月下の戦い
「ユーリエル」
大樹の広場にある空間で瞑想をしているユーリエルは、聞き慣れた声で自身の名を呼ばれる。
その威厳のある低い声は、本人が意図しなくとも聞くものに威圧感を与えてしまう。
ユーリエルは目を閉じたまま声の主に尋ねる。
「ゼダ、あなたにもあの者たちの発する音が聞こえますか?」
「ああ」
「彼らの伝達手段なのでしょう。あの蜂のように忠実な兵隊達……その先にはおそらく女王がいます。彼らは一体何者なのでしょうか」
ユーリエルの問いに、その声はきっぱりとした口調で答えた。
「招かれざるものたち」
空間を揺らし、広場に現れた時の精霊ゼダは、静かにユーリエルの隣に佇む。
彼は漆黒の髪と褐色の肌を持つ、彫りの深い端正な顔立ちの青年だ。
薄い灰色の瞳はミステリアスな雰囲気を漂わせ、亭亭たる体格と、感情の読めない表情は見るものを萎縮させる。
ゼダは、大樹ユーリエルが作り出した初めの精霊であり、唯一生まれ変わっていない、歴代ただ一人の時の精霊でもある。
その役割は世界の均衡を保つことだ。
時の精霊は、時空の間にある時の神殿に鎮座し、その生涯をひたすら祈りに費やす。彼の祈りによって世界はバランスを保ち、不安定な時空の歪みが減る。逆に言えば、彼が祈らなければ世界は時空の穴だらけになってしまうのだ。
その為、時の精霊は長い間神殿を開けることは出来ず、こうして時折大樹の元にくる程度なのだ。
そして、時の精霊には唯一の特殊な力もある。それは世界の「過去」と「未来」が夢として視えることだ。彼は世界のあらゆる事象を知っていた。
しかし、時の精霊は世界に干渉してはいけないという決まりがあった。それは決して破ることができない。
それ故、ゼダの力は非常に強力だが、戦いに手を出すことはできなかった。
ユーリエルは目を開き、ゆっくりとゼダを見上げる。
「私は私の、あなたはあなたの役割を果たしましょう」
「ああ」
ゼダはユーリエルを見ることなく、そのまま闇へと消えていった。
ユーリエルは瞑想し、ひたすら力を注ぎ続けている。各地で戦っている星の子供たちを守るためだ。
大樹は古より星のために日々エネルギーを注いでいるが、今はその強い守護の力を凝縮させ、バリアのように一人一人を覆っていた。
現在、敵は各精霊の守護する主要都市を中心に攻めてきていた。精霊たちは持ち場を離れることが出来ず、分断させられていると言っていい状況だ。
特に、大樹を中心に広く囲むように位置する、ダリ平野、光の精霊のいるエイヴルの街近辺、闇の精霊のいるディアスタ山脈の三ヶ所は、他所とは比べられない程の大群が集まっていた。
しかし、大樹のバリアの恩恵もあり、数日もの間繰り広げられている白い敵たちとの戦いでは、こちらが優勢に立っていた。
そして、この戦いの一番の功績はまさに竜族にあると言えよう。
精霊の力だけでは手薄になる範囲も、竜族たちの援軍によってかなりの勢いを保つことが出来ていた。
「我らの力を示せ! 一匹も逃すな! 竜族の名に恥じぬ戦いを見せろ!」
竜王ガルシアは、大樹から暫く南に下ったダリ平野を主戦場として戦っていた。そこは見晴らしがよく、交戦するにはもってこいの地形だ。
敵の数が多く現場はかなり入り乱れていた。
同様に、エイヴルの街でも激しい戦いが繰り広げられていた。
イーシュは光の属性を持つモンスター達を従え応戦していた。街の人間たちは家の中に匿っている。敵の数は多いが、竜族の助けもあり、イーシュ達が戦況を有利に進めていた。イーシュの指揮の下モンスター達は活気づいている。
だが、イーシュは警戒していた。
(やけに静かだ)
白い敵たちはしぶとく、倒しても倒しても次から次へとやってくる。しかし、その動きにはどこか芯がなく、皆何かを待っているような、嵐の前の静けさを予感させる不吉なものがあった。それはただの直感であったが、イーシュの直感は非常によく当たるため始末が悪い。
更に、不安はもう一つあった。
数時間ほど前から、ルージョンにいくら呼びかけても気配がないのだ。イーシュとルージョンは双子のように魂が親しいため、お互いの間ではユーリエルのように強いテレパシーを使うことができた。
