二.花と貴方へ

 箸を持つ大瑠璃は恐ろしく静かである。
 桜の花びらを象る貝殻が散りばめられた紺色の箸は一口大の料理を持ち上げ、薄い唇へ運ぶまでの所作は羽鶴の眼に焼き付いた。
 底冷えする心地の白い肌に伏せられた長い睫と漆黒の眼が映えていた。鼻筋から口許へ沿うまで、輪郭、首へかかる烏羽の髪。肩まであったものが輪郭をなぞる長さになると首から冷めていくような気がした。
 元看板。その口で何を紡いだのだろう。
 
「鶴、見すぎだよ」
「食べづらい?」
「慣れてはいるけれど落ち着かない」
「そういえばさ、杯さんに会ったよ。弟の方の。大瑠璃にものすんごく会いたがってた」
「その話はよしてよ」
「なんで避けるのさ」
「死んだら困る」

 変わらず丁寧に箸を進める大瑠璃の無表情が過去を見ていた。過去と今を行き来して、即座に叩き返された答えになぜ頷くことができずにいるのだろう。大瑠璃は籠屋の元看板、榊の姉は異様だが、彼女のように好いてくれる人が大勢いたのではと羽鶴は思う。ならば、彼はそのすべてを振り払うまで姿を見せずにいるのだろうか、そうしてしまったとして、そのあとは。
 食事中にこのような会話が出ても誰一人変わらぬ慣れた空気。慣れとは時に恐ろしい。異様だ。入ってきたばかりの羽鶴自身もいずれは慣れてしまうのか、けれどそれでは大瑠璃は、これからも引き寄せ刀が来る度に刺されてしまうのではないのか。彼が死に顔など見たくないという人たちを巻き込んで。
 以前大瑠璃は言った。巻き込まれて死んだやつだっているのだと。
 宵ノ進の膳にかかる紅葉の描かれた紙をちらりと黒い眼が追って、彼は吸い物を飲み込んだ。

「大瑠璃、引き寄せ刀はまたやってくるんだね」
「くどい」
「鶴ちゃん、その先は言っちゃいけないよ」

 朝日が柔らかく笑んでいた。水面に浮かぶ花に雲の影が乗る。日照りと涼やかな影の間、そのような表情をしている。
 踏み込むな、行くな、行かないで。そのような眼が羽鶴の耳奥に迫り来る風の音を揺り起こし、夏の日照りが蘇る。
 曼珠沙華。
 大瑠璃をさらう曼珠沙華。

「僕は――」
「ふふン羽鶴、静かな食事は性にあわンのだな? 普段はやらンが喋り通しても構わンぞ?」
「雨麟、残さないでね……」
「ちゃンと食うわ! 香炉の玉子焼き美味い」
「ありが……とう……」
「わぁー! 虎雄様がごはん食べてる……!」
「朝ァ日、お箸持ちながら見とれるなんて……もう存分に見とれるがいいわァア」
「きゃあああああ虎雄様ぁあああああああああ今日はっ! いっぱいお話できますね! 朝日虎雄様と寝たい!!」
「添い寝か」
「そう! 眠るまでお話して虎雄様の腕枕で起こしてもらう!」
「お話は良くても寝るのは自分の部屋になさいな」
「ええー!!」
「なんだこのカオス……」

 一切喋らずに箸を持つ白鈴に目を向けると会釈で返される。大瑠璃もどこか呆れたような目をしながら黙々と食べており、ここに宵ノ進がいたならばなんとなく背筋が伸びるような事態が待っていたかもしれない。
 謎の冷や汗が背を伝う羽鶴はお浸しを口へ運んだ雨麟に小さな声で訊く。

「ここに宵ノ進が戻ってきたらお叱りーなんてことないよね?」
「まァ今日は大丈夫だろ。食事の席で退席した時点で多分なにも言わないと思う。自分がマナーひとつ欠いたなら言わねえってトコあるし」
「でも雨麟超予想じゃんかあああ……!」
「きっとおそらくってンだろ!! ビビンなもー!! 明後日からいねえンだぞ!」
「え? 何旅行ってそんな早いわけ?」
「あ。うンとなンつーか、羽鶴が来る前から働きすぎで休みも取らねーから、息抜きに旅行でも出せたらなって相談してたンよ。行くのが俺らじゃどっちかってーと面倒見ますになンだろ? だから」
「乗っかってくれたのが杯ボーイってわけよォ」
「それも気ィ遣うんじゃないですか店長……」

 羽鶴にとって杯兄はすらりと背の高いなんとなく怖い人に映っている。気難しいのではと思う理由が切れ長の目と少ない表情、低い声、そしてその人物をよく知らないというところにあるのだが。

「お世話になってる医者だから問題ないよ鶴。どこぞの万年発情期とは違う」
「大瑠璃さぁ!! おま、マナー守る体でぶっ壊しにかかるのやめろよなぁああ……!!」
「はぁ、貶すものは貶さないと」
「なぜそこまですぱんと言い切れるのか」

 至って平静に言うものだからたちが悪いのではと思う。そして美人の口から容易く発せられた事実に何故だが涙が込み上げてくる羽鶴に構わず元看板は漬物を箸でひょいとつまみ上げ知らん顔で食べるのである。

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