二.花と貴方へ
櫓から大量の花びらが振り撒かれ、歓喜の声が耳を裂く。
「鬼……? よくわからねぇが、助けてやらぁ、俺がついてる。俺も、宵ノ進の大事な籠屋の連中もついてる。心配いらねぇ、味方ばっかりだ」
「ほん、とうに……」
嬉しそうにしながらも、宵ノ進は細く笑った。
(息、が……)
「おい、宵ノ進」
顔を覗けばくたりと気を失っている。一度しゃがんで身体を支え直すと落ちていた巾着を拾い上げ、悪いと思いながらも懐を探るとたまに扱う品が触れた。
(短刀……? 宵ノ進が持ち歩く趣味は無ぇはずだが)
合点がいく。ただでさえ怪我の多い宵ノ進にあの過保護な店主や引きこもりが料理以外の刃物を持ち歩かせる理由がない。たまに行くという料理の勉強先に包丁を持ち歩くは聞くが、祭りになど。
(俺も過保護なのかもしれねぇ)
片手に収まる短刀は、鞘に収まりぼんやりと祭り提灯に照らされ夜闇に紛れてひっそりと光を返していた。新たに拵えた刀ではない。手入れを怠らず、永く大切にされてきた一振りである。
(なんでそんな大事にしてきた刀を?)
花びらが降り続く。色形の異なる花びらは屋台の屋根や人々を撫で地面へと降り積もる。
花が好きで、綺麗なものが好きで、座って茶を飲むのが好きで。それらに触れる表情が好きで。話す仕草や声音が好きで。どこから来たのかは知らないが、世間知らずな籠屋の箱入りを遊びに連れ出すのも好きで。勝手に連れ出して、後からしこたま怒られたが以降よく笑うようになり。
料理を振る舞うようになった頃は祝い、出歩く回数は減ったものの。誘えば喜んで出かけたはずが、いつからか、言葉のやり取りになってしまった。初めて見た日の、木陰のような部分が顔を出したのだと思った。
瞼や額にはらりと乗る花びらをそっと除けてやる。
久しぶりに名を呼ばれた気がした。宵ノ進に、鉄二郎と。
(鬼に喰われる……? 宵ノ進が? もしあの過保護なやつらが知ってたら外に出さねえ。あの医者が何を考えているかはわからねぇが、おそらくは、知らねえ。怪我をしたらまずあの医者が呼ばれる。だから無闇に刃物を持たせはしないとすりゃあこいつは守り刀だ。だが何から? 単に魔除けか? 今まで宵ノ進がしてきた怪我に関係があるのか? …………問い詰めてもどいつも口を割らねえんじゃねえのか? いや、誰が何をどこまでなんて、問い詰めたって仕方がねえことだ。俺ぁ宵ノ進に、助けてって言われたんだ)
真剣な眼をした鉄二郎は短刀を戻し宵ノ進をおぶるとゆっくり歩き出す。ひらひらと舞い続ける花びらを見上げほころぶ人々は、酔い潰れた友人を背負い帰るのだろうと微笑ましさを向け散り終えた花びらを踏み、天を仰ぎ声を上げる。
(…………、もしかして、鬼ってのは……)
鉄二郎の後ろに、黒い影が続く。それは地面からぬっと伸び、いくつかに枝分かれして迫るもおぶさる宵ノ進に触れる前に霧散した。
「…………」
ぼんやりと開いた金の眼は、揺れる藍色から漂う懐かしい香りから記憶を手繰った。けれども、ぽつりぽつりと開く穴は、からりと笑ってみせる顔を浮かべるに留まる。何と、言っていただろう。首に垂れる滑らかな長髪が擽ったい。
(わたくしが、ばらけていくようだ)
そんなのは、怖い。それを言い出すことができずにいる。
(これも、忘れてしまうのだろうか)
小指の先に結ばれた桔梗の花飾りの感触。迷子にならないようにだの、照れくさそうに笑った顔。
物を目にして、これは何故そこにあるのかと思うことが増えた。
店主と幼馴染と暮らし始めた頃に感じた物の在り処がわからないのとは違う、存在自体を忘れてしまう恐怖に気が付いたのは、何度か引き寄せ刀に刺されてからのことだった。