ユクアの森の件以降、イーシュのテレパシーにルージョンが応じることはなかったが、その気配は感じ取ることができた。よって、この様に完全に通信が遮断されているのは不自然であった。
(ルージョンに何かあったのか? いや、あいつに限って敵に遅れを取ることなど……)
イーシュの心は微かに乱れていた。
あたりはすっかりと日が暮れ、夜の闇に包まれている。その中で全体をうっすら照らす満月の光と、街の街灯が明かりを灯していた。
「考えごとかい?」
突如、背後から男の声がした。イーシュは気配もなく近付いた声に驚いた。
背筋に悪寒が走る。
「何者だ!」
咄嗟に振り返り、杖から一撃を放つ。
男は首を少しだけ横にずらし軽々と攻撃を避けると、口元に笑みを浮かべてイーシュの問いに答えた。
「あんたと同じ『護る者』だよ」
街灯に照らされた壮年の男は、頭から足の先まで全身が白く、さらりと長い髪を揺らし、優美な和装を着用している。ゆったりとした雰囲気は散歩でもしているかのように軽やかで、戦場という場所ではとりわけ異様だった。
男は非常に端正な顔立ちをしており、長い睫毛の隙間からこちらを眺めている。その瞳の色は、敵を表す白藍色だ。
(この男、強い!)
イーシュは相手の力を感じ取り、杖を構え一歩後ずさる。得体の知れない不気味なオーラを放つ男は、目を細めてにこりと微笑む。
「かわいいねえ、大事なものは無くさないようにするんだよ」
イーシュは声を荒げた。
「貴様、何の話だ……!」
しかし、イーシュの警戒をよそに男はそのままトンと足を踏み込み、一瞬で遥か後方まで飛んでいった。街の壁をかるがる越え、近くの森の中へと消える。
イーシュは持ち場を離れて男を追うわけにも行かず、暫く呆然としていた。
気付けば、あたりの敵はいつの間にか減り、少しの静寂が訪れていた。街の反対側からは竜族たちの応戦する音が僅かに聞こえたが、こちらが圧倒しているようだ。
半時後、幻でも見たかのような不可思議な体験を思い出し、イーシュはまだ手に汗を握っている。
だが、程なくして後方から人間の男の声が聞こえ我に返った。
「せ、精霊さま! 精霊さま! クルスよ、聞こえますか!」
イーシュは驚いた。
戦況は優勢とはいえ、敵があちこちにいる状況で家から出るなど自殺行為だ。
人間には精霊の姿が見えないため、この非常用に人間にまで見える姿にエネルギーを調整する。
イーシュを目の当たりにした男はひどく驚き、そして、足元に縋るように跪いた。
「ルクスよ! 聞いてください! 闇の精霊シェイド【闇の精霊の総称】が危険なのです! シェイドは敵の手で深手を負い、現在、グシャの塔でルクスを待っています! どうかお急ぎください!」
イーシュは思考が一瞬止まる。グシャの塔とはルージョンの守護地域にある塔だ。
だが、男の言葉には明らかに違和感があった。ただの人間が、どのように精霊であるルージョンの危険を知り得たのか。そして、なぜ戦場となっているエイヴルにまで無傷で訪ねて来られたのか。
男の怪しさは十分わかっていた。しかし、現在ルージョンとの通信が閉ざされている事がイーシュの不安を駆り立てる。
イーシュは一旦心を落ち着かせるため、深く息を吸い込み、改めて男に問い質した。
「お前はなぜ突然現れ、そのような事を述べた。ただの人間が精霊の状態を知り得ることが出来ようか。ましてや、ここまで無事に歩いてくるなど……」
「本当です! ルクスよ、信じてください! シェイドをお助けください! どうか、こ、これを……!」
必死に潔白を訴える男が、手の平にある破れた布のようなものを差し出した。それを見たイーシュは酷く狼狽え、びくりと体を仰け反らせる。
先程の白ずくめの男の言葉が脳裏によぎった。
「大事なものは無くさないようにするんだよ」
──その時、耳をつんざく音が大樹の方向から聞こえた。空を見上げれば遠くに爆煙が広がっている。
イーシュは驚き、しばらく見上げていた。
すると間もなく、イーシュの体を守るように覆っていた大樹の力が忽然と消えてしまった。
その刹那、背中に突き抜けるような鋭い痛みが走る!
