三.菊花百景
*
「ねえ、咲夜。お願いがあるの」
真昼、ゆっくりと身体を起こした幼馴染は蕩けた眼を寄越した。
ああ、誰がお前をそうしてしまったのだろう。自分の知る幼馴染のお願いは、どうということはない、願いの塊であったけれども、そこに誰かが絡むことはなかった。誰かが、美しい草木を踏み均して、挙句歪めたおねだりは、いつから薄暗い陰を纏うようになったのだろう。そこに、自分がいてやれたなら。何度となく思った。自分がそばで支えてやれたなら。あの日のように、幼馴染は何の曇りもなく声を震わすだけでよかったというのに。
「おはよう、宵。何、お願いって」
「杯様に、会いたい」
「そう、じゃあ連絡してみるから待っていて。杯は多忙なんだから、あんまり期待はしないでくれる」
「ありがとう、咲夜」
「もう少し寝ていたら。必ずこの部屋に戻ってくるから」
言えば、もぞりと布団にくるまってひとつ瞬いた幼馴染に、大瑠璃はそっと眼を伏せる。
部屋を出て、受付近くの壁掛け電話の応答を待つ間、途方も無い心地になる。幼馴染の状態は、あまりよろしくはない。だから虎雄は誰かを付ける選択をした。一人でどこかに行ってしまわないのは良いことだが、そのおねだりが他者を少なからず蝕む事になろうとも止められぬ想いがあるという事実が、なにやら重くもたつく塊を、大瑠璃に思わせるのである。
受話器の向こうからはとびきり明るい声がした。
「大瑠璃?! どうしたの俺とデートしてくれるの大瑠璃!?」
「宵が杯兄に話があるって。その間だけならいいけど」
「ヤッッッッッッター!! デートだ! 大瑠璃とデート!! 聞いた登石!? 俺遂に大瑠璃とデートするよ!!」
「ちょっと落ち着いてくれる夏馬。兄の方は都合がつくわけ?」
「沢! 兄貴の予定表出して!! ウワァみちみち……ちょっと電話で聞いてみるからすぐ掛け直すから待ってて! 俺のデートがかかってるから!!」
待つ事しばし、お昼の休憩に口を挟む形になっただろう事を頭の隅だけで詫びながら、再度受話器を取る。
「明日なら良いって! 午後空けてくれた!!」
「ありがたいけど大丈夫なの? さっき忙しいって言ってなかった?」
「兄貴の即断は変えられないので! 詳しいことは俺にはわからないけど、明日そっちに行くから!」
「……いや、お昼頃にそちらへ向かうよ。たまにはね、散歩がてら」
「嘘でしょ大瑠璃が俺とおうちデートしてくれるなんて……俺のコレクションが火を噴くやつ……」
「お前の家でかいんだから連れ回さないでくれると助かるのだけれど。言ったからね、じゃ、明日」
「ウワー!! 切らないで愛し」
受話器を置いた大瑠璃は小さく溜息をついた。幼馴染は誰のものでもない。そう、誰のものでもないのだ。鉄二郎の顔が浮かんだ。あいつの怒りもよくわかる。だから尚の事喧嘩になった。ぐるぐると幾人もの感情が渦巻いてあまり居心地がよろしくない。引き寄せ刀の影響もあって、だんだんと変化してゆく幼馴染。取り巻く人々。季節は移ろって、自分だけが置き去りになるような心地に陥る。そも、引き寄せ刀の元が何であるのかは知れど、その間の幼馴染を知らぬ。自分は硝玻に愛されはせど、幼馴染は。
引き寄せ刀に影響を受ける度に幼馴染は壊れてゆく。どうして。どうすれば――。
「うぉーい今日一番のねぼすけ~! 朝日ちゃんはお昼ご飯食べたぞ!」
「朝日に言われたくないんだけど。残り物でも適当に食べるよ」
「こーちゃんがそろそろ起きるかなってソワソワしてたよ~。その案! 却下!」
「わかったわかった、宵と行くから。何でついてくるわけ?」
「ねー今日買い物行かない? 朝日ちゃんは荷物持ちがほしい!」
「朝日虎雄の話聞いてた? 鉄二郎を二日も借りたからすばめ屋の中が煩いかもって言ってたでしょ、今日はやめたら?」
「え~。若の助は気にするな~って言ってたじゃーん。それに明日出かけるなら今日のおあずけはずるいぞ!!」
「あーはいはいわかった荷物持てばいいんでしょ、宵を置いてけないから一緒に行くよ」
「やったー!! 着飾ってやろうぞ!!」
「やめたげてよ……」
本気で溜息が混じった大瑠璃をよそに、朝日が襖をがらりと開ける。
「おーい最強のねぼすけ~い!! お買い物行くぞー!!」
「朝日……わたくしまだ着替えていないのですが?」
「お布団の中だからセーフじゃない?」
「せえ……?」
「いいから。朝日は部屋から出る」
「今夜波がくるよ」
「朝日」
「二人に。だから買い物行こ。気分! 転換!」
「覚悟しとくよ。ほら後ろ向くか暇潰してて」
「三秒で着替えな!!」
「帯は難しいやもしれませぬ……」
「宵真に受けなくていいから」
布団の中でううむ、と悩ましげにする宵ノ進に半眼を向けながら、障子を開けて庭を見る朝日の元へ雀が寄り付き鳴き声を上げていた。
