二.花と貴方へ
羽鶴が籠屋へ帰れば、店を閉めきっての会議が始まった。店主の全員参加の一声に、おとなしく座布団へ座る面々がその威力を物語る。
「虎雄、お茶が飲みたい」
「おだまり大瑠璃! 玉露がいいのかしらァ!」
「出すのかよ!」
「あはは鶴ちゃんすぐ口から出しちゃう」
「香炉ー俺も運ぶぜー」
「茶菓子……あります……」
雨麟と香炉が立ち上がりお茶の用意にかかれば、羽鶴はふと普段ならば即座に動いてはお茶を出すだろう宵ノ進がだんまりと虎雄の横に座っているので首をかしげた。隣の大瑠璃は裸足の両足を投げ出してぱたぱたと動かしていたが、咎めることもなく何やら萎れている。
羽鶴は鉄二郎の事かと一人頷いた。帰り際、小声で宵ノ進を責めないでほしいと言っていた彼への謝罪は成功したのだろうが、何かと自身を責め立てる性分が今萎れている原因かもしれない。
茶菓子と玉露が揃うと大瑠璃が茶を飲み、ゆったりしているところで虎雄の声が再度響く。
会議だろうが一切畏まらない大瑠璃が誰にも釘を刺されることもないので、普段そのままなのだろうと羽鶴は気にすることをやめた。おそらくは皆が好きにさせているのだろう。できなくはない、けれど言い聞かせることをする代わりに、笑うことを止めそうな気がする。
「最近バタついてばっかだから、何か変えようと思うのよォ。意見挙げて頂戴。何でもいいわァ」
「お茶のおかわり」
「あんたは茶ァ飲んでなさい。香炉ちゃんいいのよォ。少しほっときなさい」
緩い会議の空気に羽鶴は肩の力を抜いた。お喋りな雨麟と朝日が白鈴のように静かだが、まったり茶ばかり飲む大瑠璃の空気につられるような気持ちで手を挙げた。
「時間変えたらどうですか?」
「弱い!」
「えぇ!?」
「はいはーい! 朝日女子会メニュー作りたーい!」
「さンせぇ。今来てンのって大体男衆リーマンジジイ共の飲み会だろ。女ン客が多くなりゃあ少しは綺麗に使うかもしれン」
「そりゃあんたの希望だわ」
雨麟の言葉は最後の方へゆくほど恨みがましく吐き捨てられた気がする。掃除と座敷を担当している雨麟の空色の眼が夕立へ向かい流れゆく空模様に似ている気がした。
羽鶴は真面目に再度会話に乗り出す。一度話し始めれば流れに流されて口を挟む隙など埋め尽くされてしまいそうな二人が口を開いたことで少し慌てるも、顔には出さずを努める。
「時間変えたら危ない客も減ると思うんですよ。刺すやつとか。夜が多いなら、尚更」
「……まァな」
雨麟が両腕を組んで考え込んでいる。表情は冷静、聞き流されていやしないかと羽鶴は虎雄や皆の反応を見たが、気持ちを汲み取ることが難しい。そのようなことは榊の得意分野である。今度指南願おうかと伝えたならまたからかわれそうな考えがよぎった。
「虎雄、和菓子屋はどうするの」
茶器を膳へ置いた大瑠璃が言えば、虎雄は巨体を傾けて顎へ手を添える。
朝一から昼まで開けている茶店と、夕方から夜中まで開けている料亭では今まで成り立ってきたのが不思議なことに思えるのだが、真面目な二人の板前と皆の激闘があったに違いなく、片方の板前はふわふわにこにこしていようが現に疲弊しきっている。もう片方は身を案じ、小言ひとつ漏らさないがその状態は危ういのではと羽鶴は思う。吐き出すことを手放して、従事するにはあまりに脆い。
何かが壊れている。羽鶴はそのように感じる。以前雨麟が言っていたように、全員に無理のかかる量なのである。