眠る度、気を失う度に酷い目に遭わせてしまっている気がする。何かがおかしい。廻る日々が恐ろしい。何がおかしいのかわからぬままに流されて、困惑したままの自分をぽつりと取り残したまま周囲は変化してゆく。
思い出に開く穴。引き寄せ刀に何度刺されただろう。あれの傷は治りは早くとも、だいじなものを引き抜かれていやしないか。
意識を手放すのが恐ろしい。その間、誰かを傷つけていやしないか。
賑わいが遠退く。あたたかい背中、あたたかな手のひら。傷付ける意思のない手が体を支えてくれている。今まで散々この人の心を喰い散らかしてきたのではないのか。今もそうではないのか。この人の周りはいつも賑やかで、日向にただ一人放り出された心地になる。いつも晴れ間のように笑ってこちらへも惜しみ無く己を割くのだから、途方もない戸惑いを覚えて。
なのに、言ってしまった。助けてと。二度と言うまいと決めていた言葉を。あぁ、だから、許す事など、できなくて。
(貴方には、明るい場所が似合う)
無人の屋台の売り台に乗る飴や風車を提灯が照らしている。鉄二郎が通り過ぎればからからと回り、店主の不在を不審に思っていた彼がそちらへ向けようとした顔を宵ノ進の小さな声が阻んだ。
「てっちゃん」
「宵ノ進、気が付いたのかぃ? あんまり連れ回しちまったか」
「いいえ……。……ねぇてっちゃん、先程申し上げましたこと、忘れてくださいませんか」
「鬼に喰われるってやつか?」
「いえ、その……」
「……俺に助けてって言ったことをか?」
しばし無言のまま鉄二郎の草履が土を蹴る。揺られ俯いていた宵ノ進は、鉄二郎の肩に頭を預けたまま、顔を見ることができなかった。
「俺ぁよ、そんなに頑張らなくてもいいと思うんだがよ。なんかちがうって、気が付いててもどうしたらいいかわかんねえだけだ。生きてて笑えてりゃあ、充分なんだよ。助けを求めることは悪ぃ事じゃねぇ」
「てっちゃん」
「おう」
「わたくしは、わたくしが許せない」
「何をそんなに怒ってんだ。ならよ、気にならねぇくらい遊び倒したらどうでぃ。いつでも付き合うからよ。ほら、ずーっと花びら降ってんだ。綺麗だろ?」
宵ノ進は視界の端に映る花びらを只眺める。
「ええ……」
肩に乗る頭が全く動かない。先程から殆ど動かず、ぶらりと垂らしたままの手足に鉄二郎は一度宵ノ進を降ろすと向き合い、抱き上げた。
「わ、……」
「ほら、見えるか?」
鉄二郎の大きな手を枕がわりに、幼子のように抱き抱えられる宵ノ進は祭り提灯に照らされた、夜空から降る花びらに雪を重ねた。
色が降り、通り過ぎてゆく。肌を撫で去り、降り積もる。
「……きれい」
「ずっと見せたくてよ」
「……どれだけ摘まれたのかしら。こんなにも、綺麗な花なのに」
「そうだな。帰るには踏み歩かなきゃならねぇ。朝には踏まれた跡も見なきゃなんねぇ。そういう祭りだ」
「行き場があれば、良いのに」
昔、一人山で仰ぎ見た曇天から降った綿雪は、ちらちらと冷えた肌へ乗ってはゆっくり溶けて流れ薄い着物を貼り付かせた。凍えた呼気に寄り添う露でさえ愛おしかった。
「集めて畑に撒かれたり、燃やされたり、そのまま飛ばされたりよ。行き場は、わからねぇな」
「選ぶことができたら……何処へ行きたいと言うのでしょう」
「それこそ選択肢が多すぎてわからねぇだろがぃ。好きだなぁ昔から」
「……雨がきますね」
「雲も見当たらねぇがな?」
「もうじき、早足で。雨宿りには少々、長いのではと」
「帰したくねぇなあ」
