一.後ろを振り向くことなかれ

「…………濁すなよ」

 たっぷり間を置いた後、羽鶴が声を絞り出した。大瑠璃は頬杖をつきゆったりと他人事のように聞いている。

「自分を見世物って言ったり、大好きだっていう人たちから逃げたり、理由があるなら、原因なくしちゃえばいいんだ。人のこと思いやるくせに、何で引き離すのさ」
「好きだと言った相手はみんな死んだ」

 彼は、変わらずに頬杖をついたままゆったりと、微笑みながら言った。
 漆黒の、その黒い眼に吸い込まれてしまいそうだ。

「だから言わないでいる。適当に距離を置く。ねえ、見世物だと言ったこと、まだ気にしているの? 気にすることでもないよ。鶴。そうだね、所謂罰というやつだよ。見世物のように生きてきたの。満足した?」
「大瑠璃、引きずるの、ここでやめようよ」
「どうして。人には適当な距離というものがあるんだよ鶴」
「わかってる」
「わかってないよ」

 大瑠璃はゆったり構えた表情や雰囲気こそ変わりなかったが、柔らかみのある声の中に、棘が混じっている。

「時越えは引き寄せ刀に追いかけ回されるの。巻き込まれて死んだやつだっている。嫉妬だよ。巻き込みたくないんだよ。誰の死に顔も見たくないんだよ。けりをつけるって言ったじゃない。それまで籠屋の中にいてよ」
「僕は……! 抱え込むなって言ってるの! 巻き込むとか関係ないから! 僕が好きで首突っ込んでるの! あんなのと一人でけりをつけるなんておかしいよ、もう誰も死なないようにすればいいじゃん! 相談すればいいじゃん! 僕は力になりたいの!」
「続きをしに来るんだよ。引き寄せ刀は」

 大瑠璃が笑うのをやめた。声の調子は変わらずにただ羽鶴の方を真っ直ぐに見たその眼を見つめているのが怖かった。

「転々とした先でずっと飯事していたの。人形の役だよ。火を放ってみんな殺したの。巻かれて死ぬはずだった。けれどのうのうとここにいて、美味しい御飯を食べて、みんなと暮らしている。引き寄せ刀は言葉を無くしているからね、言いたいことがある分刺すよ。ね、何も庇うことなんてないよ。刺されるだけのことをしているの」

 返す言葉が見つからない。うっすら笑った大瑠璃は、自分で自分を傷つけているのではなかろうか。時折大瑠璃の言葉の意図がわからない。彼は重要な部分を隠して話す癖がある。それで何かが抜けたまま続く会話に深く入り込もうが、言わないと決めたことは言わないのだからまったくひねくれている。

「大瑠璃、僕は……」
「失礼致します」

 もふっ、と頭の上に優しい感触が乗っかる。
 声のした方を向けば、鉄紺の着物が左右に伸び、大瑠璃の頭の上にも手のひらが乗っている。

「羽鶴様、廊まで響いていましたよ。大瑠璃、お茶を用意しました。朝日が呼んでいましたよ」

 何度か撫でられた後、大瑠璃は何も言わずに暖簾をくぐり出ていった。
 羽鶴はやんわり撫でられていることにはっとして、慌てて大丈夫だからと声をかける。

「宵ノ進、ごめん」
「大瑠璃は気が強いですからね。羽鶴様、お茶はいかがですか」
「大丈夫……ってもう淹れてるぅうう……!! 早ッ!! 生菓子も出てる!! 早ッ!!」
「お昼までわたくしが御一緒しますよ。大瑠璃は普段休んでいる頃合いなのです」

 お礼を言って、お茶をいただいていると入ってきたお客がぱっと笑顔になり宵ノ進に挨拶をしていた。板前の彼が和菓子屋にいることは珍しいらしく、和やかな雰囲気にああ、似合っていると思ってしまう。
 茶菓子もご馳走になってから宵ノ進の隣で手伝うと、途切れぬ客の相手をしながら崩れぬ落ち着いた雰囲気と花の香りに安らいだ。
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