三.菊花百景

「僕この三日考えたんだけど」

 ようやく泣き止んだ羽鶴が皆の前で語ったのは、その場の誰もが一度は考えを巡らせた事柄であった。

「誘き出して叩くしかないと思うんだ、このままだとずっとやられっぱなしだ」
「俺はともかく宵を餌にしようってか」
「大瑠璃は落ち着いて~。鶴ちゃん叩くってどうするわけ? できたらしてるよ?」
「そこはみんなの力を借りたい……だって二体もいる。一体ずつ叩きたい。宵ノ進が酷い怪我させられたんだから、時間がないと思う。だから、やるなら宵ノ進を付け狙ってる方から……」
「あーあー内密にって話だったのによ。知らンからな羽鶴、で? 俺らは何すりゃあ良いわけ」
「できればでいいんだけど――……」





 夜、籠屋の提灯に火が入る。
 大きな門を照らす提灯の灯りを背に、髪を整え女物で着飾った宵ノ進が敷地外に一歩踏み出す。しゃらりと音を立てる簪が、強張るでもなくただただ静かに佇む美しさを引き立てているように羽鶴は思えた。本人曰く、男娼時代の衣服に出来るだけ似せたのだという。

「これ、つつ兄から」
「うん、ありがとう雨麟」

 羽鶴は三枚の札を受け取って、ぐっと唇を引き結ぶ。

「緊張してるならやめれば?」
「まーたそういうこと言うー。大瑠璃は連絡ついたの?」
「鉄二郎の心当たりとやらはあてにならんな。みんな障りが出てるってよ。相手が強過ぎるんだ」
「鈴ちゃんこーちゃん準備いい?」
「怖いですけど、やります……!」
「やる……」
「虎雄様は籠屋を守ってくれてるからヤバかったら籠屋に退がればいいからね!」
「つーかなー、これで釣れる引き寄せ刀も引き寄せ刀だよなー」
「きた」

 宵ノ進と朝日が同時に呟く。視界には何も映らなかったが、何度か聞いた嗤い声が響き渡った。

「お久しゅうございます」

 嗤い声が響き渡る。宵ノ進の声を掻き消して、空気が肌にへばり付く。

「さあくらえ~! 虎雄様特製呪詛返しの札~!!」

 朝日が赤字で眼玉模様の描かれた白い紙を前方へ突き出す。朝日に続いて雨麟、白鈴、香炉も同じく紙を出し、見えない引き寄せ刀がいるであろう空間が一瞬黒く靄がかかった。

『絹糸絹糸絹糸絹糸絹糸おおおおおおおおおお』

 嗤い声は男の声へと変わり、瞬間朝日たちの持つ紙が黒く染まって破け散る。次いで大瑠璃と羽鶴が同じ紙を出すと、黒い靄が立ち上り宵ノ進を覆っているのが見えた。

「わたくしは、籠屋の宵ノ進にございます。誰が! 貴方のものになど!!」

 宵ノ進は小刀を握ると前方へと振りかざした。彼にははっきりと引き寄せ刀が見えている。べしゃり、と黒い血が辺りに散らばって、つんざく悲鳴が響き渡った。大瑠璃と羽鶴の持っていた紙が黒く染まって破け散る。

「鶴、一枚貸してくれる」
「う、うん……」

 羽鶴が持つツツジから預かった札を一枚大瑠璃が受け取ると、門前に立て掛けておいた弓を取り矢にくくり付けてはぎりり、と宵ノ進の頭上を狙って矢を放った。同時に上がる引き寄せ刀の悲鳴。めらめらと空間が燃え上がり、それは人の何倍にも膨れ上がり燃え続けた。

「これで、終いです」

 幾分小さくなった炎の中に宵ノ進が小刀を突き立てると、小さな悲鳴と共に炎は火の粉となって弾けた。

「見えなく、なった……?」

 宵ノ進が呟くように言うので、羽鶴は駆け寄る。彼にしか見えていなかったモノはそこにはいないらしい。半ば放心したように、宵ノ進は羽鶴の方を向く。化粧をして髪を整えた彼は美しく、一瞬どきりとしてしまった。

「羽鶴様、……わたくしの呪詛は、こんなにも、呆気ないものだったのですね」

 羽鶴は言葉を返せなかった。彼の長い長い苦しみに、返してやる言葉など羽鶴は持ち合わせていなかった。

「倒したのかな……?」
「心の臓を潰しましたから……これでもう、皆に心配をかけずに済みます……ああ、そうだ……てっちゃんにも伝えなくては。上手くいきましたと……。わたくし、もう夜に出歩いても良いのですものね……?」
「宵、一人じゃ……」
「大丈夫です、すぐに戻りますから」

 てこてこと歩いて行ってしまった宵ノ進に深い溜息をついた大瑠璃は、「怖かったですー!!」と朝日に抱きついている白鈴と渋い顔の雨麟と香炉を見遣ると弓を持って籠屋の中に入ってしまった。

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