振り返ったイーシュの瞳には、スローモーションのようにゆっくりと地面に倒れ込む白い兎が映っていた。
──数分前、ダリ平野にて。
「我らの優勢だ! 同士たちよ! このまま奴らを根絶やしにするぞ!」
竜王ガルシアは仲間を奮い立たせるよう高らかに呼びかける。その手には、絢爛な装飾が施された、ずっしりとした長槍が掲げられていた。
ガルシアと共に戦っていた竜族の精鋭たちも、傷を負った体を顧みず勇敢に戦っている。
尊敬する王に応えるように、戦場には数々の竜の咆哮が轟いた。
竜族はなんと、あれだけの大群だったにも関わらず破竹の勢いで敵を倒し、もう間もなく殲滅できるという所までこぎ着けていた。
もはや、勝敗は時間の問題と思われた。
ガルシアはこの後、戦場が落ち着いたら一度大樹に戻り、次の作戦を練ろうと考えていた。
そう思い振り返ったガルシアの目は、遠くにとてつもない大きさの爆発が巻き起こるのを目撃した。
その場所は、この平野からでも肉眼で捉えられる距離にある妖精の森だ。
直後、ガルシア含め、仲間たちの体を覆っていたバリアが一瞬で消え去った──
(しまった!)
ガルシアは瞬時に悟った。
なぜ開戦後、敵は要である大樹や妖精の森に直接押し寄せなかったのかを。それは、まさにこの瞬間のためだろう。
ダリ平野を囮に使って、こちらの主力の軍を大樹から引き離したのだ。
そして、大樹にある程度の力を消耗させた頃、彼の子供である妖精たちの里に向かって大きなエネルギーが放たれた。
その威力はユーリエルの気を逸らさせ、防御のため、力を一点に集中させられるのには十分なものだった。
大樹の加護が消えた事で、動揺する仲間たちに大きな隙が出来たのは言うまでもない。
この時を待っていたと言わんばかりに温存していた力を解放した白いもの達は、捨て身の力で襲い掛かってきた。
それから戦場は、敵味方が入り乱れる血みどろの激戦となる。あたりには怒号が飛び交っていた。
暫くすると、空から勢いよく飛んでくる一匹の竜が、ガルシアの前に滑り落ちるように落下してきた。周囲には視界が塞がれるほどの砂埃が舞う。
翼が折れた竜は、僅かに首を上げ声を振り絞った。
「竜王……! せ、戦場に、凄まじい力を持った個体が現れました……そいつは、たった一体で我らを蹂躙しています……!」
「……!」
ガルシアは唇を噛みしめる。実は先程から懸念していたことが当たってしまったのだ。敵はバリアを消滅させたこの瞬間のために、強い個体を温存していた。
そして、それは精霊たちが戦っている全体の戦場でも同時に起こっていた!
