一.後ろを振り向くことなかれ

「榊、……あれ。珍しい」

 羽鶴が襖を開けると、ゆらゆら灯る橙色の火が布団の上に転がった榊を照らしていた。掛け布団も被らずに制服のまま横になっている榊は、まるで倒れ込んだよう。
 水桶が乗った盆を下ろし、もう一度声をかけるも榊が起きる気配はなかった。

「普段こうなのかな。ふふ」

 クラスでは居眠りの気配すらない友人と泊まり込みというのも実は初めてだ。
 そういえば今は何時なのだろう。羽鶴は思うも、部屋には時計がなく、榊のポケットを漁って携帯を見るのも気が引ける。
 羽鶴は大瑠璃の隣に腰を下ろすと、水桶に浸し濡らした手拭いを仄白い額の上へ乗せた。

「怪我、早く治るといいね」
「羽鶴様、夜着をお持ちしました」
「早!! ど、どうぞ!」

 襖の向こうからの落ち着いた声に心臓がばくばくいっている。
 先程顔を会わせたばかりだというのに、また気を遣わせてしまっただろうか。
 失礼致します、の声の後にすっと開いた襖の先は、両膝を折り畳んだ着物を持ちながら丁寧に頭を下げるのである。

「火は眠る頃には消えましょう。こちらはお下げ致します」

 夜着を受け取りながら、膳を持つ宵ノ進を羽鶴はぼんやりと見た。花の香りもそうだ、些細な仕草も、雰囲気も、眠る前のような。妙な心地になる。

「ありがとう、宵ノ進」

 ぴたりと、一度手が止まった彼は、申し訳なさそうな、けれども照れくさそうな顔をして、短い返事をした。

「安心して、おやすみなさいませ。お話は明日、いたしましょう」
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