三.菊花百景
「鶴ちゃん、鶴ちゃん!」
「羽鶴様、早く手当を」
暗闇には変わりなかったが、聞き慣れた声がする。
「朝日、宵ノ進……? みんな無事?」
「無事だよー!! ていうか鶴ちゃんが今も心配!!」
羽鶴は目を開く。一瞬ぼやりとしたが、心配の滲む顔が三つ。聞けば、紙飛行機が破け散った途端、両眼から血を流して倒れたらしい。
ハンカチで血を拭ってくれていた朝日に膝枕される格好でいた羽鶴は起き上がると礼を言い、心配無いと告げる。
「医者に診てもらった方がいいんじゃねぇのかぃ」
「鉄二郎さん……大丈夫です、不思議となんともなくて」
「そうかぃなら良かった……なら俺はおいとますらぁ」
「ちょっと待て若の助、両足首を見せな!!」
「え、何朝日どうしたの」
「鉄二郎まさか怪我を……? 見せてくださいまし」
「いやなんともねぇって! 帰してくんな!」
「うるせぇなさっさと見せろ鉄二郎」
「大瑠璃!」
鉄二郎がうげ、と苦い顔をした先には水桶を手にした大瑠璃がおり、ゆったり歩いて来ては草履の上から水をかけると上がった湯気の元を覗き込む。
軽くぺらりとめくった着物から覗けた両足首には黒い指の跡が残っていた。
「え、それって……」
「虎雄が水かけて拭いてやれってさ。自分でやるとか言わないでよ。この大瑠璃が拭いてあげるんだからね」
「おめぇほんとうにいい性格してるよな……」
手拭いで指の跡をなぞられている鉄二郎の表情は硬く、黒く染まってゆく手拭いにあわあわとした宵ノ進に応える様子も無い。大瑠璃が一通り拭き終わると礼を言い、そのまま帰ろうとするのを再度朝日が呼び止める。
「おい若の助、今夜も泊まってけ」
「なんでぃ朝日嬢、用は済んだろ?」
「草履びしょびしょのまま帰る気~? この籠屋から~? 適当なお部屋使っていいから一晩泊まってけ!」
「ではお部屋をご用意致しますれば……」
「宵ちゃんも本調子じゃないんだからたまには朝日ちゃんに任せな! みんな籠屋に収納~」
「そういえば僕おなかすいたな」
「さすが鶴だよね」
「え、何……?」
「でしたらわたくし何か拵えますので皆でゆっくりされてはと……」
「だからぁ! 怪我人は黙っとけってえのー! こーちゃんに何か作ってもらうかあるものになるけど……うええ~そうだこーちゃんたち休んでるんだった……よし! 朝日が! 作る!」
「やめてくださいまし朝日、厨房の勝手などわからないでしょう」
「まぁとりあえず皆中に入りなよ。寒い」
「ついてこい野郎共!」
朝日に続いた羽鶴と鉄二郎を見送って、門を閉じてから玄関に向かった宵ノ進に大瑠璃は柔らかな眼を向けた。
「おかえり、宵」
「ただいま、大瑠璃」
二人は揃って玄関へ入ると鍵を閉め、小さく溜息を吐いた宵ノ進の髪を大瑠璃が撫で付ける。
「皆に、御迷惑を……」
「みんな無事で文句ある奴いるの?」
「本当に、皆無事なのでしょうか……。わたくし、結井郎に怪我をさせましたし、……鉄二郎の言っていた心当たりとやらが顔を出さぬのも気に掛かっておりまして……」
「一人失明した」
「そんな、……」
「覚悟の上で踏み込んだから気にするな、だと。まぁ気にはするよね。今度顔を出しに行こうか? 許しが出ればね」
一人にしない心遣いに、宵ノ進は項垂れる。
「ええ、ええ……。ほんとうに、御迷惑を……」
言葉がつっかえてしまう。どう償えば良いのか見当もつかずに暗闇へ放り込まれた心地になってしまう。実際に光を欠いたのは見知らぬ誰かであるのに。
「ほら、宵。着替えておいで。それとも一緒に行こうか?」
「いえ……そこの小部屋を借りましたから、すぐに参ります」
受付近くの小部屋へと引っ込んだ宵ノ進を見送った大瑠璃は、壁にもたれて待つこととする。虎雄とツツジの札を使った反動で、頭がまだくらくらしている。使った瞬間に、嫌がらせのように最も見たくないものを見せられた。今も休んでいる白鈴、雨麟、香炉の三名もおそらくそうなのだろう。皆が無事、とは伝えたが、それは命が無事であるという意味合いで。
「大瑠璃……、待っていたのですか」
「おやほんとうにすぐに出てきた」
ちらりと小部屋の中を覗けば、畳の上に散らかる着物や簪が映る。本人はといえば髪はさらさらと流れていたけれども珍しく着流しで、大瑠璃は内心あれまぁと瞬いたのだった。
