一.後ろを振り向くことなかれ
「羽鶴、何やってンだ羽鶴。お膳落とすンじゃねぇぞ!」
「え、あ、うん」
夕方、大座敷へ雨麟と羽鶴が次々と増えていく客へ料理を運んでいくと、何度となしに声をかけられる。雨麟はお客前スマイルとやらで可愛いげのある顔と声を振り撒きながらひらひらと躱し、羽鶴はぼんやりと聞き流した。
泣き腫らした顔は、朝日が化粧で整えてくれた。雨麟や朝日の好む隈取りに似た朱を瞼へ乗せられている間、羽鶴はぼんやりとされるままになっていた。その時の状態のまま、雨麟と合流し座敷を教えてもらいながら手伝うも、勘のいいピンク頭は気付いているのかもしれない。
客に声をかけられ羽鶴がぼんやり聞き流す度に雨麟が可愛らしい笑顔で他愛もない雑談をしている。
三味線やら琴やら本人の大はしゃぎの会話やらが途切れることのない朝日は一層輝いていた。座敷が静まり返ることはなく、笑い声が絶えない。
しばらくするとできあがった大人たちで更に騒がしくなり、その中心に朝日がいる。
客が何やら団結して肩を寄せ合い声を上げている様は、まだ微笑ましいのだと雨麟が言っていた。
お酒の入っていない老夫婦が朝日ちゃんと呼べばぱっと笑顔でそちらへ駆けていく。
静かに食事をしたい人からすればひたすらに騒がしいこの大座敷で、よくもまあこんなにも客が絶えぬものだと羽鶴がこぼしたなら、雨麟が味がいいからまあいいかと思えるらしいと客を眺めながら言う。騒がしさと広さとで、他には聞こえはしない。近くに寄って初めて聞こえる程の声というのは久しい。羽鶴は部活もしておらず、活気ある場所へ出掛けたのは榊に誘われライブハウスへ行ったきりである。
柊町は観光名所であるが、賑わいといえど落ち着いて見て廻る類いのものだ。
町並みを守る為に車を使うことは禁じられており、人々は徒歩、居住区は商店街から離れた場所からとなっている。
「朝日すごいね……あのテンションで夜中までなの……」
「あれはすごいわな。天性だあれは。お、こい羽鶴」
大座敷の襖を閉め足早に歩く雨麟の後に続いた羽鶴は、厨房のある座敷からひょっこり顔を出した黒い頭を見つける。
「てんむす、つくった……」
「よっしゃ! 食べてこーぜ羽鶴!」
「あれ、香炉って紫髪じゃなかった?」
「くろ、そめてる……すぐ、とれるけど……」
昼食をとった座敷の同じ場所に胡座をかいて雨麟が天むすをつまむ。香炉が隣にちょこんと座ってお茶を注ぎ、緊張感の抜けた、けれどもきりりとした顔立ちが朗らかに礼を言う。
聞けば、朝日は夕方から夜までぶっ通しで大座敷から離れることはなく、本来ならば一、二階の個室へと駆け回る雨麟は久しぶりに楽をしているのだという。
座敷が終われば掃除だが、なんて言うピンク頭は二度瞬きして茶を飲みながら視線が前を向いている。
看板娘が無休で盛り上げる座敷を思った羽鶴は、元看板ならばどのような座敷になるのだろうと巡らせた。
はしゃぎ騒ぎ立てるようなやつではない。空気ごと変わるのだろう、それでいて、許してしまうような。
(あいつ、何であんなことしたんだろうな)
頭から離れなかった。意味がわからなかった。けれど、許している。
いくら考えてもわからないのだ。
うまいこと言葉を並べながら眼を見て話すようなやつが、そうした理由など。
(直接聞いてみるか)
会えたら。
羽鶴はそっと差し出された茶を口にした。
「え、あ、うん」
夕方、大座敷へ雨麟と羽鶴が次々と増えていく客へ料理を運んでいくと、何度となしに声をかけられる。雨麟はお客前スマイルとやらで可愛いげのある顔と声を振り撒きながらひらひらと躱し、羽鶴はぼんやりと聞き流した。
泣き腫らした顔は、朝日が化粧で整えてくれた。雨麟や朝日の好む隈取りに似た朱を瞼へ乗せられている間、羽鶴はぼんやりとされるままになっていた。その時の状態のまま、雨麟と合流し座敷を教えてもらいながら手伝うも、勘のいいピンク頭は気付いているのかもしれない。
客に声をかけられ羽鶴がぼんやり聞き流す度に雨麟が可愛らしい笑顔で他愛もない雑談をしている。
三味線やら琴やら本人の大はしゃぎの会話やらが途切れることのない朝日は一層輝いていた。座敷が静まり返ることはなく、笑い声が絶えない。
しばらくするとできあがった大人たちで更に騒がしくなり、その中心に朝日がいる。
客が何やら団結して肩を寄せ合い声を上げている様は、まだ微笑ましいのだと雨麟が言っていた。
お酒の入っていない老夫婦が朝日ちゃんと呼べばぱっと笑顔でそちらへ駆けていく。
静かに食事をしたい人からすればひたすらに騒がしいこの大座敷で、よくもまあこんなにも客が絶えぬものだと羽鶴がこぼしたなら、雨麟が味がいいからまあいいかと思えるらしいと客を眺めながら言う。騒がしさと広さとで、他には聞こえはしない。近くに寄って初めて聞こえる程の声というのは久しい。羽鶴は部活もしておらず、活気ある場所へ出掛けたのは榊に誘われライブハウスへ行ったきりである。
柊町は観光名所であるが、賑わいといえど落ち着いて見て廻る類いのものだ。
町並みを守る為に車を使うことは禁じられており、人々は徒歩、居住区は商店街から離れた場所からとなっている。
「朝日すごいね……あのテンションで夜中までなの……」
「あれはすごいわな。天性だあれは。お、こい羽鶴」
大座敷の襖を閉め足早に歩く雨麟の後に続いた羽鶴は、厨房のある座敷からひょっこり顔を出した黒い頭を見つける。
「てんむす、つくった……」
「よっしゃ! 食べてこーぜ羽鶴!」
「あれ、香炉って紫髪じゃなかった?」
「くろ、そめてる……すぐ、とれるけど……」
昼食をとった座敷の同じ場所に胡座をかいて雨麟が天むすをつまむ。香炉が隣にちょこんと座ってお茶を注ぎ、緊張感の抜けた、けれどもきりりとした顔立ちが朗らかに礼を言う。
聞けば、朝日は夕方から夜までぶっ通しで大座敷から離れることはなく、本来ならば一、二階の個室へと駆け回る雨麟は久しぶりに楽をしているのだという。
座敷が終われば掃除だが、なんて言うピンク頭は二度瞬きして茶を飲みながら視線が前を向いている。
看板娘が無休で盛り上げる座敷を思った羽鶴は、元看板ならばどのような座敷になるのだろうと巡らせた。
はしゃぎ騒ぎ立てるようなやつではない。空気ごと変わるのだろう、それでいて、許してしまうような。
(あいつ、何であんなことしたんだろうな)
頭から離れなかった。意味がわからなかった。けれど、許している。
いくら考えてもわからないのだ。
うまいこと言葉を並べながら眼を見て話すようなやつが、そうした理由など。
(直接聞いてみるか)
会えたら。
羽鶴はそっと差し出された茶を口にした。