数は少ないものの、敵の部隊長ともいえるほど強い個体が各地に現れ、形勢は一気に逆転してしまった。
こちらに残された道は死力を尽くすことだけ。
ある者は形態を変え、ある者は本体を現し全力で抗った。
ここからが最終局面だ。
大樹の広場にある空間で瞑想をしているユーリエルは、聞き慣れた声で自身の名を呼ばれる。
その威厳のある低い声は、本人が意図しなくとも聞くものに威圧感を与えてしまう。
ユーリエルは目を閉じたまま声の主に尋ねる。
「ゼダ、あなたにもあの者たちの発する音が聞こえますか?」
「ああ」
「彼らの伝達手段なのでしょう。あの蜂のように忠実な兵隊達……その先にはおそらく女王がいます。彼らは一体何者なのでしょうか」
ユーリエルの問いに、その声はきっぱりとした口調で答えた。
「招かれざるものたち」
空間を揺らし、広場に現れた時の精霊ゼダは、静かにユーリエルの隣に佇む。
彼は漆黒の髪と褐色の肌を持つ、彫りの深い端正な顔立ちの青年だ。
薄い灰色の瞳はミステリアスな雰囲気を漂わせ、亭亭たる体格と、感情の読めない表情は見るものを萎縮させる。
ゼダは、大樹ユーリエルが作り出した初めの精霊であり、唯一生まれ変わっていない、歴代ただ一人の時の精霊でもある。
その役割は世界の均衡を保つことだ。
時の精霊は、時空の間にある時の神殿に鎮座し、その生涯をひたすら祈りに費やす。彼の祈りによって世界はバランスを保ち、不安定な時空の歪みが減る。逆に言えば、彼が祈らなければ世界は時空の穴だらけになってしまうのだ。
その為、時の精霊は長い間神殿を開けることは出来ず、こうして時折大樹の元にくる程度なのだ。
そして、時の精霊には唯一の特殊な力もある。それは世界の「過去」と「未来」が夢として視えることだ。彼は世界のあらゆる事象を知っていた。
しかし、時の精霊は世界に干渉してはいけないという決まりがあった。それは決して破ることができない。
それ故、ゼダの力は非常に強力だが、戦いに手を出すことはできなかった。
ユーリエルは目を開き、ゆっくりとゼダを見上げる。
「私は私の、あなたはあなたの役割を果たしましょう」
「ああ」
ゼダはユーリエルを見ることなく、そのまま闇へと消えていった。
ユーリエルは瞑想し、ひたすら力を注ぎ続けている。各地で戦っている星の子供たちを守るためだ。
大樹は古より星のために日々エネルギーを注いでいるが、今はその強い守護の力を凝縮させ、バリアのように一人一人を覆っていた。
現在、敵は各精霊の守護する主要都市を中心に攻めてきていた。精霊たちは持ち場を離れることが出来ず、分断させられていると言っていい状況だ。
特に、大樹を中心に広く囲むように位置する、ダリ平野、光の精霊のいるエイヴルの街近辺、闇の精霊のいるディアスタ山脈の三ヶ所は、他所とは比べられない程の大群が集まっていた。
しかし、大樹のバリアの恩恵もあり、数日もの間繰り広げられている白い敵たちとの戦いでは、こちらが優勢に立っていた。
そして、この戦いの一番の功績はまさに竜族にあると言えよう。
精霊の力だけでは手薄になる範囲も、竜族たちの援軍によってかなりの勢いを保つことが出来ていた。
「我らの力を示せ! 一匹も逃すな! 竜族の名に恥じぬ戦いを見せろ!」
竜王ガルシアは、大樹から暫く南に下ったダリ平野を主戦場として戦っていた。そこは見晴らしがよく、交戦するにはもってこいの地形だ。
敵の数が多く現場はかなり入り乱れていた。
同様に、エイヴルの街でも激しい戦いが繰り広げられていた。
イーシュは光の属性を持つモンスター達を従え応戦していた。街の人間たちは家の中に匿っている。敵の数は多いが、竜族の助けもあり、イーシュ達が戦況を有利に進めていた。イーシュの指揮の下モンスター達は活気づいている。
だが、イーシュは警戒していた。
(やけに静かだ)
白い敵たちはしぶとく、倒しても倒しても次から次へとやってくる。しかし、その動きにはどこか芯がなく、皆何かを待っているような、嵐の前の静けさを予感させる不吉なものがあった。それはただの直感であったが、イーシュの直感は非常によく当たるため始末が悪い。
更に、不安はもう一つあった。
