二.花と貴方へ

 箸の乗らぬ大瑠璃は、食べ進めようと口へ運ぶも小鳥が果実を啄む様に似た、見る側からすれば僅かに品数が減ったばかりで押し黙る。
 片手の指を除いた程の小さな弁当箱である。玉露は好んで飲むわりに、どうにも食の細い大瑠璃からひょいと弁当箱を持ち上げると黒い眼がついてくる。

「お前の動力源はどこからきてんだ、玉露か」
「まあそんなとこ」

 小魚の箸置きに乗っかる貝を散らした箸は、羽鶴が平らげるのを待って丁寧に仕舞われる。
 小亀を受け取り、親亀と共に亀甲の包みに戻した羽鶴は薄くなった靄に声を上げた。

「晴れてきた! 帰れるんじゃない大瑠璃!」

 返答がないので窓ガラスから視線を戻せば引かれた椅子には誰もおらず、教室の入り口から顔を覗かせた担任が不思議そうな表情を浮かべた。

「寄宮、誰と話しているんだ?」

 言葉に詰まった。羽鶴の思考を繋ぐ輪がことごとく踏みつけられ、割り砕かれたままその一点を見つめる。
 思考の割れた間から、大瑠璃という存在が抜けてしまったように思えた。
 見回しても引かれた椅子があるばかり、羽鶴は担任に挨拶すると鞄を持ち慌てて廊下へ出た。誰もいない廊下、薄らいできた白い靄に囲まれている外の風景。脳裏に過るはためく白いカーテン。
 自分だけが世界から切り離されてしまったような感覚に陥る。籠屋から――小生意気な美人を欠いただけで。
 羽鶴は気付かず走っていた。何度か頭を掠める、夏の日の光景。事故。近くにいた白いワンピースの女の子。
 もしかしたら、もしかしたら。あのとき大瑠璃は僕を、事故を見ていたのではないか。
 そのように感じて先程投げた問の答えは曖昧だったけれども肯定であった。ならば何故、隠す。
 両親の口止めに始まり、周りは羽鶴を気遣い詳細を伏せる。――覚えていれば、このように急くこともあるまい。

「大瑠璃、大瑠璃!!」

 校舎を出ると、靄は散り始めたところだった。見える限りの敷地にはおらず、羽鶴はなお走る。
 人の見当たらない通り道、聞こえるのは叩きつけられる靴と息切れ、軋む鞄の取っ手が発する音のみの、奇妙な静けさが羽鶴を急かす。
 籠屋は、奇妙なことが多い。暗い廊下、変わる道、唐突に咲き乱れる曼珠沙華、――引き寄せ刀。

「大瑠璃……!」

 どこいった、とは思えど口からは出てこなかった。本当にいないと思ってしまいそうだったから。これまでのすべてが夢か何かで、そう、事故のショックで見ていた幻だとしたら。周りが合わせていただけだとしたら。
 途端に怖くなった。ならば覚めずともよいと思えるほどに。
 ふと頭の中で、柔らかな声がその名を呼んだ。

『――咲夜』

 咲夜。以前も聞いた、名を呼び泣いている声。藍色に塗り潰されていく感覚の中で、確かに呼ぶ頑なな声。

「さくや……咲夜」

 羽鶴は名を呼んだ。気付かずに泣いていた。
 夜しか現れないと聞いていた引き寄せ刀に抱き寄せられて、黒い沼へと沈むように地の淵へ引きずり込まれる大瑠璃が見えた。
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