「そうねェ。和菓子屋は朝の九時から昼まで、料亭は昼から九時ならどうかしら」
「和菓子屋の方は短すぎない?」
「人手がないもの。あんた、夕方まで店番する気? 今は非番でしょうに。様子を見ながら変えてもいいわ」
「聞いたからな」
「好きになさい」
大瑠璃が茶を飲み始め、虎雄が視線を皆へ向けると白鈴が控えめに手を挙げる。
「和菓子屋、お手伝いしてもいいですか……?」
「好きになさいな」
「わあー! 鈴ちゃんも来るし朝日楽しみー!! カフェいいじゃんカフェー!」
「朝日主旨がずれてきてる」
「まァ楽しそうでいいわ。久しぶりの会議だし、大抵このこら話が纏まらないのよ」
「店長、だから今まで時間変えたりしなかったんですか……」
「単に事件と怪我人で話し合いの席が取れなかっただけよ」
羽鶴はちらりと思い当たる人物に眼をやるが、当人は虎雄の隣で座したまま茶器の水面を見ており、もう一方に至っては悠々と茶を飲み視線を合わせない。
「他に希望があれば聞くわ。何でも仰い」
「とらお……」
「あら香炉ちゃん珍しい」
無表情の紫髪は綺麗に正座したまま虎雄を見つめ、小さな唇を動かした。
「よいのしん、旅行……ひまができたら……」
「ああお休みね、わかったわ」
「虎雄様……!」
「はいお黙りなさい宵ノ進。今回の会議は聞き入ることと言ったでしょうに」
宵ノ進は言いたいことを堪えて再度茶器を見つめた。虎雄の言は彼には絶大な効果があることを感じながら、羽鶴はあとが恐ろしいような気がして皆を見るも、そのように感じているのは白鈴くらいらしい。彼女は見るからに顔色が青白かった。
「もうひとつ……」
「きゃああああ珍しいわ香炉ちゃん!! もっと喋っていいのよ香炉ちゃん!!」
虎雄がでかい図体で頬を両手で包み歓喜にうち震えていると、白鈴がそっと息をついて芋羊羮を小さく切っては口へ運んだ。
「座敷……いきものに少し、ほしい……」
「え、それって犬とか?」
羽鶴が訊けば、香炉は頷く。真っ黒な眼は静かであるが真剣である。
「わんこ御膳作ろうよー! あはは」
「朝日」
「そうねぇ一階奥の縁側沿い辺りがいいかしらねぇ。やってみるといいわ。やりたいことはやってこそよ」
「店長、今日決まったことってすぐ実行でいいんですか?」
「あら今日からそうするわァ。準備もあるでしょォ。明日は一般客の座敷がないからちょうどいいし」
「え、明日もお店閉まってるんですか」
「違うよ貸し切り。虎雄のなんとか会とやらで」
「なんとか会って……」
「特になければ終わるわよォ。宵ノ進は旅行先を考えるといいわァ。時間の変更に伴う支度も組んで座敷の確認、そのあとご飯にしましょ」
「あっ」
羽鶴が思い出したように声を上げたので、全員の視線が一度に集まる。
「なるべくでいいんですけど、僕、みんなでご飯食べたいなあ。できるときでいいから、みんなで。一緒に住んでるから、なんていうか……」
しばらくの間のあと、大瑠璃がくつくつと笑いだした。
「ふふ、いいよ鶴。なるべくね……ふふ……」
「なんだよ、なんで笑ってるんだよ」
「さてね……ふふ」
「今回はこれで決まりね。様子を見ながらやっていきましょォ。はい宵ノ進、会議が終わったから喋っていいわよォ」
「虎雄様の意地悪!!」
「うふふ」
長い長い虎雄と宵ノ進のやり取りが始まり、曲を聞き流すが如く食事の用意を始めた雨麟と香炉、手伝いにゆく朝日と白鈴、眠たげに聞いている大瑠璃を羽鶴はぼんやりと見つめていた。
