三.菊花百景
翌日、授業に身の入らなかった羽鶴を心配した榊に事情を説明すると話を聞いてくれ、少し気持ちの軽くなったところで補習もそこそこに籠屋へ帰ると朝日が出迎えた。
「鶴ちゃん準備できてるぜ! ゴー!!」
「ありがとう朝日、行こうか」
珍しく振袖ではなく落ち着いた色合いの訪問着を着た朝日は羽鶴の隣を歩くと騒ぐでもなく天気の話や夕飯の話などして会話が途切れることはなかった。
「宵ちゃん起きてるといいね」
「うん」
「こーちゃんたちを責めないでね、行けないだけだから」
「うん、わかってる」
「鶴ちゃんは恋してる?」
「えっなんでいきなりそんな」
「してないの?」
「僕は……いや待ってだってあーもう……そういえば大瑠璃は?」
「鶴ちゃんてはっきりしないよね」
「うっ」
「大瑠璃は先にお見舞いに行ったぜ!」
「あーあいつ待つ感じじゃないもんな僕遅くなったし……」
「ちょー仲良いからね」
話している間に病院が見えてくる。
羽鶴は息を飲む。佇む和洋の大屋敷。各階の灯りを抱える和洋の建物のずっと奥に、白い車両が見えたのだ。
「車……」
柊町は車が禁止されている。居住区や商店街を離れたところに広がる農地には馬が多くいると聞くが、行ったことはないので細かい仕組みがわからない。そもそも急患がある場合も町中に救急車もなかった気がする。
ぽつりと溢した羽鶴に朝日が「あの辺は隣町との境なんだよ」と付け足してくれた。広大な敷地の半分程が隣町のものならば、柊町の拘る決まり事に縛られる筈もなく。羽鶴は自分が小さく映る和洋の建物に怖気づいた。『杯医院』の文字を見つけ心臓が跳ねる。
(病院……僕のいた……なんだかとても嫌だ……)
何を覚えているわけでもないのに。
意識のないまま、隣町から転院して、目が覚めただけの。
“知ってる? 鶴。身体は言葉を聴いているんだって。眠っている間も”
大瑠璃の言葉が蘇った。もしかしたら、身体がずっと聴いていたというのか。足がすくむような物言いを。
履物を脱いで内履きに足を入れることさえ気が引けた。ぺたぺたと歩きづらい音をさせながら、古い板張りの床を朝日と歩いてゆく。怯えている間に受付などとうに済んでおり、声が掛かるまでの間周りを見れば人だらけで、和洋の内装の更に奥を見つめればだんだんと無機質になっていく院の内装に思わず目を逸らした。
昨日は何とも思わなかったのに、と羽鶴は俯く。
(籠屋に帰りたい……)
ずっと胸の内がざわざわする。白い部屋白いベッド白いカーテン、嗅ぎ慣れない消毒液が鼻をつく。
(…………僕は死を待っていた)
意識が戻るまでの間、この身体が聞いていたであろう事柄を想像してしまい震えが止まらない。
小さな部屋。必死に止めたであろう両親。
目が覚めた時の事はあまり覚えていない。気がつけば夏祭りの夜、大瑠璃に会っていた。
「鶴ちゃん大丈夫?」
廊下で朝日が顔を覗き込む。「あんまり……」と返して病室の戸を開けるとベッドに寄り添う黒髪を見つけて安堵する。
「見舞いに来たぜ野郎共!」
「まだ目を覚まさない」
「そっかあていうか怪我酷くない?」
「えっどこ怪我してるの首と……」
「いろいろだよ鶴。普通死んでたって。傷の治りも異常に早いから杯が驚いてた」
「じゃあ良くなるんだ、よかった……」
「虎雄が隣で寝てるから騒がないであげて。夜の番で神経使ったみたいだから」
「…………」
「あ、起きた」
「宵」
「……、……」
「あ、そうか喉やられたから声が出ないんだ……」
「あの馬鹿ぶん殴ってくる」
「大瑠璃ここ病院」
「ということで朝日ちゃんがボード作ってみたよ~! これでおしゃべりできるでしょ!」
「なんかそれお気軽にできる降霊術の紙みたい……」
「なにを言うか仮名板だよ! ほら宵ちゃん使ってみて!」
寝ぼけたような眼の宵ノ進は人差し指をすす、と動かして平仮名を指していく。
「すぐによくなりますおにだから」
「じゃあ安心だね! ん?」
「ごめいわくをおかけして」
