三.菊花百景
三人で魚とお弁当を食べた後はゆっくりと散策しながら山を下った。
籠屋へ戻ればちょうど昼過ぎ、店の玄関前に青い長髪が見えた。
「てっちゃん……」
「おう宵ノ進、話がある」
「……いやです」
「いや聞いてもらう」
「でも」
「ここでいい」
羽鶴は退席しようとしたが玄関前に鉄二郎がいるので通れずにあわあわとした。鉄二郎は道を開ける気も無く、大瑠璃と羽鶴がいても構いはしないという体で口を開く。
「宵ノ進、俺らが恋仲だったって覚えているか?」
「何を……」
「結婚を前提に付き合っていたことは?」
「そんな話……嘘です!!」
「覚えてないんだな、何にも」
「大瑠璃、てっちゃんが……」
「…………」
「嘘……」
「本当だ、宵ノ進。忘れちまってるだけだ。昔約束したろう、それも忘れちまってるが、俺は宵ノ進を諦めきれねえ。できるはずがねえ」
「なんで、どうして……なぜ黙っていたのです大瑠璃……? わたくし、だってわたくしは……!」
「すまない宵、言うに言えなかった」
「てっちゃんだって……! 濁さずに話してくれたら……!」
「俺も困惑してたんだ。急に態度が変わっちまったから。でもこないだはっきりした。化物のせいで宵ノ進が狂っちまったってわかったんだ。俺はそいつをなんとかする。そうしたら、また一からやり直そう。約束も結び直そう。俺は宵ノ進を愛してる。嫁に欲しい。必ず助ける」
「いや、いや……! どうして、どうして……!! あれのせい……? また、あれの……」
困惑する宵ノ進の両手が耳元へいったので羽鶴はどきりとした。力の入った指先がまた耳を切り裂いてしまうのではという想像に駆られた。血濡れの面を思い起こして、羽鶴が言葉を出す前に鉄二郎が宵ノ進の手首を捕らえては口付けた。
「いや」
「嫌かぃ?」
「紫京さま……」
「……」
「いや、……ん、ふぅ……」
今度は深く口付けられて苦しそうにした宵ノ進は片手で鉄二郎の身体を押すとそのまま平手を喰らわした。
「……!」
一度鉄二郎を睨め付けて籠屋の中へと走り去る宵ノ進を見送った青い長髪が羽鶴らを振り返る。その眼は普段の人懐こさとは違いどこか影が降りたようだった。
(紫京さま、か)
「鉄二郎、やりすぎ」
「お前は過保護すぎ」
「帰って」
「また来る」
そう言って去った鉄二郎に羽鶴は何も言えず立ち尽くした。そんな羽鶴を大瑠璃が手を引いて籠屋の中へと招き入れ、脱ぎ捨てられていた草履を整えるとひとつ溜息を零し、
「そういうことなんだよ」
と眼を伏せたのだった。
籠屋へ戻ればちょうど昼過ぎ、店の玄関前に青い長髪が見えた。
「てっちゃん……」
「おう宵ノ進、話がある」
「……いやです」
「いや聞いてもらう」
「でも」
「ここでいい」
羽鶴は退席しようとしたが玄関前に鉄二郎がいるので通れずにあわあわとした。鉄二郎は道を開ける気も無く、大瑠璃と羽鶴がいても構いはしないという体で口を開く。
「宵ノ進、俺らが恋仲だったって覚えているか?」
「何を……」
「結婚を前提に付き合っていたことは?」
「そんな話……嘘です!!」
「覚えてないんだな、何にも」
「大瑠璃、てっちゃんが……」
「…………」
「嘘……」
「本当だ、宵ノ進。忘れちまってるだけだ。昔約束したろう、それも忘れちまってるが、俺は宵ノ進を諦めきれねえ。できるはずがねえ」
「なんで、どうして……なぜ黙っていたのです大瑠璃……? わたくし、だってわたくしは……!」
「すまない宵、言うに言えなかった」
「てっちゃんだって……! 濁さずに話してくれたら……!」
「俺も困惑してたんだ。急に態度が変わっちまったから。でもこないだはっきりした。化物のせいで宵ノ進が狂っちまったってわかったんだ。俺はそいつをなんとかする。そうしたら、また一からやり直そう。約束も結び直そう。俺は宵ノ進を愛してる。嫁に欲しい。必ず助ける」
「いや、いや……! どうして、どうして……!! あれのせい……? また、あれの……」
困惑する宵ノ進の両手が耳元へいったので羽鶴はどきりとした。力の入った指先がまた耳を切り裂いてしまうのではという想像に駆られた。血濡れの面を思い起こして、羽鶴が言葉を出す前に鉄二郎が宵ノ進の手首を捕らえては口付けた。
「いや」
「嫌かぃ?」
「紫京さま……」
「……」
「いや、……ん、ふぅ……」
今度は深く口付けられて苦しそうにした宵ノ進は片手で鉄二郎の身体を押すとそのまま平手を喰らわした。
「……!」
一度鉄二郎を睨め付けて籠屋の中へと走り去る宵ノ進を見送った青い長髪が羽鶴らを振り返る。その眼は普段の人懐こさとは違いどこか影が降りたようだった。
(紫京さま、か)
「鉄二郎、やりすぎ」
「お前は過保護すぎ」
「帰って」
「また来る」
そう言って去った鉄二郎に羽鶴は何も言えず立ち尽くした。そんな羽鶴を大瑠璃が手を引いて籠屋の中へと招き入れ、脱ぎ捨てられていた草履を整えるとひとつ溜息を零し、
「そういうことなんだよ」
と眼を伏せたのだった。