「お部屋ならたくさんありますけれど、わたくし、先程から身体がいうことをきかなくて。何もご用意できぬので、お帰り頂ければと」
「やっぱり動かねぇのかぃ。なんなら、すばめ屋に泊まってくか? ゆっくり話でもしてよ」
「動けぬ間世話になるのが耐えきれぬので籠屋へ帰してくださいまし」
「ははは。耐えらんねぇって顔を見てるのもいいかもしれねぇな」
「なんと意地のわるい」
「そうだな」
鉄二郎は宵ノ進に口付けた。
見開かれた金の眼。“どうして。”そのような表情をして、果たしてどちらの意地がわるいというのか。
「俺ぁまだ、さっきの答えも聞いちゃいねぇし、ずっと見ないふりをされたままずーっと待ってた。昔から、ずっとだ。また首を絞めたくなるくらい嫌か? そんなに嫌なら俺の誘いを受けはしねぇな? 触られてもよ、振りほどかなかった。約束した、あん時と一緒だ。怖くてたまらねぇくせにそれすらも言わねぇ。突き放しもしねぇ。ずっとわからないって顔したまま、好きだって言やぁ逃げちまう。なぁ、何が見える?」
「……、くるしそうな、お顔……」
「お互い様、だな」
人影は無く、随分と外れまで来ていた二人は遠くで上がった花火の音を聞く。川沿いで、最後に流す花の薬玉を手に皆集まり天を見上げ、花火に焼かれた一部の花びらをも美しいと息を漏らす。
「ずーっと、待ってたんだ……」
触れたくてたまらなかった。
「もう誰のとこにもやりたくない」
曖昧でもいい。その眼に映してくれたなら。
「貴方の優しさは、積み上げてきたものだ。たくさん、心を割いて。……返す言葉が、ないのです。憶えて、いなくて。思い出せなくて。あの子も、殺めてしまった。口を滑らせたのだから」
「……。ずっと抱えてたのかぃ。言やぁ、俺だって……いや、何で噛み合わねえのかようやくわかった。それによ、さっき気ぃ失ったのも。もう一人、いたんだろ」
「……。てっちゃんは、ほんとうによく気がつく方ですね」
「どんだけ遊びに連れ出したと思ってんだ。……でもよ、遅かった。もっと早くに気がつけりゃあもっと早くに助けてやれた。力になれた。宵ノ進が傷つくこともなかった。憶えてなくてもよ、何度でも楽しんだらいいんだ。また少しずつ、何度でも。俺ぁよ、何度だって惚れさせる。助けてって言ったのも、宵ノ進にかわりはねぇから。なぁ、宵ノ進。手に負えねえことだろう。相談したか?」
宵ノ進は静かに笑った。
「おに、でいいですよわたくしのことは。何度も刺されて、いつからか、あの子が顔を出すようになっていて。いいえ、わたくしから剥がされて、勝手に、わたくしに怯えていたのですよ。わたくしで、あるのに。気付いたら、あの子まで、刃物を持っていて。わたくし、血だらけで、動けぬのですよ。このようなわけの分からぬ些事に、皆を巻き込む事などできぬと……。てっちゃん、かなしいお顔は似合いませんね」
「宵ノ進は、宵ノ進だ。必ず助ける。必ず、助かる。……今度は、約束果たさせてくれな。店主に聞きに行こう。他でもねぇ、宵ノ進の、家族に」
「虎雄様に……?」
「そうだ。ものすげえ頼りになるのは知ってるだろ。一人で悶々考えてちゃ埒があかねえこともあるだろう。もう宵ノ進の手にゃ負えねぇんだから、他頼ったっていいんだ。いい道が見つかる。……そんでよ、今度は、いい返事聞かせてくれな」
「……んふふ…………」
「笑うとこか?! でもよ、やっと話せたな。少ぉし、わかった。宵ノ進を刺したやつを吊るし上げりゃあいいわ」
「ふふ、あははは……」
「お、いいな。観念して今いい返事をくれたっていいんだぞ?」
宵ノ進がぴたりと笑うのをやめて唇を真一文字にしている。