「気にするなー宵ちゃんみんな今安心してるとこだから」
「ありがとうございます」
「鶴ちゃん準備できてるぜ! ゴー!!」
「ありがとう朝日、行こうか」
珍しく振袖ではなく落ち着いた色合いの訪問着を着た朝日は羽鶴の隣を歩くと騒ぐでもなく天気の話や夕飯の話などして会話が途切れることはなかった。
「宵ちゃん起きてるといいね」
「うん」
「こーちゃんたちを責めないでね、行けないだけだから」
「うん、わかってる」
「鶴ちゃんは恋してる?」
「えっなんでいきなりそんな」
「してないの?」
「僕は……いや待ってだってあーもう……そういえば大瑠璃は?」
「鶴ちゃんてはっきりしないよね」
「うっ」
「大瑠璃は先にお見舞いに行ったぜ!」
「あーあいつ待つ感じじゃないもんな僕遅くなったし……」
「ちょー仲良いからね」
話している間に病院が見えてくる。
羽鶴は息を飲む。佇む和洋の大屋敷。各階の灯りを抱える和洋の建物のずっと奥に、白い車両が見えたのだ。
「車……」
柊町は車が禁止されている。居住区や商店街を離れたところに広がる農地には馬が多くいると聞くが、行ったことはないので細かい仕組みがわからない。そもそも急患がある場合も町中に救急車もなかった気がする。
ぽつりと溢した羽鶴に朝日が「あの辺は隣町との境なんだよ」と付け足してくれた。広大な敷地の半分程が隣町のものならば、柊町の拘る決まり事に縛られる筈もなく。羽鶴は自分が小さく映る和洋の建物に怖気づいた。『杯医院』の文字を見つけ心臓が跳ねる。
(病院……僕のいた……なんだかとても嫌だ……)
何を覚えているわけでもないのに。
意識のないまま、隣町から転院して、目が覚めただけの。
“知ってる? 鶴。身体は言葉を聴いているんだって。眠っている間も”
大瑠璃の言葉が蘇った。もしかしたら、身体がずっと聴いていたというのか。足がすくむような物言いを。
履物を脱いで内履きに足を入れることさえ気が引けた。ぺたぺたと歩きづらい音をさせながら、古い板張りの床を朝日と歩いてゆく。怯えている間に受付などとうに済んでおり、声が掛かるまでの間周りを見れば人だらけで、和洋の内装の更に奥を見つめればだんだんと無機質になっていく院の内装に思わず目を逸らした。
昨日は何とも思わなかったのに、と羽鶴は俯く。
(籠屋に帰りたい……)
ずっと胸の内がざわざわする。白い部屋白いベッド白いカーテン、嗅ぎ慣れない消毒液が鼻をつく。
(…………僕は死を待っていた)
意識が戻るまでの間、この身体が聞いていたであろう事柄を想像してしまい震えが止まらない。
小さな部屋。必死に止めたであろう両親。
目が覚めた時の事はあまり覚えていない。気がつけば夏祭りの夜、大瑠璃に会っていた。
「鶴ちゃん大丈夫?」
廊下で朝日が顔を覗き込む。「あんまり……」と返して病室の戸を開けるとベッドに寄り添う黒髪を見つけて安堵する。
「見舞いに来たぜ野郎共!」
「まだ目を覚まさない」
「そっかあていうか怪我酷くない?」
「えっどこ怪我してるの首と……」
「いろいろだよ鶴。普通死んでたって。傷の治りも異常に早いから杯が驚いてた」
「じゃあ良くなるんだ、よかった……」
「虎雄が隣で寝てるから騒がないであげて。夜の番で神経使ったみたいだから」
「…………」
「あ、起きた」
「宵」
「……、……」
「あ、そうか喉やられたから声が出ないんだ……」
「あの馬鹿ぶん殴ってくる」
「大瑠璃ここ病院」
「ということで朝日ちゃんがボード作ってみたよ~! これでおしゃべりできるでしょ!」
「なんかそれお気軽にできる降霊術の紙みたい……」
「なにを言うか仮名板だよ! ほら宵ちゃん使ってみて!」
寝ぼけたような眼の宵ノ進は人差し指をすす、と動かして平仮名を指していく。
「すぐによくなりますおにだから」
「じゃあ安心だね! ん?」
「ごめいわくをおかけして」
「気にするなー宵ちゃんみんな今安心してるとこだから」
「ありがとうございます」