三.菊花百景

 翌朝、宵ノ進がすばめ屋へ行くというので羽鶴は同行することにした。大瑠璃は朝に弱く寝ており、朝日も同じく寝ており、白鈴もまだ起きておらず、欠伸をしながら掃除していた雨麟と寝ぼけ眼の香炉に行き先を伝え見送られてからというもの、柊町の秋の朝は寒く、羽織を掛けてもらった羽鶴は悠長に歩く隣の人物の花の香りに酔いながら、この人は誰も起きていなかったら誰と出歩くつもりだったのだろうと小首を傾げる。また虎雄との約束を破って一人で、な気がした。そもそも、誰かと一緒にでなければ外出を許されないという縛りが無ければ一人で行っていたと思う。けれど何故早朝に、その問いを、宵ノ進は「すばめ屋は朝が早いですから」とだけ返してくれた。

 すばめ屋はさほど遠くなく、いつも通う学校への道とは別の場所を通るので新鮮ではあったが何度か曲り角を通ったので少し迷いそうな印象だった。この道を鉄二郎は荷物を乗せて来ているのか。そう思いながら見上げた建物は和装建築の二階建てで横に広いように映った。隣に空いた更地には荷物を乗せて運ぶ手押し車が何台か停めてある。看板にはすばめ屋の文字。早朝からばたばたと人の気配がし、忙しそうだと羽鶴は思った。

「今は忙しいんだ、帰ってくんな!」
「そうですか。失礼を。では」

 鉄二郎に用があると言えば大抵通してもらえていた宵ノ進は初めて門前払いを受け真顔ですばめ屋を後にする。慌てて付いていく羽鶴は出迎え早々言い切った男がずっと睨んでいるのが怖くて宵ノ進に寄り添った。

「すみません、羽鶴様。御足労いただいたのに怖かったでしょう。あれは結井郎です。恥ずかしながら、わたくしとはどうも合わぬのですよ。いつもなら嫌な顔をして通してくれるのですがね。困りました、てっちゃんにお話があったのですが」
「ううん、大丈夫。怖かったけど名前聞いたらわかった、こないだ文句言いに来てたんだって」
「まあ……。最近活発ですこと。羽鶴様、少しお散歩して帰りましょうか」
「うん」

「杯様にね、子供が欲しいと言われたのです」
「へぇ……え??」
「御受けしました、杯様の願いですから」
「待って宵ノ進男の人同士でどうやって?? え??」
「さあ、それは杯様にしかわからぬのですが……何やら方法があるようで……。昨晩羽鶴様を送った後に虎雄様に聞いたのですよ、わたくしとてっちゃんはどのような関係であったのか。耳を疑いました。本当に婚姻を前提にした御付き合いを重ねていたというではないですか。けれど今のわたくしには覚えが無いのです。まだ幾分幼き頃に遊びに連れ出してくれた頃くらいしか思い出せぬのです。本当に、遊んでいるだけで……楽しかった。なれどそこからがわからぬのです。あれがすべて持っていったというのなら、あれを消し去れば思い出せるかもしれませぬ。ですから、てっちゃんに再度お話を……と思ったのですが」
「情報量が多すぎて僕はどうしたらいいんだ……でもさ、また話ならできるんだしさ、今日でなくてもまた訪ねてくるって」
「そう、ですね。あまり日が開かぬ方が良いと思いましたけれど……」


 早朝、それは唐突に音になった。
 後ろから人の駆けてくる足音がしたと思えば、即座に振り向いた宵ノ進が金の眼を細めて低く唸る。羽鶴が目にした時には、向けられた刃物を腹に刺さる寸前で押さえている宵ノ進と、先ほど門前で二人を追い払った結井郎が映った。
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