「黙るんかぃ!!」
「鬼……? よくわからねぇが、助けてやらぁ、俺がついてる。俺も、宵ノ進の大事な籠屋の連中もついてる。心配いらねぇ、味方ばっかりだ」
「ほん、とうに……」
嬉しそうにしながらも、宵ノ進は細く笑った。
(息、が……)
「おい、宵ノ進」
顔を覗けばくたりと気を失っている。一度しゃがんで身体を支え直すと落ちていた巾着を拾い上げ、悪いと思いながらも懐を探るとたまに扱う品が触れた。
(短刀……? 宵ノ進が持ち歩く趣味は無ぇはずだが)
合点がいく。ただでさえ怪我の多い宵ノ進にあの過保護な店主や引きこもりが料理以外の刃物を持ち歩かせる理由がない。たまに行くという料理の勉強先に包丁を持ち歩くは聞くが、祭りになど。
(俺も過保護なのかもしれねぇ)
片手に収まる短刀は、鞘に収まりぼんやりと祭り提灯に照らされ夜闇に紛れてひっそりと光を返していた。新たに拵えた刀ではない。手入れを怠らず、永く大切にされてきた一振りである。
(なんでそんな大事にしてきた刀を?)
花びらが降り続く。色形の異なる花びらは屋台の屋根や人々を撫で地面へと降り積もる。
花が好きで、綺麗なものが好きで、座って茶を飲むのが好きで。それらに触れる表情が好きで。話す仕草や声音が好きで。どこから来たのかは知らないが、世間知らずな籠屋の箱入りを遊びに連れ出すのも好きで。勝手に連れ出して、後からしこたま怒られたが以降よく笑うようになり。
料理を振る舞うようになった頃は祝い、出歩く回数は減ったものの。誘えば喜んで出かけたはずが、いつからか、言葉のやり取りになってしまった。初めて見た日の、木陰のような部分が顔を出したのだと思った。
瞼や額にはらりと乗る花びらをそっと除けてやる。
久しぶりに名を呼ばれた気がした。宵ノ進に、鉄二郎と。
(鬼に喰われる……? 宵ノ進が? もしあの過保護なやつらが知ってたら外に出さねえ。あの医者が何を考えているかはわからねぇが、おそらくは、知らねえ。怪我をしたらまずあの医者が呼ばれる。だから無闇に刃物を持たせはしないとすりゃあこいつは守り刀だ。だが何から? 単に魔除けか? 今まで宵ノ進がしてきた怪我に関係があるのか? …………問い詰めてもどいつも口を割らねえんじゃねえのか? いや、誰が何をどこまでなんて、問い詰めたって仕方がねえことだ。俺ぁ宵ノ進に、助けてって言われたんだ)
真剣な眼をした鉄二郎は短刀を戻し宵ノ進をおぶるとゆっくり歩き出す。ひらひらと舞い続ける花びらを見上げほころぶ人々は、酔い潰れた友人を背負い帰るのだろうと微笑ましさを向け散り終えた花びらを踏み、天を仰ぎ声を上げる。
(…………、もしかして、鬼ってのは……)
鉄二郎の後ろに、黒い影が続く。それは地面からぬっと伸び、いくつかに枝分かれして迫るもおぶさる宵ノ進に触れる前に霧散した。
「…………」
ぼんやりと開いた金の眼は、揺れる藍色から漂う懐かしい香りから記憶を手繰った。けれども、ぽつりぽつりと開く穴は、からりと笑ってみせる顔を浮かべるに留まる。何と、言っていただろう。首に垂れる滑らかな長髪が擽ったい。
(わたくしが、ばらけていくようだ)
そんなのは、怖い。それを言い出すことができずにいる。
(これも、忘れてしまうのだろうか)
小指の先に結ばれた桔梗の花飾りの感触。迷子にならないようにだの、照れくさそうに笑った顔。
物を目にして、これは何故そこにあるのかと思うことが増えた。
店主と幼馴染と暮らし始めた頃に感じた物の在り処がわからないのとは違う、存在自体を忘れてしまう恐怖に気が付いたのは、何度か引き寄せ刀に刺されてからのことだった。
