三.菊花百景

 虎雄と鉄二郎が退室し、それに続こうとした雨麟と羽鶴を大瑠璃が呼び止めた。

「雨麟、無理はしないでくれる」
「なンのことやら……」
「この大瑠璃に誤魔化しが効くとでも? 引き寄せ刀をどうにかしようと思ってるでしょ。死ぬからやめて」

 即バレた。どうなってるんだこの美人。羽鶴が固まる横で雨麟が渋い顔をしては折れた。

「俺がどうこうできる話じゃねぇのは解ってるから、つつ兄に相談しようと思ってたンだ。つつ兄なら、何か良い意見をくれると思ってよ」
「さっきのがどこまで視ているのかわからないよ。ツツジまで巻き込むつもり」
「けどよ、大瑠璃。俺らはさっき目をつけられちまった。あの嗤い声、本当は聞こえねえようなもンだろ? 聞こえちまった。黙ってやられるンは嫌だよ。宵ノ進、ぼろぼろじゃンよ。みンなでなンとかできねえか?」
「あれは、鉄二郎を嗤ったんだよ。宵に好意があるから。雨麟と鶴にはついて来ない。目をつけられたのは鉄二郎だ」
「え、大瑠璃……何でそれ言ってあげなかったの……危ないんじゃ……」
「危ないとも。ここにいる全員が巻き込まれたと思っていれば、少しは気休めになるでしょ。少なくとも、話し相手は増えたわけだから」
「胃が痛えわ」
「休みなよ。言ったからね、無理はしないで」
「ちょっといい酒飲みながら考えるわ……」
「鶴も戻りなよ」
「う、うん……」

 羽鶴と雨麟も退席して、足音が遠退くと大瑠璃は膝上の黄朽葉色をひと撫でした。

「聞いてた? 宵」
「ええ……。恐ろしいことです、大瑠璃。あれが、わたくし以外に眼を向けるなど……あんなに、あんなに裂いたのに、どうして……」
「何かが変わってきたのかもしれないよ。宵、……」
「咲夜、身体が」
「気にしないでいい。少し疲れただけ」

 宵ノ進が起き上がろうと身じろぎしたのを、ふわふわと頭を撫でる白い手が制した。

「――、もう少しこのままでいてくれる?」
「……ええ、ええ、咲夜。咲夜が望むなら如何様にも」

 外は虫の声ひとつなく静かで、互いの声だけがはっきりと届いた。

「宵、今日はそばにいて」
「ふふ、いいですよ咲夜。わたくし、この間久しく山を見てきたのですよ。あんなに近くて、こちらの山とはなにやら違うようで。生き物は見かけなかったのですけれど。……ああ、途中犬に吠えられましたね」
「未だに吠えられるとは。まあ、楽しんできたようでよかったけれど」
「はい、杯様も、お茶展の方々も皆優しい方ばかりで。お抹茶も美味しかったのでたくさん買い込んでしまいました。今度一緒に飲んでみましょう、あの氷菓も作れたら良いのですが……夏の方が良いやもしれませぬ」
「ふふ、楽しみにしているよ」
「わたくしたくさん我が儘を……ああそうだ、杯様がね、御守りをくださったのです。綺麗な小刀なのですよ」

 膝枕されたまま懐から取り出して見せた小刀に、大瑠璃が瞬きする。これは、おいそれと人に譲っていい類の代物ではないだろうに。

「いいのをもらったね。いつも持っているといいよ。必ず宵の役に立つから」
「はい。ねえ咲夜、あれがてっちゃんを襲うようなことあらば、また裂いてもいいのかしら?」
「宵~。俺がどれだけ心配しているか解っているかー? 鉄二郎に危害が無いように虎雄に言ってあるから。まあできる範囲でなのだけれど」
「咲夜、髪がくしゃくしゃに……! 咲夜、うううう聞いていますか咲夜……!」
「おーおー聞いてるとも。面倒だからこの部屋で寝ようかな」

 大瑠璃の言葉にころりと膝上から降りた宵ノ進が布団を敷くのを手伝うと、黒髪美人は愛おしそうに笑うのだった。
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