一.後ろを振り向くことなかれ
「まあ羽鶴ちゃん!! どうしたのそんなに腫らして……!」
羽鶴の母はとぼとぼと帰ってきた息子を玄関先で抱き締めた。彼女からすれば、愛しくて愛しくて堪らない子供の痛ましい姿は二度目であった。何も話さない息子を居間のソファーへ座らせると、二階から羽鶴の父が下りてきたところだった。
「羽鶴も喧嘩をする歳になったか……」
「父さん、僕十七」
「そうなるんだなあ」
羽鶴の父はしみじみと、息子の打たれ続けた顔を見つめる。彼にしてみれば、息子は大抵打たれる側であった。その度に相談に乗った。羽鶴の父が向かいのソファーへ腰を下ろすと、息子は静かに切り出した。
「僕、籠屋で暮らすよ」
「必要なものは?」
「自分で揃える」
「宵ノ進ちゃんが言ってたよ。お預かりするのですから必ずお返し致しますって。羽鶴は聞いてなかっただろう? 普通言わないよ、返すだなんて。何かあったろう、彼に」
羽鶴は頷き、落ち着いている父親の後ろで顔色の傾き始めている母親を見つめた。いつも綺麗に化粧をして、癖のある銀髪を遊ばせながら穏やかに、背を支え時には優しく押してくれるような人を、ひどく困惑させている。そんな羽鶴の母の手を、父がそっと握った。
「僕らが信じてやるんだよ、子供は巣立つものなのだから」
「たまには、帰ってくるのよね……?」
「そりゃあ、事が済めば僕を置く理由はないだろうね」
「帰ってくるのね……」
「母さん……?」
羽鶴の母はほっとしたような、けれども何かに心を痛めた時の表情をしている。それが何なのかを訊ねるのは、とてつもなく気が引けた。入ってはいけないような気がする。羽鶴は戸惑いながらも本人が話す気になるまで待つことにし、頭の隅へと追いやった。
「夕方までには戻らないと」
「なら纏めている間にお昼を作るよ。それでだ、羽鶴」
「うん。ちゃんと学校にも行くよ」
「いつ、宵ノ進ちゃんと結婚するんだ?」
「誰がするかああ!! さっき彼って言ってたじゃないか!! 荷物まとめてくるわ!!」
「そっかあ! 女の子かあ!」
「知らねえよ!! 話がどんどん別な方に……」
羽鶴が銀髪をわしわしと掻きながら二階の自室へ向かうと、それまで立ち尽くしていた羽鶴の母はすとんと座り込む。
「あの子、外へ行かないかしら……」
「大丈夫だよ、籠屋さんで暮らすんだろう? 学校もある。さて羽鶴にご飯を作ってあげよう。一緒に作ろうか」
頷いた母の肩を抱き、父は寄り掛かられるまましばらくそうしていた。
羽鶴の母はとぼとぼと帰ってきた息子を玄関先で抱き締めた。彼女からすれば、愛しくて愛しくて堪らない子供の痛ましい姿は二度目であった。何も話さない息子を居間のソファーへ座らせると、二階から羽鶴の父が下りてきたところだった。
「羽鶴も喧嘩をする歳になったか……」
「父さん、僕十七」
「そうなるんだなあ」
羽鶴の父はしみじみと、息子の打たれ続けた顔を見つめる。彼にしてみれば、息子は大抵打たれる側であった。その度に相談に乗った。羽鶴の父が向かいのソファーへ腰を下ろすと、息子は静かに切り出した。
「僕、籠屋で暮らすよ」
「必要なものは?」
「自分で揃える」
「宵ノ進ちゃんが言ってたよ。お預かりするのですから必ずお返し致しますって。羽鶴は聞いてなかっただろう? 普通言わないよ、返すだなんて。何かあったろう、彼に」
羽鶴は頷き、落ち着いている父親の後ろで顔色の傾き始めている母親を見つめた。いつも綺麗に化粧をして、癖のある銀髪を遊ばせながら穏やかに、背を支え時には優しく押してくれるような人を、ひどく困惑させている。そんな羽鶴の母の手を、父がそっと握った。
「僕らが信じてやるんだよ、子供は巣立つものなのだから」
「たまには、帰ってくるのよね……?」
「そりゃあ、事が済めば僕を置く理由はないだろうね」
「帰ってくるのね……」
「母さん……?」
羽鶴の母はほっとしたような、けれども何かに心を痛めた時の表情をしている。それが何なのかを訊ねるのは、とてつもなく気が引けた。入ってはいけないような気がする。羽鶴は戸惑いながらも本人が話す気になるまで待つことにし、頭の隅へと追いやった。
「夕方までには戻らないと」
「なら纏めている間にお昼を作るよ。それでだ、羽鶴」
「うん。ちゃんと学校にも行くよ」
「いつ、宵ノ進ちゃんと結婚するんだ?」
「誰がするかああ!! さっき彼って言ってたじゃないか!! 荷物まとめてくるわ!!」
「そっかあ! 女の子かあ!」
「知らねえよ!! 話がどんどん別な方に……」
羽鶴が銀髪をわしわしと掻きながら二階の自室へ向かうと、それまで立ち尽くしていた羽鶴の母はすとんと座り込む。
「あの子、外へ行かないかしら……」
「大丈夫だよ、籠屋さんで暮らすんだろう? 学校もある。さて羽鶴にご飯を作ってあげよう。一緒に作ろうか」
頷いた母の肩を抱き、父は寄り掛かられるまましばらくそうしていた。