眠る度、気を失う度に酷い目に遭わせてしまっている気がする。何かがおかしい。廻る日々が恐ろしい。何がおかしいのかわからぬままに流されて、困惑したままの自分をぽつりと取り残したまま周囲は変化してゆく。
思い出に開く穴。引き寄せ刀に何度刺されただろう。あれの傷は治りは早くとも、だいじなものを引き抜かれていやしないか。
意識を手放すのが恐ろしい。その間、誰かを傷つけていやしないか。
賑わいが遠退く。あたたかい背中、あたたかな手のひら。傷付ける意思のない手が体を支えてくれている。今まで散々この人の心を喰い散らかしてきたのではないのか。今もそうではないのか。この人の周りはいつも賑やかで、日向にただ一人放り出された心地になる。いつも晴れ間のように笑ってこちらへも惜しみ無く己を割くのだから、途方もない戸惑いを覚えて。
なのに、言ってしまった。助けてと。二度と言うまいと決めていた言葉を。あぁ、だから、許す事など、できなくて。
(貴方には、明るい場所が似合う)
無人の屋台の売り台に乗る飴や風車を提灯が照らしている。鉄二郎が通り過ぎればからからと回り、店主の不在を不審に思っていた彼がそちらへ向けようとした顔を宵ノ進の小さな声が阻んだ。
「てっちゃん」
「宵ノ進、気が付いたのかぃ? あんまり連れ回しちまったか」
「いいえ……。……ねぇてっちゃん、先程申し上げましたこと、忘れてくださいませんか」
「鬼に喰われるってやつか?」
「いえ、その……」
「……俺に助けてって言ったことをか?」
しばし無言のまま鉄二郎の草履が土を蹴る。揺られ俯いていた宵ノ進は、鉄二郎の肩に頭を預けたまま、顔を見ることができなかった。
「俺ぁよ、そんなに頑張らなくてもいいと思うんだがよ。なんかちがうって、気が付いててもどうしたらいいかわかんねえだけだ。生きてて笑えてりゃあ、充分なんだよ。助けを求めることは悪ぃ事じゃねぇ」
「てっちゃん」
「おう」
「わたくしは、わたくしが許せない」
「何をそんなに怒ってんだ。ならよ、気にならねぇくらい遊び倒したらどうでぃ。いつでも付き合うからよ。ほら、ずーっと花びら降ってんだ。綺麗だろ?」
宵ノ進は視界の端に映る花びらを只眺める。
「ええ……」
肩に乗る頭が全く動かない。先程から殆ど動かず、ぶらりと垂らしたままの手足に鉄二郎は一度宵ノ進を降ろすと向き合い、抱き上げた。
「わ、……」
「ほら、見えるか?」
鉄二郎の大きな手を枕がわりに、幼子のように抱き抱えられる宵ノ進は祭り提灯に照らされた、夜空から降る花びらに雪を重ねた。
色が降り、通り過ぎてゆく。肌を撫で去り、降り積もる。
「……きれい」
「ずっと見せたくてよ」
「……どれだけ摘まれたのかしら。こんなにも、綺麗な花なのに」
「そうだな。帰るには踏み歩かなきゃならねぇ。朝には踏まれた跡も見なきゃなんねぇ。そういう祭りだ」
「行き場があれば、良いのに」
昔、一人山で仰ぎ見た曇天から降った綿雪は、ちらちらと冷えた肌へ乗ってはゆっくり溶けて流れ薄い着物を貼り付かせた。凍えた呼気に寄り添う露でさえ愛おしかった。
「集めて畑に撒かれたり、燃やされたり、そのまま飛ばされたりよ。行き場は、わからねぇな」
「選ぶことができたら……何処へ行きたいと言うのでしょう」
「それこそ選択肢が多すぎてわからねぇだろがぃ。好きだなぁ昔から」
「……雨がきますね」
「雲も見当たらねぇがな?」
「もうじき、早足で。雨宿りには少々、長いのではと」
「帰したくねぇなあ」
