二.花と貴方へ
――幼子のようだ――風呂上がりで隣の布団に潜り込んだふわふわの銀髪が向けた眼差しに、宵ノ進は胸の内にゆるりと形にすることをやめた言葉を吐く。なにやらそわそわうずうずと落ち着きが無く眼に好奇心が乗る様子は朝日や雨麟のお喋りしたくて堪らない時に似ているが、口許にまでは感情の乗らぬ羽鶴の“してもいいか迷う我儘”が愛おしい。
少しは落ち着いただろうか。宵ノ進が言葉を選ぶ間に、銀髪のふわふわは勇気を振り絞った。
「宵ノ進、眠くなるまで僕とおしゃべりして欲しいんだけど」
「お願いする事でもないでしょうに。では灯りをひとつに致しましょうね」
枕元の行灯を残して灯りがふっと消える。どれも火が入っていたと思うのだが――そのようなわかりやすい反応をして瞬いた羽鶴に宵ノ進はくすりと笑った。
「あまり身体は動かずとも出来ることもあるのですよ。火の番はお任せくださいませ。大瑠璃とてっちゃんについては明日になるでしょう。そういえば、明日も雨なのかしら。羽鶴様の学舎には洋傘が良いですから、玄関に御用意致しますれば……」
「どしゃ降りだもんね。そういえば傘揃えるの忘れてたなあ。明日帰りに買ってくるから、行きは貸してほしいな。籠屋ってテレビもないし、天気予報どうしてるの?」
「て……? 普段でしたら朝日が占っているのですが寝込んでおりますし……以前は勘でどうにか……」
「占いと勘」
「雲の流れや空気の匂いなどで……ああそうですね、忘れていたのやもしれません。ああそうです、傘ですけれど、籠屋のものをお使いくださいまし。なんと洋傘もあるのです。明日玄関に御用意したものをそのまま差し上げますので何卒」
「待って籠屋の洋傘ってぜったいいいやつだ、学校行くのに毎回使ってたらそれはまずい……うんだからその傘はありがたくもらって帰りにビニール傘を買ってくるよ」
「びに……?」
「こう透明で、つやつやで水を弾く素材を貼っつけた洋傘なんだけど、ぼんやり周りが見えて助かるんだよね。籠屋の傘は遊びに行く時とかそういう時にしたいなぁ」
「ああ観光のお客様がよくお持ちの洋傘なのですね。明日御用意する傘はあのように透けてはおらぬのですけれど、きっとお役に立ちましょう」
叩き付ける雨音に重なり鳴った雷に、少し遠くへ流れたようだとそっと安堵した羽鶴はふわふわの温かい布団にくるまりながら、真赤の面を思い起こした。
自責ばかりの、なんて優しい人なんだろうと思った。でも、どうして自分を責めなくちゃいけないんだろうとも思った。誰の助けも無い中で、できる最善を尽くしたなら。あのような、気のおかしくなりそうな中で足掻いたことを責めることは、誰一人してはならぬのではないかと。
自分の血で濡れてばかりだった。自分を傷つけてばかりだった。ずっと悔いていて、まだ追ってくる引き寄せ刀が過去を思い起こさせる度にまた悔いて、彼の言うように恨みの気持ちまで引っ張り出されてしまうなら。
なんとなく、体が動かなくなったのもわかるような気がする。ふんわりとした羽鶴の緩い瞬きを思考の区切りであると感じた宵ノ進は、ほんの少し心配になって声を掛けることとした。
「羽鶴様、お休みになられますか?」
「宵ノ進、引き寄せ刀って過去を思い出させてばかりだね」
「……」
「進む、邪魔をしてる。僕、こんな優しい人にずっと意地悪してるとか腹が立ってきて。あれ、さっきも言ったかもしれない。ええとさ、うまく言えないんだけど……悪いことしたのは引き寄せ刀なのに宵ノ進にちょっかい出し続けてるのは変……みたいな……あれ、意味わからなくなってきた……」
「あれは、わたくしが殺めましたからね。憤っているのではと。ほら、その様なお顔をなさらず。羽鶴様は人が好いのです。人を殺めたことに変わりは無いのですよ」
「こらー、そういうとこだぞー、反省したりしてるのと全くそんなの微塵も思ってないのと一緒にするのがおかしいんだぞー」
「まあ! わたくし今羽鶴様に怒られているのでしょうか! なんとまあ……数日前が夢の様にございますれば」