数時間ほど前から、ルージョンにいくら呼びかけても気配がないのだ。イーシュとルージョンは双子のように魂が親しいため、お互いの間ではユーリエルのように強いテレパシーを使うことができた。
ユクアの森の件以降、イーシュのテレパシーにルージョンが応じることはなかったが、その気配は感じ取ることができた。よって、この様に完全に通信が遮断されているのは不自然であった。
(ルージョンに何かあったのか? いや、あいつに限って敵に遅れを取ることなど……)
イーシュの心は微かに乱れていた。
あたりはすっかりと日が暮れ、夜の闇に包まれている。その中で全体をうっすら照らす満月の光と、街の街灯が明かりを灯していた。
「考えごとかい?」
突如、背後から男の声がした。イーシュは気配もなく近付いた声に驚いた。
背筋に悪寒が走る。
「何者だ!」
咄嗟に振り返り、杖から一撃を放つ。
男は首を少しだけ横にずらし軽々と攻撃を避けると、口元に笑みを浮かべてイーシュの問いに答えた。
「あんたと同じ『護る者』だよ」
街灯に照らされた壮年の男は、頭から足の先まで全身が白く、さらりと長い髪を揺らし、優美な和装を着用している。ゆったりとした雰囲気は散歩でもしているかのように軽やかで、戦場という場所ではとりわけ異様だった。
男は非常に端正な顔立ちをしており、長い睫毛の隙間からこちらを眺めている。その瞳の色は、敵を表す白藍色だ。
(この男、強い!)
イーシュは相手の力を感じ取り、杖を構え一歩後ずさる。得体の知れない不気味なオーラを放つ男は、目を細めてにこりと微笑む。
「かわいいねえ、大事なものは無くさないようにするんだよ」
イーシュは声を荒げた。
「貴様、何の話だ……!」
しかし、イーシュの警戒をよそに男はそのままトンと足を踏み込み、一瞬で遥か後方まで飛んでいった。街の壁をかるがる越え、近くの森の中へと消える。
イーシュは持ち場を離れて男を追うわけにも行かず、暫く呆然としていた。
気付けば、あたりの敵はいつの間にか減り、少しの静寂が訪れていた。街の反対側からは竜族たちの応戦する音が僅かに聞こえたが、こちらが圧倒しているようだ。
半時後、幻でも見たかのような不可思議な体験を思い出し、イーシュはまだ手に汗を握っている。
だが、程なくして後方から人間の男の声が聞こえ我に返った。
「せ、精霊さま! 精霊さま! クルスよ、聞こえますか!」
イーシュは驚いた。
戦況は優勢とはいえ、敵があちこちにいる状況で家から出るなど自殺行為だ。
人間には精霊の姿が見えないため、この非常用に人間にまで見える姿にエネルギーを調整する。
イーシュを目の当たりにした男はひどく驚き、そして、足元に縋るように跪いた。
「ルクスよ! 聞いてください! 闇の精霊シェイド【闇の精霊の総称】が危険なのです! シェイドは敵の手で深手を負い、現在、グシャの塔でルクスを待っています! どうかお急ぎください!」
イーシュは思考が一瞬止まる。グシャの塔とはルージョンの守護地域にある塔だ。
だが、男の言葉には明らかに違和感があった。ただの人間が、どのように精霊であるルージョンの危険を知り得たのか。そして、なぜ戦場となっているエイヴルにまで無傷で訪ねて来られたのか。
男の怪しさは十分わかっていた。しかし、現在ルージョンとの通信が閉ざされている事がイーシュの不安を駆り立てる。
イーシュは一旦心を落ち着かせるため、深く息を吸い込み、改めて男に問い質した。
「お前はなぜ突然現れ、そのような事を述べた。ただの人間が精霊の状態を知り得ることが出来ようか。ましてや、ここまで無事に歩いてくるなど……」
「本当です! ルクスよ、信じてください! シェイドをお助けください! どうか、こ、これを……!」
必死に潔白を訴える男が、手の平にある破れた布のようなものを差し出した。それを見たイーシュは酷く狼狽え、びくりと体を仰け反らせる。
先程の白ずくめの男の言葉が脳裏によぎった。
「大事なものは無くさないようにするんだよ」
──その時、耳をつんざく音が大樹の方向から聞こえた。空を見上げれば遠くに爆煙が広がっている。
イーシュは驚き、しばらく見上げていた。
すると間もなく、イーシュの体を守るように覆っていた大樹の力が忽然と消えてしまった。
その刹那、背中に突き抜けるような鋭い痛みが走る!