「お部屋ならたくさんありますけれど、わたくし、先程から身体がいうことをきかなくて。何もご用意できぬので、お帰り頂ければと」
「やっぱり動かねぇのかぃ。なんなら、すばめ屋に泊まってくか? ゆっくり話でもしてよ」
「動けぬ間世話になるのが耐えきれぬので籠屋へ帰してくださいまし」
「ははは。耐えらんねぇって顔を見てるのもいいかもしれねぇな」
「なんと意地のわるい」
「そうだな」
鉄二郎は宵ノ進に口付けた。
見開かれた金の眼。“どうして。”そのような表情をして、果たしてどちらの意地がわるいというのか。
「俺ぁまだ、さっきの答えも聞いちゃいねぇし、ずっと見ないふりをされたままずーっと待ってた。昔から、ずっとだ。また首を絞めたくなるくらい嫌か? そんなに嫌なら俺の誘いを受けはしねぇな? 触られてもよ、振りほどかなかった。約束した、あん時と一緒だ。怖くてたまらねぇくせにそれすらも言わねぇ。突き放しもしねぇ。ずっとわからないって顔したまま、好きだって言やぁ逃げちまう。なぁ、何が見える?」
「……、くるしそうな、お顔……」
「お互い様、だな」
人影は無く、随分と外れまで来ていた二人は遠くで上がった花火の音を聞く。川沿いで、最後に流す花の薬玉を手に皆集まり天を見上げ、花火に焼かれた一部の花びらをも美しいと息を漏らす。
「ずーっと、待ってたんだ……」
触れたくてたまらなかった。
「もう誰のとこにもやりたくない」
曖昧でもいい。その眼に映してくれたなら。
「貴方の優しさは、積み上げてきたものだ。たくさん、心を割いて。……返す言葉が、ないのです。憶えて、いなくて。思い出せなくて。あの子も、殺めてしまった。口を滑らせたのだから」
「……。ずっと抱えてたのかぃ。言やぁ、俺だって……いや、何で噛み合わねえのかようやくわかった。それによ、さっき気ぃ失ったのも。もう一人、いたんだろ」
「……。てっちゃんは、ほんとうによく気がつく方ですね」
「どんだけ遊びに連れ出したと思ってんだ。……でもよ、遅かった。もっと早くに気がつけりゃあもっと早くに助けてやれた。力になれた。宵ノ進が傷つくこともなかった。憶えてなくてもよ、何度でも楽しんだらいいんだ。また少しずつ、何度でも。俺ぁよ、何度だって惚れさせる。助けてって言ったのも、宵ノ進にかわりはねぇから。なぁ、宵ノ進。手に負えねえことだろう。相談したか?」
宵ノ進は静かに笑った。
「おに、でいいですよわたくしのことは。何度も刺されて、いつからか、あの子が顔を出すようになっていて。いいえ、わたくしから剥がされて、勝手に、わたくしに怯えていたのですよ。わたくしで、あるのに。気付いたら、あの子まで、刃物を持っていて。わたくし、血だらけで、動けぬのですよ。このようなわけの分からぬ些事に、皆を巻き込む事などできぬと……。てっちゃん、かなしいお顔は似合いませんね」
「宵ノ進は、宵ノ進だ。必ず助ける。必ず、助かる。……今度は、約束果たさせてくれな。店主に聞きに行こう。他でもねぇ、宵ノ進の、家族に」
「虎雄様に……?」
「そうだ。ものすげえ頼りになるのは知ってるだろ。一人で悶々考えてちゃ埒があかねえこともあるだろう。もう宵ノ進の手にゃ負えねぇんだから、他頼ったっていいんだ。いい道が見つかる。……そんでよ、今度は、いい返事聞かせてくれな」
「……んふふ…………」
「笑うとこか?! でもよ、やっと話せたな。少ぉし、わかった。宵ノ進を刺したやつを吊るし上げりゃあいいわ」
「ふふ、あははは……」
「お、いいな。観念して今いい返事をくれたっていいんだぞ?」
宵ノ進がぴたりと笑うのをやめて唇を真一文字にしている。
「黙るんかぃ!!」