三.菊花百景

 その日、夕食には山で採った山菜や焼き魚が並んだが宵ノ進の姿は無く部屋に篭っているらしかった。
 香炉が火鉢に火を入れてくれているお陰で暖かかったが、羽鶴の胸中はなにやら重い塊が沈んだように思えた。皆が食事を褒める中で、大瑠璃が適当に返事を返している。なぜそういられるのだろう、今までも。鉄二郎さんも。そう思うと、箸が進まなかった。

(僕なら、耐えられない)

「鶴ちゃん元気ある?」
「朝日」
「実は……」
「ええ~!! それはてつじろーがわるい!!」
「僕は関係性とか殆ど知らないからびっくりしちゃって」
「カンケーとかカンケーないの!! 無理矢理はダメ!!」
「そう、だよね……事情があってもさ……」
「それって気持ちの押し付けなの! 大事にしなきゃなの!」
「朝日それずっと待たされた挙句他の奴に取られそうでも言える?」
「むむ……! 大瑠璃はてつじろーの肩を持つか!」
「肩持ちも何も事実だから。鉄二郎はもう耐えられないんだろうね」
「でも無理矢理はダメでしょ。お互い苦しいよ」
「思い出すきっかけになればと思ったんだろうね」
「朝日ちゃんはー、それでもやられたらヤだなー。宵ちゃん平気な訳なくない? 顔合わせるの気まずくない? 大事にされてなくない?」
「それは宵が決めることだよ」
「大丈夫かな宵ノ進……」
「会いに行ってみれば?」
「え」
「宵ちゃんの部屋行くのめんどくさい廊下だけど行って話でもしてみれば?」
「でも……いいのかな……」
「じゃやめれば?」
「朝日ぃ~……」
「鶴の好きなようにしたらいいんじゃない」

 食事を終え、風呂も済ませた後で三階の廊下をぺたぺた裸足で歩く羽鶴は花枠に沿って進むも広く入り組んでいる中で辿り着けないでいた。

(道案内頼むんだった……幸い使ってない部屋は扉が開いてるからわかりやすいけれど……広……灯りないのも怖……)

 事前に聞いた部屋の場所と手持ちの提灯だけが頼りである。振り返ればいけないので進むしかなく、それは道を間違えれば即真っ暗闇へ放り込まれる事を意味する。何度も廊下の暗闇に入ってしまった羽鶴であるが、そのお陰ですっかり暗闇の廊下が怖くなってしまっている。うっすらと漂う花の香りでさえ怖い。

「羽鶴様……?」
「ひゃ!!」

 奥の廊下から宵ノ進がすっと現れたので心臓が跳ねてしまった羽鶴は提灯を取り落としそうになる。それを受け止めた宵ノ進は小さく息を吐くと羽鶴に握り直させた。

「羽鶴様の気配がしましたので、近くまで来てみたのですが……驚かせてしまい申し訳ございません」
「だって宵ノ進提灯も持ってないからすって……びっくりしちゃって……」
「わたくし暗がりでも見えるのですよ。鬼ですからね」

 ふふ、と笑う宵ノ進に少し安堵した羽鶴ははっと用件を思い出す。

「宵ノ進大丈夫だった? その、昼間の……。傷付いた、と思って」
「お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね……てっちゃんはいつもなら強引に物事を進めないのですが……ええ、わたくしは大丈夫です。慣れておりますから」

 あ、やっぱり傷付いてる。

「慣れちゃだめだよ宵ノ進。僕鉄二郎さんのことよく知らないけど、無理矢理はだめだと思う」
「てっちゃんは優しい方ですよ。……わたくしが何かで怒らせてしまったのでしょうね。籠屋に来たばかりの頃はよく遊びに連れ出してくれて……くれて……?」

 言葉の途切れた宵ノ進は、思い出せない、と呟いた。

「きっとこれですね、てっちゃんが言っていたのは。あれのせいでわたくしが狂ったと。思い出せない事柄がありますもの」
「うーん引き寄せ刀が全部悪いのでは」
「あれは執念深いですからね。今度こそ、消し去ってしまわなくては」
「でもどうすればいいんだろう……見当がつかなくて……」
「羽鶴様は何も御心配なさらずに。わたくしが、きっと。さあ、冷えてしまわぬうちにお部屋へお戻りを。わたくしが道案内致しますゆえ」
「宵ノ進、行っちゃわないよね……?」
「ええ、約束してしまいましたもの。ふふ」

 羽鶴は促されて歩き出す。隣を宵ノ進が歩いて、ふと両親の元へ挨拶に行った時のようだと思い起こした。あの時とは、随分距離も様子も違っているとは思うけれど。

「山は、どうでしたか? 疲れてしまわれました?」
「上りは疲れたけど、楽しかった。葉っぱとか川とか綺麗でさ。二人とも楽しそうだったしさ。よかったよ」
「それはようございました」
「僕と宵ノ進、よく夜に廊下で会うね。なんだか可笑しい」
「おや、羽鶴様ったら。夜遊びなさいます?」
「しませんー!! もうなんでそうなるんだもう……! そういうのは! 好きな人とするの!」
「いけませんか……?」
「えっだからその」
「ん、んふふ……あははは……」
「あーもう! からかったな! まあいいか僕で遊んでいいって言っちゃったからな……」
「わたくしどちらでもよいのですけれど。手ほどきが必要な時はお呼びください、きっと応えて見せますとも」
「だーかーらー!! 大丈夫だったらー!! またからかって!!」
「羽鶴様、どこまで“遊んで”良いのです?」
「えっ」
「口吸いは」
「いけません!」
「いけませんか……」

 何かの基準が崩壊している宵ノ進の遊びの範疇さえもずれていて途方に暮れた羽鶴であった。
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