一.後ろを振り向くことなかれ

 三階の自室へ行けぬ宵ノ進を朝日の気に入りだという一階の陽当たりの良い部屋へ移すと、縁側に沿うようにして整えられた庭園から雀が二羽覗いている。雀に餌を撒き啄む姿をじっと眺める朝日は、自室から持ってきた派手な毬模様の座椅子へ座らされ羽織を膝掛け代わりに乗せられた宵ノ進と、折り鶴柄の卓袱台を挟んで折った両膝の上に拳を乗せて俯いている羽鶴へちらりと視線をやると、一度部屋から出ていった。
 戻った朝日がお茶と茶菓子を卓袱台の上へ乗せるまで会話はなく、羽鶴は俯いたまま視線を泳がせた。

「お茶をどうぞ、羽鶴様。いただきながら、お話いたしましょう」

 声は変わらずに穏やかだが、卓袱台を挟んだ先で拾える程度である。
 宵ノ進に目配せした朝日が羽鶴に手を振り襖を閉めると、庭木を揺らす風の音が残った。

「羽鶴様は、困惑されてらっしゃるのでしょう。実を申し上げますと、わたくしも、そうなのですよ」

 羽鶴が顔を上げると、宵ノ進が申し訳なさそうにしながらも、穏やかな表情を寄越す。

「わたくしは、虎雄様が仰るように時越えというもの。この場にいようはずのないもの。なれどわたくしを、家族としてくださった。この籠屋に住む者は家族なのだと仰る。わたくしを知った上で皆、そうしてくださいます。本当は、お話ししたくないのですが。羽鶴様があれに狙われてしまうなどと、二度とあってはなりません」
「僕は、……僕は。自分にできることをしたいんだ。誰かを傷付けるやり方ではなくて。知らないで喚くだけではなくて。僕は、大瑠璃に会いに来て、――僕が来たから、怪我をしたんだ。大瑠璃も、宵ノ進も。殆ど他人の僕に、ここまで尽くしてしまうのが耐えられない。おかしいよ、僕が去れば済むのに、払いもしないで」
「雨麟が泣くから、とでも申しましょうか。わたくしどもがそうしたいのだからそのようにしている、理由を申し上げれば、そうなりますね。あれは大瑠璃と、わたくしを刺しにくるのです。――わたくしは人を殺めています」

 変わらず穏やかだった。怪我のせいだろうか。既に受け入れて、幾度も考え抜いてそこに至ったのだという表情をしていた。

「どのように捉えられても構いません。わたくしはこの籠屋に来る前は、男娼をしておりました。きらびやかな船に乗り、脚に縄をかけられ。幾度も、船に。ずっと一人の男を憎んでおりました。子供を拐い、売り払うその男が雇い主になるのでしょう。その男は拐い元、と呼ばれておりました。いつの頃でしたでしょうか、わたくしは拐い元を殺めました。拐い元は、引き寄せ刀となってわたくしを刺しにくるのです」
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