一.後ろを振り向くことなかれ
外はとっぷりと暗くなっていた。
オールバックの遊女と無表情の染めた黒髪がひらひらと手を振り見送る玄関で、膝裏近くまである白く先の薄い青紫色の髪を垂らした白鈴が、参りましょうと火の灯った提灯を持つ。からからと引き戸を閉め、家はどちらなのかと聞く彼女は私服に着替えた羽鶴をまじまじとその薄い赤色の目で見ているのだろう、提灯の灯りに照らされはせど、視線の先を伝えるのがやっとだった。
彼女は仄かに青白い光を身体に保っているように見えた。内側から淡く光っているような、頼りなげながらも、優しい光である。
早く閉めていいのだという店主の言葉に存分に甘えて、お開きになった大座敷を片付けながら雨麟が大体こンな感じ、とにかっと笑った時は心底肩の力が抜けた。
洗い物など様々なことがある中で、早く帰してくれたのもまた気遣いなのだろうと思えばまた涙が零れそうだった。
そんな羽鶴の前を行く、歩幅の狭い白鈴は下駄で砂利を転がしながらただただ黙っていた。
籠屋の門を潜り、しばらく歩くと視線を感じた。じっと、見られているような、貼り付くような視線である。
前を歩く白鈴が、羽鶴さん、と名を呼んだ。
「後ろを振り向かないでくださいね。決して」
「……もしかして、引き寄せ刀?」
「隣に、来られますか」
羽鶴はゆっくりと白鈴の隣へ歩いた。昼間とは違い落ち着いている彼女の表情に眼を丸くする。あわあわしている姿が多い印象であるから、大抵そうなのだろうと思っていたのだ。
「振り向いたらどうなるの」
「顔が近くにあって、頭から食べられてしまうのだと思います。その他は、わかりません」
「よーし振り向かない」
羽鶴が言うと白鈴がくすくすと笑った。途中であ、すみません、などと慌てて言うところは変わらない。
「白鈴は籠屋までの帰り道大丈夫なの? というか僕を送っていくの大変すぎる」
「私は受付だけですし、平気です。今日はすみません、色々とばたばたしてしまって。いつもはこのようなことはないのですけれど」
「いや、忙しいところに僕分の手間が増えた方がすみません」
言えば、白鈴がまたくすくすと笑った。
「ねえ、引き寄せ刀は、どうして僕の後をついてきたりするのかな」
「……それは、私にはわかりません。ただ、引き寄せる、というのですから、理由はあるのでしょうけれど。あまり詮索すると、大瑠璃が難しい顔をするんですよ」
「あはは、見てみたいな、大瑠璃の難しい顔。そういえば、宵ノ進は大丈夫なの? 昼間に会ったきりなんだけど」
「お部屋でお休みになっていると思います。一度ああなると、寝込んでしまうらしくて」
「相当だな……人の頭は良く撫でるくせに、触られるのはだめなんだ」
「勇気のいることですよ、他者に体を許すことは。手を繋ぐことさえ、とても」
白鈴は眼を伏せた。羽鶴は首を傾げる。
ずっと貼り付いていた視線が、ふっと外れ、遠退いた気がした。そして背が、息の詰まるように凍えると、耳が遠く川の音を拾う。
羽鶴は宵ノ進に貰ったお守り袋を縋るように握った。
家に着くまで川の音は離れず、寝具へ体を投げ出すと深く沈むように眠った。
オールバックの遊女と無表情の染めた黒髪がひらひらと手を振り見送る玄関で、膝裏近くまである白く先の薄い青紫色の髪を垂らした白鈴が、参りましょうと火の灯った提灯を持つ。からからと引き戸を閉め、家はどちらなのかと聞く彼女は私服に着替えた羽鶴をまじまじとその薄い赤色の目で見ているのだろう、提灯の灯りに照らされはせど、視線の先を伝えるのがやっとだった。
彼女は仄かに青白い光を身体に保っているように見えた。内側から淡く光っているような、頼りなげながらも、優しい光である。
早く閉めていいのだという店主の言葉に存分に甘えて、お開きになった大座敷を片付けながら雨麟が大体こンな感じ、とにかっと笑った時は心底肩の力が抜けた。
洗い物など様々なことがある中で、早く帰してくれたのもまた気遣いなのだろうと思えばまた涙が零れそうだった。
そんな羽鶴の前を行く、歩幅の狭い白鈴は下駄で砂利を転がしながらただただ黙っていた。
籠屋の門を潜り、しばらく歩くと視線を感じた。じっと、見られているような、貼り付くような視線である。
前を歩く白鈴が、羽鶴さん、と名を呼んだ。
「後ろを振り向かないでくださいね。決して」
「……もしかして、引き寄せ刀?」
「隣に、来られますか」
羽鶴はゆっくりと白鈴の隣へ歩いた。昼間とは違い落ち着いている彼女の表情に眼を丸くする。あわあわしている姿が多い印象であるから、大抵そうなのだろうと思っていたのだ。
「振り向いたらどうなるの」
「顔が近くにあって、頭から食べられてしまうのだと思います。その他は、わかりません」
「よーし振り向かない」
羽鶴が言うと白鈴がくすくすと笑った。途中であ、すみません、などと慌てて言うところは変わらない。
「白鈴は籠屋までの帰り道大丈夫なの? というか僕を送っていくの大変すぎる」
「私は受付だけですし、平気です。今日はすみません、色々とばたばたしてしまって。いつもはこのようなことはないのですけれど」
「いや、忙しいところに僕分の手間が増えた方がすみません」
言えば、白鈴がまたくすくすと笑った。
「ねえ、引き寄せ刀は、どうして僕の後をついてきたりするのかな」
「……それは、私にはわかりません。ただ、引き寄せる、というのですから、理由はあるのでしょうけれど。あまり詮索すると、大瑠璃が難しい顔をするんですよ」
「あはは、見てみたいな、大瑠璃の難しい顔。そういえば、宵ノ進は大丈夫なの? 昼間に会ったきりなんだけど」
「お部屋でお休みになっていると思います。一度ああなると、寝込んでしまうらしくて」
「相当だな……人の頭は良く撫でるくせに、触られるのはだめなんだ」
「勇気のいることですよ、他者に体を許すことは。手を繋ぐことさえ、とても」
白鈴は眼を伏せた。羽鶴は首を傾げる。
ずっと貼り付いていた視線が、ふっと外れ、遠退いた気がした。そして背が、息の詰まるように凍えると、耳が遠く川の音を拾う。
羽鶴は宵ノ進に貰ったお守り袋を縋るように握った。
家に着くまで川の音は離れず、寝具へ体を投げ出すと深く沈むように眠った。