三.菊花百景

「大事ないが何をしてこうなった」
「いやあのこれは」
「杯様、蔵の整理をしていましたら拍子にこうさくりと」
「宵ノ進ならあり得るが……まあいい」
「まぁ酷いです杯様! わたくしそこまでの怪我はしておりませぬ!」
「どの口が言う。今日様子を見て悪化するようならまた来い」

 翌日、早々に病院へ行くと特に表情の変わらない杯が言うには羽鶴の両眼は一度切れた後すぐさま元通りにくっついた上で正常に機能しており、日常生活に支障は無いという。
 引き寄せ刀については宵ノ進は何も言わず、人目があるからなのだろうかと内心首を傾げた羽鶴であるが、そもそも話しているのだろうか? などと思考を巡らせてはみたが結局のところわからないので宵ノ進が話さないのであれば良いと考えることを放棄した。


「ようございましたね羽鶴様」
「うん……おかげさまで……宵ノ進、ほんとに怪我大丈夫?」
「あら、杯様も何も仰らなかったでしょう? 昨日は少し走りましたし、こんなにもおしゃべりですし。どうも傷の治りも早いのですよ、杯様が驚かれるくらいには。まあ、鬼ですし。身体が丈夫なのは良いことなのではと思いますけれど。羽鶴様はわたくしがお守り致しますゆえ」
「走ったの!? いや作戦提案したのは僕だけど……まさか通って即実行だとは思わないじゃん、そのくせみんなに迷惑かけたじゃん、へこむよね、僕守られてばかりだし……」
「羽鶴様が手を引いてくださらなければ、わたくしはあのまま沈んでいたのですよ。ありがとうございます、羽鶴様」

 病院からの帰り道、時間に余裕があるためゆったりと歩く宵ノ進と羽鶴は飴屋に立ち寄った。色とりどりの飴玉が瓶に詰められてきらきらと輝いている。羽鶴はぼんやりと朝日の顔を浮かべ、青色の花を使ったのだという飴を見ると大瑠璃の顔を浮かべる。非常に怠そうに茶を飲んでいた大瑠璃は、虎雄の札とツツジの札を使った反動がこたえたらしく不機嫌だった。
 白鈴や雨麟、香炉は一晩寝たら元気になったらしいが、みんなに負担をかけてしまったことを今更ながら胸の内で何度も詫びる。知らず唇を引き結んでいた羽鶴に、宵ノ進はふわりと頭を撫で微笑みかけた。

「羽鶴様、こちらなど如何です? 蜂蜜の飴なのですって」
「宵ノ進、僕さ……なんにもしてないのに、みんなに迷惑ばっかりかけちゃって、情けなくて。思うんだ、いない方がよかったんじゃないかって。そしたら全部上手くいったんじゃないかって。それで……」
「羽鶴様、貴方が呼んでくださらなかったら、わたくしはいなかったのですよ。毎日たくさん、頂いてばかりです。皆が気になりますか? 文句があれば直接羽鶴様に言うと思いますけれど」
「そう、だよね……ありがとう。みんなに飴買っていこう」
「この七色の飴は何と書かれているのでしょう……? 摩訶不思議な気配がいたしますれば……」
「どれどれ……? えーっとドラゴンフルーツミックスハッカ小豆飴…………やめとこう、宵ノ進。きっと湯呑みが飛んでくる。あ、僕さっき宵ノ進が言ってた蜂蜜の飴とべっこう飴がいいなあ。朝日たちにどれにしようかなあ。大瑠璃はあの青い花のやつがいい」
「奇妙な小豆の飴なのですね……ふむ。お抹茶の飴にしようかしら。あら、羽鶴様! こちらの飴はさくさくしているのですって!」
「え! 不思議ー。雨麟好きそう! 雨麟にはこれにしようかな! あとはー……」



「たくさん買っちゃったね」
「楽しみですね、羽鶴様。まさか金箔入りの飴もあるだなんて驚きました。虎雄様、喜んでくださるかしら」
「きっと喜んでくれるよ。宵ノ進、また一緒に買い物してくれる?」
「もちろんですとも。そうです羽鶴様、お聞きしたいことがあるのですが宜しいですか?」
「うん」
「あの、わたくしの、名をどちらで知られましたのかと……」
「夢で、見たんだ。そこで教えてもらった。あれは、宵ノ進だったと思うから。咄嗟に叫んでた。応えてくれて、ありがとう」
「さようでござりますれば。あまりそちらの名を呼ばれることなどないものでして。なにやらこそばゆいですね」

 ただ一人を除けば、その名を呼ぶものはいなかったのではないかと思う程に。

「葉琴」
「はい」

 彼は呼ばれると穏やかに微笑んだ。

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