一.後ろを振り向くことなかれ

 両脇の美しい庭園に心和ます余裕があるのは隣の榊だけで、からからと奥の扉を開ける数歩の間に羽鶴の中には緊張が居座ってしまった。

「ようこそおいでくださいました。履き物はお好きな棚へお預けくださいませ」

 磨かれた木の壁や柱や諸々に目眩がする。眩しいくらいの橙色に映る籠屋の入り口で出迎えた白い髪をした着物の女の子が霞んで見えるほどに。

「羽鶴、靴脱げ靴」
「り、了解しました……!」

 榊が靴箱に靴をしまい扉を閉めると尾の長い亀が彫ってあった。羽鶴が隣に靴をしまうと鶴の模様と目が合う。全て絵柄の違う靴箱を前にして動かずにいる様はさぞ不思議なのだろう、首を傾げる着物の女の子がじっと見つめたままでいる。

(落ち着け、必要なのは一握りの勇気だ……)

 羽鶴は女の子に向き直り、白地に桃色の花が散る着物から上へと視線をずらすと薄い赤色の瞳とぶつかった。

「あの、人に会いに来たのですが、大瑠璃に会うことはできますでしょうか」
「大瑠璃に……! 少々お待ちくださいませ」

 一礼してぱたぱたと駆けていく女の子は受付横に下がる暖簾の奥へと消えた。

「ガチガチだなあ」

 榊が半分面白そうに言うので「悪かったな」と返すと笑みを深くして「どっちもだよ」と暖簾の奥を向いた。

「どうしましょう……にげ、逃げられたなんてどうお客様に伝えたら……」

 ほどなくしてとぼとぼと戻ってきた女の子は今にも泣き出しそうである。

「全部口から出てるな」
「大瑠璃が逃げたってどういうこと……?」

 びくっと肩を震わせて小さく悲鳴を上げた彼女にまあ落ち着けと言う赤メッシュが頼もしすぎる。

「お客様申し訳ございません大瑠璃はずっと非番で……お約束ならとお呼びしたのですがはぐらかされてしまい……来ていただいたのに申し訳なく……」
「泣くな、ずっと非番ってのはともかくお前遊」
「やあ鶴、そうともわざとだとも」

 榊の言葉を遮ってゆったり現れた小柄な人物に女の子が瞳一杯の涙を堪えて訴えていた。さまざまな文句があるに違いない。

「大瑠璃……!」
「こいつは癖のある美人だな羽鶴」
「いらっしゃい」

 女の子の白い頭をぽふぽふ叩きながら話す大瑠璃は、美麗な微笑みを浮かべ二名様ねと鈴を鳴らした。
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