「なんで嬉しそうなの?! う、うわあもしかして僕幼児みたいな扱いだったってことなの?! ねえ子供扱いでいじってるだけだよね? 宵ノ進僕十七!」
「ふふふ……羽鶴様は、ゆっくりと御自分と歩まれるのが宜しいかと。貴方は、善いお方です。わたくしは、羽鶴様と御一緒できましたこと、嬉しく思っているのですよ」
そして、こわい。
「さあ、おやすみなさいませ」
嘘が嫌いな貴方。見せたくも無い過ちを見てしまう貴方。わたくしが優しいのだと信じきっている貴方。
「羽鶴様がお望みなら、またの機会もございましょう」
貴方が望むならば。できうる限りを叶えてしまいたいと思える程に。
貴方はすべてを暴きにくる。真摯な眼差しで。
「御自分にさえ、嘘のつけぬお方」
すよすよと眠ってしまっている羽鶴の寝顔をぼんやりと金の眼は見つめる。朝緩やかに声を掛ければきっと眠たげに目をこすりながら欠伸して、おはようと返す愛おしさが。皆にもそうする飾れぬ心根が。危うくも愛おしい。愛おしくて堪らない。壊したくは無い汚したくは無いこの方はこの子だけは無事に家族の元へ帰してやらなくては。知られたくは無い。このような貴方を締め上げ留める心地など。
『進む、邪魔をしてる』
羽鶴の言葉が耳に残っている。そうだ。引き寄せ刀を眼に映す度、掻き起こされる憎悪。
死後なお追い続ける執着に、遂に記憶や人格までがあやふやになってしまって。刺されるほどに、わからなくなってしまって。
『引き寄せ刀って過去を思い出させてばかりだね』
「ああ、そうか……」
宵ノ進の金の眼が見開いたのち、羽鶴の寝顔から逸らされる。
(あれは、以前のわたくしが欲しいのだ)
こちらに来てからの思い出や記憶を削ぎ落として。
だから、追いかけて、刺しにくる。
(身体が動かぬわけだ……剥がされたわたくしの一部を自分で殺めてしまったのだから。……でも、許せなかった。…………どうしたら。どうしたらよかったと)
すべて。
伏せられた宵ノ進の眼に、ふわりと白い指先が掠める。眼前に一輪の花。見慣れた形と、心地の良い香り。
声を掛けるでも無くそっと閉められた奥の襖にすこし笑って、花の香りが思考を攫った。
少しは落ち着いただろうか。宵ノ進が言葉を選ぶ間に、銀髪のふわふわは勇気を振り絞った。
「宵ノ進、眠くなるまで僕とおしゃべりして欲しいんだけど」
「お願いする事でもないでしょうに。では灯りをひとつに致しましょうね」
枕元の行灯を残して灯りがふっと消える。どれも火が入っていたと思うのだが――そのようなわかりやすい反応をして瞬いた羽鶴に宵ノ進はくすりと笑った。
「あまり身体は動かずとも出来ることもあるのですよ。火の番はお任せくださいませ。大瑠璃とてっちゃんについては明日になるでしょう。そういえば、明日も雨なのかしら。羽鶴様の学舎には洋傘が良いですから、玄関に御用意致しますれば……」
「どしゃ降りだもんね。そういえば傘揃えるの忘れてたなあ。明日帰りに買ってくるから、行きは貸してほしいな。籠屋ってテレビもないし、天気予報どうしてるの?」
「て……? 普段でしたら朝日が占っているのですが寝込んでおりますし……以前は勘でどうにか……」
「占いと勘」
「雲の流れや空気の匂いなどで……ああそうですね、忘れていたのやもしれません。ああそうです、傘ですけれど、籠屋のものをお使いくださいまし。なんと洋傘もあるのです。明日玄関に御用意したものをそのまま差し上げますので何卒」
「待って籠屋の洋傘ってぜったいいいやつだ、学校行くのに毎回使ってたらそれはまずい……うんだからその傘はありがたくもらって帰りにビニール傘を買ってくるよ」
「びに……?」
「こう透明で、つやつやで水を弾く素材を貼っつけた洋傘なんだけど、ぼんやり周りが見えて助かるんだよね。籠屋の傘は遊びに行く時とかそういう時にしたいなぁ」
「ああ観光のお客様がよくお持ちの洋傘なのですね。明日御用意する傘はあのように透けてはおらぬのですけれど、きっとお役に立ちましょう」