「虎雄、お茶が飲みたい」
「おだまり大瑠璃! 玉露がいいのかしらァ!」
「出すのかよ!」
「あはは鶴ちゃんすぐ口から出しちゃう」
「香炉ー俺も運ぶぜー」
「茶菓子……あります……」
雨麟と香炉が立ち上がりお茶の用意にかかれば、羽鶴はふと普段ならば即座に動いてはお茶を出すだろう宵ノ進がだんまりと虎雄の横に座っているので首をかしげた。隣の大瑠璃は裸足の両足を投げ出してぱたぱたと動かしていたが、咎めることもなく何やら萎れている。
羽鶴は鉄二郎の事かと一人頷いた。帰り際、小声で宵ノ進を責めないでほしいと言っていた彼への謝罪は成功したのだろうが、何かと自身を責め立てる性分が今萎れている原因かもしれない。
茶菓子と玉露が揃うと大瑠璃が茶を飲み、ゆったりしているところで虎雄の声が再度響く。
会議だろうが一切畏まらない大瑠璃が誰にも釘を刺されることもないので、普段そのままなのだろうと羽鶴は気にすることをやめた。おそらくは皆が好きにさせているのだろう。できなくはない、けれど言い聞かせることをする代わりに、笑うことを止めそうな気がする。
「最近バタついてばっかだから、何か変えようと思うのよォ。意見挙げて頂戴。何でもいいわァ」
「お茶のおかわり」
「あんたは茶ァ飲んでなさい。香炉ちゃんいいのよォ。少しほっときなさい」
緩い会議の空気に羽鶴は肩の力を抜いた。お喋りな雨麟と朝日が白鈴のように静かだが、まったり茶ばかり飲む大瑠璃の空気につられるような気持ちで手を挙げた。
「時間変えたらどうですか?」
「弱い!」
「えぇ!?」
「はいはーい! 朝日女子会メニュー作りたーい!」
「さンせぇ。今来てンのって大体男衆リーマンジジイ共の飲み会だろ。女ン客が多くなりゃあ少しは綺麗に使うかもしれン」
「そりゃあんたの希望だわ」
雨麟の言葉は最後の方へゆくほど恨みがましく吐き捨てられた気がする。掃除と座敷を担当している雨麟の空色の眼が夕立へ向かい流れゆく空模様に似ている気がした。
羽鶴は真面目に再度会話に乗り出す。一度話し始めれば流れに流されて口を挟む隙など埋め尽くされてしまいそうな二人が口を開いたことで少し慌てるも、顔には出さずを努める。
「時間変えたら危ない客も減ると思うんですよ。刺すやつとか。夜が多いなら、尚更」
「……まァな」
雨麟が両腕を組んで考え込んでいる。表情は冷静、聞き流されていやしないかと羽鶴は虎雄や皆の反応を見たが、気持ちを汲み取ることが難しい。そのようなことは榊の得意分野である。今度指南願おうかと伝えたならまたからかわれそうな考えがよぎった。
「虎雄、和菓子屋はどうするの」
茶器を膳へ置いた大瑠璃が言えば、虎雄は巨体を傾けて顎へ手を添える。
朝一から昼まで開けている茶店と、夕方から夜中まで開けている料亭では今まで成り立ってきたのが不思議なことに思えるのだが、真面目な二人の板前と皆の激闘があったに違いなく、片方の板前はふわふわにこにこしていようが現に疲弊しきっている。もう片方は身を案じ、小言ひとつ漏らさないがその状態は危ういのではと羽鶴は思う。吐き出すことを手放して、従事するにはあまりに脆い。
何かが壊れている。羽鶴はそのように感じる。以前雨麟が言っていたように、全員に無理のかかる量なのである。
「そうねェ。和菓子屋は朝の九時から昼まで、料亭は昼から九時ならどうかしら」