「羽鶴様、早く手当を」
暗闇には変わりなかったが、聞き慣れた声がする。
「朝日、宵ノ進……? みんな無事?」
「無事だよー!! ていうか鶴ちゃんが今も心配!!」
羽鶴は目を開く。一瞬ぼやりとしたが、心配の滲む顔が三つ。聞けば、紙飛行機が破け散った途端、両眼から血を流して倒れたらしい。
ハンカチで血を拭ってくれていた朝日に膝枕される格好でいた羽鶴は起き上がると礼を言い、心配無いと告げる。
「医者に診てもらった方がいいんじゃねぇのかぃ」
「鉄二郎さん……大丈夫です、不思議となんともなくて」
「そうかぃなら良かった……なら俺はおいとますらぁ」
「ちょっと待て若の助、両足首を見せな!!」
「え、何朝日どうしたの」
「鉄二郎まさか怪我を……? 見せてくださいまし」
「いやなんともねぇって! 帰してくんな!」
「うるせぇなさっさと見せろ鉄二郎」
「大瑠璃!」
鉄二郎がうげ、と苦い顔をした先には水桶を手にした大瑠璃がおり、ゆったり歩いて来ては草履の上から水をかけると上がった湯気の元を覗き込む。
軽くぺらりとめくった着物から覗けた両足首には黒い指の跡が残っていた。
「え、それって……」
「虎雄が水かけて拭いてやれってさ。自分でやるとか言わないでよ。この大瑠璃が拭いてあげるんだからね」
「おめぇほんとうにいい性格してるよな……」
手拭いで指の跡をなぞられている鉄二郎の表情は硬く、黒く染まってゆく手拭いにあわあわとした宵ノ進に応える様子も無い。大瑠璃が一通り拭き終わると礼を言い、そのまま帰ろうとするのを再度朝日が呼び止める。
「おい若の助、今夜も泊まってけ」
「なんでぃ朝日嬢、用は済んだろ?」
「草履びしょびしょのまま帰る気~? この籠屋から~? 適当なお部屋使っていいから一晩泊まってけ!」
「ではお部屋をご用意致しますれば……」
「宵ちゃんも本調子じゃないんだからたまには朝日ちゃんに任せな! みんな籠屋に収納~」
「そういえば僕おなかすいたな」
「さすが鶴だよね」
「え、何……?」
「でしたらわたくし何か拵えますので皆でゆっくりされてはと……」
「だからぁ! 怪我人は黙っとけってえのー! こーちゃんに何か作ってもらうかあるものになるけど……うええ~そうだこーちゃんたち休んでるんだった……よし! 朝日が! 作る!」
「やめてくださいまし朝日、厨房の勝手などわからないでしょう」
「まぁとりあえず皆中に入りなよ。寒い」
「ついてこい野郎共!」
朝日に続いた羽鶴と鉄二郎を見送って、門を閉じてから玄関に向かった宵ノ進に大瑠璃は柔らかな眼を向けた。
「おかえり、宵」
「ただいま、大瑠璃」
二人は揃って玄関へ入ると鍵を閉め、小さく溜息を吐いた宵ノ進の髪を大瑠璃が撫で付ける。
「皆に、御迷惑を……」
「みんな無事で文句ある奴いるの?」
「本当に、皆無事なのでしょうか……。わたくし、結井郎に怪我をさせましたし、……鉄二郎の言っていた心当たりとやらが顔を出さぬのも気に掛かっておりまして……」
「一人失明した」
「そんな、……」
「覚悟の上で踏み込んだから気にするな、だと。まぁ気にはするよね。今度顔を出しに行こうか? 許しが出ればね」
一人にしない心遣いに、宵ノ進は項垂れる。
「ええ、ええ……。ほんとうに、御迷惑を……」
言葉がつっかえてしまう。どう償えば良いのか見当もつかずに暗闇へ放り込まれた心地になってしまう。実際に光を欠いたのは見知らぬ誰かであるのに。
「ほら、宵。着替えておいで。それとも一緒に行こうか?」
「いえ……そこの小部屋を借りましたから、すぐに参ります」
受付近くの小部屋へと引っ込んだ宵ノ進を見送った大瑠璃は、壁にもたれて待つこととする。虎雄とツツジの札を使った反動で、頭がまだくらくらしている。使った瞬間に、嫌がらせのように最も見たくないものを見せられた。今も休んでいる白鈴、雨麟、香炉の三名もおそらくそうなのだろう。皆が無事、とは伝えたが、それは命が無事であるという意味合いで。
「大瑠璃……、待っていたのですか」
「おやほんとうにすぐに出てきた」
ちらりと小部屋の中を覗けば、畳の上に散らかる着物や簪が映る。本人はといえば髪はさらさらと流れていたけれども珍しく着流しで、大瑠璃は内心あれまぁと瞬いたのだった。