振り返ったイーシュの瞳には、スローモーションのようにゆっくりと地面に倒れ込む白い兎が映っていた。
──数分前、ダリ平野にて。
「我らの優勢だ! 同士たちよ! このまま奴らを根絶やしにするぞ!」
竜王ガルシアは仲間を奮い立たせるよう高らかに呼びかける。その手には、絢爛な装飾が施された、ずっしりとした長槍が掲げられていた。
ガルシアと共に戦っていた竜族の精鋭たちも、傷を負った体を顧みず勇敢に戦っている。
尊敬する王に応えるように、戦場には数々の竜の咆哮が轟いた。
竜族はなんと、あれだけの大群だったにも関わらず破竹の勢いで敵を倒し、もう間もなく殲滅できるという所までこぎ着けていた。
もはや、勝敗は時間の問題と思われた。
ガルシアはこの後、戦場が落ち着いたら一度大樹に戻り、次の作戦を練ろうと考えていた。
そう思い振り返ったガルシアの目は、遠くにとてつもない大きさの爆発が巻き起こるのを目撃した。
その場所は、この平野からでも肉眼で捉えられる距離にある妖精の森だ。
直後、ガルシア含め、仲間たちの体を覆っていたバリアが一瞬で消え去った──
(しまった!)
ガルシアは瞬時に悟った。
なぜ開戦後、敵は要である大樹や妖精の森に直接押し寄せなかったのかを。それは、まさにこの瞬間のためだろう。
ダリ平野を囮に使って、こちらの主力の軍を大樹から引き離したのだ。
そして、大樹にある程度の力を消耗させた頃、彼の子供である妖精たちの里に向かって大きなエネルギーが放たれた。
その威力はユーリエルの気を逸らさせ、防御のため、力を一点に集中させられるのには十分なものだった。
大樹の加護が消えた事で、動揺する仲間たちに大きな隙が出来たのは言うまでもない。
この時を待っていたと言わんばかりに温存していた力を解放した白いもの達は、捨て身の力で襲い掛かってきた。
それから戦場は、敵味方が入り乱れる血みどろの激戦となる。あたりには怒号が飛び交っていた。
暫くすると、空から勢いよく飛んでくる一匹の竜が、ガルシアの前に滑り落ちるように落下してきた。周囲には視界が塞がれるほどの砂埃が舞う。
翼が折れた竜は、僅かに首を上げ声を振り絞った。
「竜王……! せ、戦場に、凄まじい力を持った個体が現れました……そいつは、たった一体で我らを蹂躙しています……!」
「……!」
ガルシアは唇を噛みしめる。実は先程から懸念していたことが当たってしまったのだ。敵はバリアを消滅させたこの瞬間のために、強い個体を温存していた。
そして、それは精霊たちが戦っている全体の戦場でも同時に起こっていた!
数は少ないものの、敵の部隊長ともいえるほど強い個体が各地に現れ、形勢は一気に逆転してしまった。
こちらに残された道は死力を尽くすことだけ。
ある者は形態を変え、ある者は本体を現し全力で抗った。
ここからが最終局面だ。