「和菓子屋の方は短すぎない?」
「人手がないもの。あんた、夕方まで店番する気? 今は非番でしょうに。様子を見ながら変えてもいいわ」
「聞いたからな」
「好きになさい」
大瑠璃が茶を飲み始め、虎雄が視線を皆へ向けると白鈴が控えめに手を挙げる。
「和菓子屋、お手伝いしてもいいですか……?」
「好きになさいな」
「わあー! 鈴ちゃんも来るし朝日楽しみー!! カフェいいじゃんカフェー!」
「朝日主旨がずれてきてる」
「まァ楽しそうでいいわ。久しぶりの会議だし、大抵このこら話が纏まらないのよ」
「店長、だから今まで時間変えたりしなかったんですか……」
「単に事件と怪我人で話し合いの席が取れなかっただけよ」
羽鶴はちらりと思い当たる人物に眼をやるが、当人は虎雄の隣で座したまま茶器の水面を見ており、もう一方に至っては悠々と茶を飲み視線を合わせない。
「他に希望があれば聞くわ。何でも仰い」
「とらお……」
「あら香炉ちゃん珍しい」
無表情の紫髪は綺麗に正座したまま虎雄を見つめ、小さな唇を動かした。
「よいのしん、旅行……ひまができたら……」
「ああお休みね、わかったわ」
「虎雄様……!」
「はいお黙りなさい宵ノ進。今回の会議は聞き入ることと言ったでしょうに」
宵ノ進は言いたいことを堪えて再度茶器を見つめた。虎雄の言は彼には絶大な効果があることを感じながら、羽鶴はあとが恐ろしいような気がして皆を見るも、そのように感じているのは白鈴くらいらしい。彼女は見るからに顔色が青白かった。
「もうひとつ……」
「きゃああああ珍しいわ香炉ちゃん!! もっと喋っていいのよ香炉ちゃん!!」
虎雄がでかい図体で頬を両手で包み歓喜にうち震えていると、白鈴がそっと息をついて芋羊羮を小さく切っては口へ運んだ。
「座敷……いきものに少し、ほしい……」
「え、それって犬とか?」
羽鶴が訊けば、香炉は頷く。真っ黒な眼は静かであるが真剣である。
「わんこ御膳作ろうよー! あはは」
「朝日」
「そうねぇ一階奥の縁側沿い辺りがいいかしらねぇ。やってみるといいわ。やりたいことはやってこそよ」
「店長、今日決まったことってすぐ実行でいいんですか?」
「あら今日からそうするわァ。準備もあるでしょォ。明日は一般客の座敷がないからちょうどいいし」
「え、明日もお店閉まってるんですか」
「違うよ貸し切り。虎雄のなんとか会とやらで」
「なんとか会って……」
「特になければ終わるわよォ。宵ノ進は旅行先を考えるといいわァ。時間の変更に伴う支度も組んで座敷の確認、そのあとご飯にしましょ」
「あっ」
羽鶴が思い出したように声を上げたので、全員の視線が一度に集まる。
「なるべくでいいんですけど、僕、みんなでご飯食べたいなあ。できるときでいいから、みんなで。一緒に住んでるから、なんていうか……」
しばらくの間のあと、大瑠璃がくつくつと笑いだした。
「ふふ、いいよ鶴。なるべくね……ふふ……」
「なんだよ、なんで笑ってるんだよ」
「さてね……ふふ」
「今回はこれで決まりね。様子を見ながらやっていきましょォ。はい宵ノ進、会議が終わったから喋っていいわよォ」
「虎雄様の意地悪!!」
「うふふ」
長い長い虎雄と宵ノ進のやり取りが始まり、曲を聞き流すが如く食事の用意を始めた雨麟と香炉、手伝いにゆく朝日と白鈴、眠たげに聞いている大瑠璃を羽鶴はぼんやりと見つめていた。