叩き付ける雨音に重なり鳴った雷に、少し遠くへ流れたようだとそっと安堵した羽鶴はふわふわの温かい布団にくるまりながら、真赤の面を思い起こした。
自責ばかりの、なんて優しい人なんだろうと思った。でも、どうして自分を責めなくちゃいけないんだろうとも思った。誰の助けも無い中で、できる最善を尽くしたなら。あのような、気のおかしくなりそうな中で足掻いたことを責めることは、誰一人してはならぬのではないかと。
自分の血で濡れてばかりだった。自分を傷つけてばかりだった。ずっと悔いていて、まだ追ってくる引き寄せ刀が過去を思い起こさせる度にまた悔いて、彼の言うように恨みの気持ちまで引っ張り出されてしまうなら。
なんとなく、体が動かなくなったのもわかるような気がする。ふんわりとした羽鶴の緩い瞬きを思考の区切りであると感じた宵ノ進は、ほんの少し心配になって声を掛けることとした。
「羽鶴様、お休みになられますか?」
「宵ノ進、引き寄せ刀って過去を思い出させてばかりだね」
「……」
「進む、邪魔をしてる。僕、こんな優しい人にずっと意地悪してるとか腹が立ってきて。あれ、さっきも言ったかもしれない。ええとさ、うまく言えないんだけど……悪いことしたのは引き寄せ刀なのに宵ノ進にちょっかい出し続けてるのは変……みたいな……あれ、意味わからなくなってきた……」
「あれは、わたくしが殺めましたからね。憤っているのではと。ほら、その様なお顔をなさらず。羽鶴様は人が好いのです。人を殺めたことに変わりは無いのですよ」
「こらー、そういうとこだぞー、反省したりしてるのと全くそんなの微塵も思ってないのと一緒にするのがおかしいんだぞー」
「まあ! わたくし今羽鶴様に怒られているのでしょうか! なんとまあ……数日前が夢の様にございますれば」
「なんで嬉しそうなの?! う、うわあもしかして僕幼児みたいな扱いだったってことなの?! ねえ子供扱いでいじってるだけだよね? 宵ノ進僕十七!」
「ふふふ……羽鶴様は、ゆっくりと御自分と歩まれるのが宜しいかと。貴方は、善いお方です。わたくしは、羽鶴様と御一緒できましたこと、嬉しく思っているのですよ」
そして、こわい。
「さあ、おやすみなさいませ」
嘘が嫌いな貴方。見せたくも無い過ちを見てしまう貴方。わたくしが優しいのだと信じきっている貴方。
「羽鶴様がお望みなら、またの機会もございましょう」
貴方が望むならば。できうる限りを叶えてしまいたいと思える程に。
貴方はすべてを暴きにくる。真摯な眼差しで。
「御自分にさえ、嘘のつけぬお方」
すよすよと眠ってしまっている羽鶴の寝顔をぼんやりと金の眼は見つめる。朝緩やかに声を掛ければきっと眠たげに目をこすりながら欠伸して、おはようと返す愛おしさが。皆にもそうする飾れぬ心根が。危うくも愛おしい。愛おしくて堪らない。壊したくは無い汚したくは無いこの方はこの子だけは無事に家族の元へ帰してやらなくては。知られたくは無い。このような貴方を締め上げ留める心地など。
『進む、邪魔をしてる』
羽鶴の言葉が耳に残っている。そうだ。引き寄せ刀を眼に映す度、掻き起こされる憎悪。
死後なお追い続ける執着に、遂に記憶や人格までがあやふやになってしまって。刺されるほどに、わからなくなってしまって。
『引き寄せ刀って過去を思い出させてばかりだね』
「ああ、そうか……」
宵ノ進の金の眼が見開いたのち、羽鶴の寝顔から逸らされる。
(あれは、以前のわたくしが欲しいのだ)
こちらに来てからの思い出や記憶を削ぎ落として。
だから、追いかけて、刺しにくる。
(身体が動かぬわけだ……剥がされたわたくしの一部を自分で殺めてしまったのだから。……でも、許せなかった。…………どうしたら。どうしたらよかったと)
すべて。
伏せられた宵ノ進の眼に、ふわりと白い指先が掠める。眼前に一輪の花。見慣れた形と、心地の良い香り。
声を掛けるでも無くそっと閉められた奥の襖にすこし笑って、花の香りが思考を攫った。