二.花と貴方へ

 さらさら、さらさら。

 水気を取り、乾いた髪を櫛で梳く。滑らかに解ける黄朽葉色の髪は、普段のふわふわとはかけ離れ、おとなしく彼の頭蓋に沿っていた。普段三つ編みをしている左脇の髪を除けば、美しく揃う。
 何を言うわけでもなく、おとなしくされるがままになっている彼は、幼馴染の大瑠璃が盛大に顔をしかめ投げて寄越した花緑青の着物を着ている。

 投げて寄越した本人はというと、胡座をかいて腕を組み、機嫌の悪さを隠しもせず壁に寄りかかり羽鶴と幼馴染に鋭い目を向けていた。
 この空気、どうにかならないものか。羽鶴は外れぬ視線にちら、とそちらへ眼をやるも、頭の中で羅列され続ける言葉を直に浴びそうで唇を引き結んだ。

「宵、てめぇ何度目だ」

 髪を揃えてもらったのだと嬉しそうに人目を避けて客間の片付けを手伝いに来た大瑠璃が、ぐったりと倒れた鉄二郎を見つけ介抱し、羽鶴が外へと飛び出した。羽鶴が残ったとしてもおろおろとするばかりなのは明白で、手の空いている者は皮肉にも大瑠璃だけであった。
 大瑠璃は悔しげに言った。二番目の橋の下を捜せと。
 大きく弧を描く橋から、度々身を投げるのだと聞いて駆けたなら、暗がりの川から人一人を捜すなど絶望的な程に黒く塗りたくられた夜を照らしたのは仄白い光であった。
 すっと炎が風に揺られるようにして、橋の下からゆらゆらと遠退いてゆく。その下に、宵ノ進はいた。
 羽鶴が引き上げると仄白い光は消え、結果助かったはいいが。

「あの方を、裂いてきました」

 声は凪いだ水面のようであった。金の眼も一点を見つめたままでいる宵ノ進が言葉を発したので、羽鶴は息をつく。

「鉄二郎は死にかけたぞ」
「……生きて、らっしゃる……?」
「宵、悪いが」

 大瑠璃が宵ノ進の頬を打った。ぽかんと大瑠璃を見つめる宵ノ進は険しい顔の幼馴染の心情を飲み込むまでに何度か瞬きをする。

「大瑠璃! 僕の時と違う……! 加減が優しい!! 前振り付きだし!!」
「うるせえ鶴!! あれ以上の力ではたいたら腫れるだろうが!!」
「腫れた僕はどうなのさ!! この格差!! すんっっごく甘いね!!」
「申し訳、ございません……」
「ああ宵、杯呼んだから」

 胡座の上に肘をついて頬を支える大瑠璃が言うと、宵ノ進が身体を震わせた。

「杯様が……?」
「嘘」
「え、大瑠璃……では御部屋を用意しなくては……」
「それも嘘」
「え、え……?」
「宵ノ進がからかわれてる……」

 宵ノ進があわあわと大瑠璃を見る際にさらさらと流れる黄朽ち葉色の髪が羽鶴にはくすぐったかった。思わず笑うと、大瑠璃が黒い眼を寄越す。

「幼馴染なんだ。何をしようが、鬼になろうが、この大瑠璃の家族だ。手のかかるやつだがね」
「大瑠璃に手のかかるって言われちゃ周りがしっかりしてる訳だよ。働いてるときの宵ノ進は仕事の鬼って感じだもの」
「平手がいいかい鶴」
「遠慮しとくよ。ああびっくりした。橋から飛び降りるなんてさ。鉄二郎さんも無事でよかったよ。宵ノ進、ちゃんと休んだ方がいいよ」
「宵、またやったな」
「知らぬ方が良いと思いまして」

 羽鶴はおとなしく髪を梳かれている彼が鬼であることを塗り潰されたように覚えてはいなかった。

「引き寄せ刀が橋へと引きずり込むんだってさ。内緒だよ」

 少しずつ落ち着いてきた大瑠璃に羽鶴はようやく肩の力を抜いた。宵ノ進の頭へぽんと手を乗せる姿は何やら頼もしく映るも、気が荒れれば態度にそのまま出る気性こそ内密にした方が良いと心の中にしまうのである。
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