二.花と貴方へ
「あんた、杯の兄と出掛けてらっしゃい」
「……は?」
あれやこれやと続いていた言い合いが途切れ、料理の乗った膳を運んでいた羽鶴は呆れを含んだ半眼の板前に知らずと背筋を伸ばした。
大瑠璃が羽鶴の着物を引っ張り座らされるも、そわそわと落ち着かない。虎雄は平然と胡座をかいているが、堂々と睨む板前も板前である。
「杯様は多忙な方です。わたくしなどに構う暇などございません。虎雄様は存じた上で仰る」
「からかってんじゃないわよ。お医者のスケジュールもお見通しな虎雄のお・ね・だ・り」
「す……? 虎雄様とて許せませぬ!!」
「失礼するが三日程空きがある。宵ノ進明後日発つ、整えておけ」
「杯様……?」
すっと開けた襖からは鮮やかな橙の髪が覗き、長身の白いシャツを呆然と見つめる宵ノ進が映る。脚の長い杯を見上げる羽鶴は、以前大瑠璃が脅し文句に使っていた人物に見入った。
低い声、切れ長の眼、あまり感情の乗らない表情。大きな手と落ち着きながら光を返す腕時計。
薬品の匂い。
「何故です」
わたくしなどわたくしなどわたくしなどすておいてくださればよいのに
「貴方も――」
灯りが落ちた。真っ暗闇に狼狽えて羽鶴はきょろきょろと首を動かすと、しなやかな指先に頬を遊ばれる。つついては横に引っ張るので、大瑠璃なのだろう。
畳の擦れる音を拾った。もそもそと、蝋燭の乗った皿に火を点けた香炉の顔が浮かび上がる。
「香炉びっくりする。それすごくびっくりする」
「で、虎雄。慰安旅行は三日でいいンか」
「ええ。任せてきたから」
「はいよ」
淡々とした不思議な会話に挟む言葉が見つからない羽鶴は手元に寄せられた行灯と白鈴を見るなり安堵する。内側から暖かくなるような気持ちになる、榊の恋人は柔らかく笑って大丈夫ですよ、とだけ伝えると次々と行灯に火を入れていった。
「虎雄、筆ペンある」
「ないわよあんた懲りないわね」
ぬめりとした感触に羽鶴は情けない声で叫んだ。行灯に照らされるゆったり笑む美人の顔は仄白く、夏祭りの夜を思い起こす。ただし今は片手にご所望の筆ペンを、思い切り羽鶴の頬へ走らせている。
「ねこねこ」
「大瑠璃やめてくれる?! くすぐったいんだけど!!」
「鶴ちゃんおひげと猫のひげあるー!! あはは」
「紳士っぽいわ羽鶴。ほンと、くるくるひげでよ……」
「はつる……ばかみたい……」
「ちょっとおお何それ書いた本人はいいの!? ねえええ!!」
「ご飯にしましょうか」
「宵ノ進の分はラップかけとく?」
「ラップあんのか籠屋」
「たまに……つかう……」
「え、つうか宵ノ進どこいったの?」
「最強兵器杯兄から逃げてる」
「どういうことだよ……」
羽鶴が呆れた眼をしていると、隣の大瑠璃が静かに箸を取り横へ指を滑らせていた。
「……は?」
あれやこれやと続いていた言い合いが途切れ、料理の乗った膳を運んでいた羽鶴は呆れを含んだ半眼の板前に知らずと背筋を伸ばした。
大瑠璃が羽鶴の着物を引っ張り座らされるも、そわそわと落ち着かない。虎雄は平然と胡座をかいているが、堂々と睨む板前も板前である。
「杯様は多忙な方です。わたくしなどに構う暇などございません。虎雄様は存じた上で仰る」
「からかってんじゃないわよ。お医者のスケジュールもお見通しな虎雄のお・ね・だ・り」
「す……? 虎雄様とて許せませぬ!!」
「失礼するが三日程空きがある。宵ノ進明後日発つ、整えておけ」
「杯様……?」
すっと開けた襖からは鮮やかな橙の髪が覗き、長身の白いシャツを呆然と見つめる宵ノ進が映る。脚の長い杯を見上げる羽鶴は、以前大瑠璃が脅し文句に使っていた人物に見入った。
低い声、切れ長の眼、あまり感情の乗らない表情。大きな手と落ち着きながら光を返す腕時計。
薬品の匂い。
「何故です」
わたくしなどわたくしなどわたくしなどすておいてくださればよいのに
「貴方も――」
灯りが落ちた。真っ暗闇に狼狽えて羽鶴はきょろきょろと首を動かすと、しなやかな指先に頬を遊ばれる。つついては横に引っ張るので、大瑠璃なのだろう。
畳の擦れる音を拾った。もそもそと、蝋燭の乗った皿に火を点けた香炉の顔が浮かび上がる。
「香炉びっくりする。それすごくびっくりする」
「で、虎雄。慰安旅行は三日でいいンか」
「ええ。任せてきたから」
「はいよ」
淡々とした不思議な会話に挟む言葉が見つからない羽鶴は手元に寄せられた行灯と白鈴を見るなり安堵する。内側から暖かくなるような気持ちになる、榊の恋人は柔らかく笑って大丈夫ですよ、とだけ伝えると次々と行灯に火を入れていった。
「虎雄、筆ペンある」
「ないわよあんた懲りないわね」
ぬめりとした感触に羽鶴は情けない声で叫んだ。行灯に照らされるゆったり笑む美人の顔は仄白く、夏祭りの夜を思い起こす。ただし今は片手にご所望の筆ペンを、思い切り羽鶴の頬へ走らせている。
「ねこねこ」
「大瑠璃やめてくれる?! くすぐったいんだけど!!」
「鶴ちゃんおひげと猫のひげあるー!! あはは」
「紳士っぽいわ羽鶴。ほンと、くるくるひげでよ……」
「はつる……ばかみたい……」
「ちょっとおお何それ書いた本人はいいの!? ねえええ!!」
「ご飯にしましょうか」
「宵ノ進の分はラップかけとく?」
「ラップあんのか籠屋」
「たまに……つかう……」
「え、つうか宵ノ進どこいったの?」
「最強兵器杯兄から逃げてる」
「どういうことだよ……」
羽鶴が呆れた眼をしていると、隣の大瑠璃が静かに箸を取り横へ指を滑らせていた。