三.菊花百景

「てっちゃん!」
「宵ノ進……綺麗だな」
「てっちゃん、わたくしもう……」
「ここじゃなんだ、俺の部屋で話そうかぃ」

 すばめ屋二階の鉄二郎の部屋に上がった宵ノ進は、ほっとした表情でもう夜に出歩いても良いのだと、化物は退治されたのだと語る。静かに聞いていた鉄二郎は、「そいつぁよかった」と一言返しては、宵ノ進の顔をじっと見つめた。

「ところでよ、宵ノ進。最近杯のやつとよく会ってるんだって?」
「え、ええ……杯様にはよくしていただいて……」
「俺たちのことは思い出せたかぃ?」
「い、いいえ……」
「宵ノ進」

 どさり、宵ノ進は鉄二郎に組み敷かれる。

「てっちゃ……」
「俺は怒ってるんだ」

 両の手首を押さえつけられ、その力の入りように心臓が跳ねる。

「やだ、いやだ……鉄二郎」
「…………」

 ゆらり、宵ノ進を見下ろす鉄二郎の眼は暗い。

「っ、は」

 身体に触れられるたびに反応してしまう。舌が喉の傷痕を舐め、ふるりと身が震える。
 大切にしなかったからだろうか。鉄二郎を大切にしなかったから、このような、……。

「ぁ、……」

 男娼時代に似せた着物。手をまとめ上げられ簡単に暴かれる。あの時もそうだった。いくら悲鳴を上げたとて、助けなど来ないのだ。悲鳴は聞きたくもない嬌声に変わり、気が付けば一人這いつくばって目を覚ますのだ。また、だ。また、心が冷えて終わる。

「う、……」

 苦しい苦しい苦しい。快い快い快い。心を置き去りにして身体は応じてしまう。唇を噛んで視線を逸らす。あんな暗い眼は、知らない。
 ただただただただ苦しさと快楽が押し寄せて、居場所の無い心は涙となって去ってゆく。
 熱い。苦しい。何度も何度も何度も名を呼んだ。応えは無く、虚しさが増すばかり。只の客であればいいのに、ざくり、胸が痛む。

「っ、あ、あ……」









 乱れた着物、涙の跡。気を失っている宵ノ進を見下ろす鉄二郎の背中から、僅かな黒い靄が立ち上っては消えた。
 途端、血の気が引く。

「俺、は……何てことを……!!」

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