったんだ。大瑠璃がどこにもいないから。……おい待て、切りはしないって、他はあり得るのか。夢でも恐ろしすぎるぞ」
「まあふらふらしてる自覚はあるけど。鶴の方がよっぽど危なっかしいけどね。そうだ鶴、夢の中の宵、何か持ってなかった?」

 羽鶴はしばし考える。持っていた物はすぐに思い出せたのだが、閉じた戸にがりがりと爪を立てるようにして、訴える何かが胸の内にわだかまりを作っている。

「……刀を持ってた。違和感で起きたんだ。ねえこれも、引き寄せ刀が見せる夢なのかな。それとも、宵ノ進が身代わりになったときみたいに、また誰かが刺されたりなんてしていたら」
「引き寄せ刀が刺しに来るのは、大体宵とこの大瑠璃だから。……ちょっと縁起でもない夢かもね。ふふ、そんなに青い顔をしなくてもいいんじゃない。鶴は"大丈夫"って言ってほしかった? ……ちょっと、鶴?」

 返答がないので、大瑠璃が小首をかしげている。何度か名を呼んで、ひょいと座っていた布団から飛び降りた大瑠璃は、難しい顔をして黙り込む羽鶴の真横にしゃがんで再度名を呼ぶ。


「鶴、置物みたいだけれど瞬きくらいしたらどうなの。あんまり面倒だとお湯をかけるよ。……………………」

「痛い!!」

 痛みのあまり涙目になった羽鶴が原因の方を向けば、すこぶる機嫌の悪そうな大瑠璃が腕組みして胡座をかいている。

「会話をしに来たんじゃないの。気が済んだなら戻って寝たら?」
「考え事してて……悪かった、悪かったけど耳噛むことないじゃん!!」
「はぁ? 起きて何よりでしょ。さっさと寝なよ」

「気になることがあったの!! お前言ってることめちゃくちゃだぞ!! もう少しで思い出せそうだったの!!」
「生きてるのに死んでるみたいで嫌。思い出したら聞いたげるよ帰れ」
「だって何度も咲夜って言うから……」
「――は?」

 今度は別の意味合いで涙目になっていた羽鶴は、言葉の殴り合いでも到底勝てそうもない美人のえらく気の抜けた顔というものを見た。 


「何、誰が言ってたの……」

 見開かれた真っ黒な眼というのも珍しい。いつも余裕たっぷりの黒髪美人は、様々な言葉と可能性とで慌ただしい頭の中を整理しきれずに言い回しのない言葉をぽつりと出したきりである。

「誰って確証はないけど……時々、頭の中で、咲夜って呼ぶんだ。さっき見た夢でも、呼んでた。……ええと、その前は……迷子になったときかな……」
「相変わらず説明が下手だね」
「なんだとその通りだけどうまく言えたら言ってるからな」
「ははは。……ああ、その咲夜ってのはこの大瑠璃のことだよ」
「なんですと」
「大瑠璃は虎雄からもらった名でね。引き寄せ刀は咲夜を刺しに来るから。言ったでしょ、時越えだって。説明は面倒なんだけど」

 咲夜と呼ばれた大瑠璃の表情が心なしか明るい。大きさが規格外の行灯のせいだろうか。

「咲夜の話をしようか。嘘の嫌いな鶴」
 





13/53ページ
スキ