一.後ろを振り向くことなかれ

 畳張りの部屋は十二畳、他に木製の風呂場が付いており家具はなく、欲しいものがあれば後から入れるのだと雨麟は言う。鳥が枝に留まった模様の木枠を開ければ隙間から風が流れ込み、横へずらして開け放つと広く手入れの行き届いた庭が見渡せた。旅行鞄と布団、卓袱台を部屋へ入れ好みの柄の話をしながら雨麟が暖簾や飾り棚等を勧め、小さな桐箪笥を二人で運び入れた。折り鶴柄の行灯を貰い、階段状の飾り棚と湯道具を揃え。箪笥に長着をしまいながら、羽鶴は座布団を二組置く雨麟にそれとなく聞いてみた。

「籠屋って時々道が変わるよね。廊下」
「そおかあ? 改築は速いがなあ。客はよく迷うンだ」

 可笑しそうにする雨麟に羽鶴は肩の力を抜く。オールバックのピンク頭を風が撫で、羽鶴の銀の髪をもふわふわと揺らしていった。

「よかった。暖簾ばかりの廊下があったりさ。あれじゃあ迷うよ、真っ暗だし」
「いや、ンな廊下はねえけど」
「え、僕歩いたよ? 上からお面が降ってきたりさ」
「毎日掃除してるがンな廊下はねえよ。いつだ、それ」
「大瑠璃が刺されて寝込んだ日。僕と榊が泊めてもらった日だよ。あの時は榊もすぐ寝ちゃってて」
「……虎雄に話しとくわ」
「まさか、引き寄せ刀……?」

 雨麟は違うと首を振った。空色の瞳は真っ直ぐな光を含み大きく瞬かれる。

「伝えておく。虎雄はしょっちゅういねえから、間が空くと思うが。それはそうと飯にするか! 今日は香炉の炊き込みご飯!」
「うおお美味そおお……!!」
「羽鶴の部屋も決まったし、なンか気が抜けたわ」

 雨麟が羽鶴の部屋を出たので続いて降りて行けば、廊下を通った日のことが頭から離れずに引きずり込まれそうになっていた。
 暗い廊下と続いた暖簾。木彫りの窓枠から見えた夜。窓枠、と羽鶴は瞬いた。あの日借りた部屋の窓枠は花を模していた。ならば借りた部屋さえわかればあの廊下へ辿り着く。大瑠璃は言っていた。宵ノ進の別室だと。
 一階の座敷では雨麟の言った通り香炉が食事を用意しており、雨麟と香炉、白鈴を交えた四人で頂いた。茶店の番をしている朝日は一日二食であり朝が早ければ食事をしないのだという。大瑠璃と宵ノ進は気の向いた際に食事をし、祝い事を除いて皆揃って食事をするというのは珍しいのだと聞けば、羽鶴は僅かに肩を落とす。同じ敷地内にいながら顔を会わせぬ日もあるのかと思うと、なにやらそわそわと落ち着かぬ気分になるのである。

「まァ、色々あってなあ。引き寄せ刀も出たりするしよ。昔ンことは詳しかねえが、大瑠璃と宵ノ進は最初っからいるンだと。次が朝日で、そこからしばらくは三人だったらしい。虎雄を入れれば四人で暮らしてた頃はただの茶菓子屋だって言ってたな。当時はどうだか知らねえが、今は無茶な量だと思ンぜ。料理を客へ出すようになってから――ああ無茶とか内緒な。宵ノ進にひっぱたかれるから」

 急に声を潜めた雨麟に白鈴がくすくすと笑っている。要は働きすぎなのだと白鈴が笑いながら言えば、香炉が黒い頭を頷かせ、羽鶴は言葉に困った。

「……ええと、直接言ったらいいんじゃない。働きすぎだってこと。会議とかしてさ。虎雄さんの言うことなら聞くかもしれないだろ」
「過去に直接言って弾き返されたのが白鈴です」
「えっ」
「その件で大瑠璃と喧嘩もしています」
「えっ」
「宵ノ進、真面目……」
「え、何宵ノ進はふわふわほわほわのラスボスか何かなの? 店主代理って意外と激しい……」
「あっ宵ノ進」
「ぎゃああああ」
「嘘だよ羽鶴。ごちそーさまでしたー」
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