「ねえ、咲夜。お願いがあるの」
真昼、ゆっくりと身体を起こした幼馴染は蕩けた眼を寄越した。
ああ、誰がお前をそうしてしまったのだろう。自分の知る幼馴染のお願いは、どうということはない、願いの塊であったけれども、そこに誰かが絡むことはなかった。誰かが、美しい草木を踏み均して、挙句歪めたおねだりは、いつから薄暗い陰を纏うようになったのだろう。そこに、自分がいてやれたなら。何度となく思った。自分がそばで支えてやれたなら。あの日のように、幼馴染は何の曇りもなく声を震わすだけでよかったというのに。
「おはよう、宵。何、お願いって」
「杯様に、会いたい」
「そう、じゃあ連絡してみるから待っていて。杯は多忙なんだから、あんまり期待はしないでくれる」
「ありがとう、咲夜」
「もう少し寝ていたら。必ずこの部屋に戻ってくるから」
言えば、もぞりと布団にくるまってひとつ瞬いた幼馴染に、大瑠璃はそっと眼を伏せる。
部屋を出て、受付近くの壁掛け電話の応答を待つ間、途方も無い心地になる。幼馴染の状態は、あまりよろしくはない。だから虎雄は誰かを付ける選択をした。一人でどこかに行ってしまわないのは良いことだが、そのおねだりが他者を少なからず蝕む事になろうとも止められぬ想いがあるという事実が、なにやら重くもたつく塊を、大瑠璃に思わせるのである。
受話器の向こうからはとびきり明るい声がした。
「大瑠璃?! どうしたの俺とデートしてくれるの大瑠璃!?」
「宵が杯兄に話があるって。その間だけならいいけど」
「ヤッッッッッッター!! デートだ! 大瑠璃とデート!! 聞いた登石!? 俺遂に大瑠璃とデートするよ!!」
「ちょっと落ち着いてくれる夏馬。兄の方は都合がつくわけ?」
「沢! 兄貴の予定表出して!! ウワァみちみち……ちょっと電話で聞いてみるからすぐ掛け直すから待ってて! 俺のデートがかかってるから!!」
待つ事しばし、お昼の休憩に口を挟む形になっただろう事を頭の隅だけで詫びながら、再度受話器を取る。
「明日なら良いって! 午後空けてくれた!!」
「ありがたいけど大丈夫なの? さっき忙しいって言ってなかった?」
「兄貴の即断は変えられないので! 詳しいことは俺にはわからないけど、明日そっちに行くから!」
「……いや、お昼頃にそちらへ向かうよ。たまにはね、散歩がてら」
「嘘でしょ大瑠璃が俺とおうちデートしてくれるなんて……俺のコレクションが火を噴くやつ……」
「お前の家でかいんだから連れ回さないでくれると助かるのだけれど。言ったからね、じゃ、明日」
「ウワー!! 切らないで愛し」
受話器を置いた大瑠璃は小さく溜息をついた。幼馴染は誰のものでもない。そう、誰のものでもないのだ。鉄二郎の顔が浮かんだ。あいつの怒りもよくわかる。だから尚の事喧嘩になった。ぐるぐると幾人もの感情が渦巻いてあまり居心地がよろしくない。引き寄せ刀の影響もあって、だんだんと変化してゆく幼馴染。取り巻く人々。季節は移ろって、自分だけが置き去りになるような心地に陥る。そも、引き寄せ刀の元が何であるのかは知れど、その間の幼馴染を知らぬ。自分は硝玻に愛されはせど、幼馴染は。
引き寄せ刀に影響を受ける度に幼馴染は壊れてゆく。どうして。どうすれば――。
「うぉーい今日一番のねぼすけ~! 朝日ちゃんはお昼ご飯食べたぞ!」
「朝日に言われたくないんだけど。残り物でも適当に食べるよ」
「こーちゃんがそろそろ起きるかなってソワソワしてたよ~。その案! 却下!」
「わかったわかった、宵と行くから。何でついてくるわけ?」
「ねー今日買い物行かない? 朝日ちゃんは荷物持ちがほしい!」
「朝日虎雄の話聞いてた? 鉄二郎を二日も借りたからすばめ屋の中が煩いかもって言ってたでしょ、今日はやめたら?」
「え~。若の助は気にするな~って言ってたじゃーん。それに明日出かけるなら今日のおあずけはずるいぞ!!」
「あーはいはいわかった荷物持てばいいんでしょ、宵を置いてけないから一緒に行くよ」
「やったー!! 着飾ってやろうぞ!!」
「やめたげてよ……」
本気で溜息が混じった大瑠璃をよそに、朝日が襖をがらりと開ける。
「おーい最強のねぼすけ~い!! お買い物行くぞー!!」
「朝日……わたくしまだ着替えていないのですが?」
「お布団の中だからセーフじゃない?」
「せえ……?」
「いいから。朝日は部屋から出る」
「今夜波がくるよ」
「朝日」
「二人に。だから買い物行こ。気分! 転換!」
「覚悟しとくよ。ほら後ろ向くか暇潰してて」
「三秒で着替えな!!」
「帯は難しいやもしれませぬ……」
「宵真に受けなくていいから」
布団の中でううむ、と悩ましげにする宵ノ進に半眼を向けながら、障子を開けて庭を見る朝日の元へ雀が寄り付き鳴き声を上げていた。