月下の戦い

 イーシュが守護する光の精霊の領域には、多くの種族が住んでいる。その中でも特に栄えているのが人間の住む街「エイヴル」だ。
 エイヴルにはイーシュを祭る祭壇が数多くあった。昔から彼の恩恵を受け、幾度となく助けられてきた街の人々にとって、まさにイーシュは敬うべき神様だったのだ。

 現在、エイヴルの中心にある一番大きな祭壇には多くの人間たちがひしめき合っていた。
「光の精霊さま! 我らの神、光の精霊ルクス【光の精霊の総称】よ! どうかお守りください!」
「ルクスよ! どうか魔物から我らをお守りください!」
「ああ、なんてこと! これは聖書にある大災厄の再来だ!」
 押し寄せる人々で街中は混乱し、街を統治する貴族の騎士たちが隊を作って鎮圧に来るほどだった。

 その内容はというと、近頃、街やその周辺で人が惨殺される事件が多発しているらしい。もちろん常日頃モンスターや動物などに人間が殺される事件は山のようにある。
 ただ、今回のケースは過去に類を見ない「異様」な事件であった。

 殺され方は引き裂かれる、食われる、毒を撒かれるなど多種多様だ。なぜなら、その犯人達の姿形は骨格から全て違うものだったからだ。獣型、鳥型、魚型など様々な種族のモンスター。なんとその中には人間の姿もあったという。
 そして、犯人達には二つの共通点があった。
 一つ目は、各種族の本来の身体能力を遥かに上回る力を持っていること。
 二つ目は、それら種族の個体色とは異なる真っ白な体に変化し、瞳は白藍色に染まっていることだ。
 そんな奇怪な白い集団に追い詰められ、日増しに増える被害に人々の恐怖は増幅し、今まさに弾けようとしていた。

 騒ぎに駆けつけ、教会の屋根に降り立ったイーシュは街を眺めて立ち尽くしていた。
「……遅かったのか」
 待ち焦がれている神が来ても、人間には通常その姿は見えない。数々の叫びは虚空に消え、街は恐怖に震えていた。

 あの日、イーシュがユーリエルに報告に行った時にはすでに遅かったのだ。
 未知の敵はひっそりと星を侵食していた。
 イーシュとティータが見つけた痕跡は、敵が体を操るためか、あるいは乗っ取る時の失敗例だったのだろう。
 おそらく完全に体に馴染む前なら、敵が死ぬか、個体が死ねば数秒で色は戻るため一見何の変哲もない屍だ。そのため、今までは中々その痕跡を見つけられず後手に回ってしまった。

(私があの時に感じた異物感……敵は目に見えない精神体なのかもしれない。報告を聞いた限り、これほどの多種多様な生物を変質させたのを鑑みると、操作ではなく乗っ取り、体を内から作り変えているのではないか)
 イーシュが考えを巡らせていた時、突如頭の中に声が響いた。その落ち着いた声色は非常に聞き慣れたものだった。

 ──「精霊たちよ聞こえますか。一度私の元に集まってください。由々しき事態です」

 大樹ユーリエルには様々な力があった。
 強力な守護の力に、世界を見渡せる千里眼。今回の言葉を脳内に直接伝えるテレパシーもその一つだ。
 精霊や魔族、力の強い魔法使いなどにもテレパシーを使えるものがいるが、ユーリエルは伝えられる範囲がとてつもなく広かった。

 イーシュが返事をしようと目を閉じた直後、エイヴルの街から一層強い悲鳴が届く。
「誰か! あの子を助けて! 攫われてしまったの! お願い!」
「こっちもだ! 白い奴らが攫ってしまった! ユクアの森の方へ向かったぞ!」
「助けて! 助けて!」
 街には白く変化したモンスター達が次々と現れ人を攫っていた。彼らは人を抱え、皆同じ方向へ逃げ去っていく。

 イーシュはその姿を目で追いながら急ぎ通信で伝えた。
「ユーリエルすまない。私はすぐに行けなくなった。可能性の一つだが、敵の本体は精神体のおそれもあり、憑依型かもしれない。容易く力の強いものに入れぬとは思うが、万が一に注意せよと皆に伝えてくれ」
 イーシュは通信を遮断し、ユーリエルの返事を待たず急ぎ森へと飛んでいった。

 真っ赤な夕焼けに照らされたユクアの森は、迫りくる夜の闇と混ざり、不気味な赤紫色になっていた。
 本来、この森は闇の結界が張られ、霧が包み込み他のものを寄せ付けないはずだった。しかし、白いもの達は意に介さずといった様子で次々と森の深くまで侵入していた。

(この者たちに結界は通用しないのか? いや、違う……結界が解かれている!)
 森へ入ったイーシュは結界がなくなっていることに気付いた。常にいるはずの動物や虫など生物の気配が消え、あたりは形容しがたい不気味な雰囲気を漂わせている。
 イーシュは一旦思考をやめ、まずは敵を追うため遠く悲鳴が鳴り響く神殿方向へ急いだ。

 神殿前に着くと、内からよりはっきりと人々の悲鳴が聞こえた。
 周囲には光月花が咲き乱れている。今日は満月ではなく金色に輝いてはいないが、いつもなら可憐な白い花びらを風に揺らしているはずだった。

 だが、そこには明らかに違う景色があった。
 花畑は一面濃い瘴気に覆われ、花や周囲の草木はどろどろと溶け始めていたのだ。
 周りを見渡すと、白いもの達はあたりの木に散らばり、静かに闇に紛れ、無数の青い光だけをイーシュに向けていた。一斉に何百も突き刺さる不気味な視線を受け、思わず背筋が冷える。
「お前たち、何を……」
 言いかけたイーシュの足元には凄まじい勢いで広がる瘴気が迫っていた。

 精霊の中でも光と闇は特別であり、他の精霊と比べても一際力が強かった。イーシュの力なら本来ある程度の瘴気など彼の衣を掠める事もできずに浄化されてしまう。
 だが、この瘴気はイーシュの目から見ても明らかに強力だった。

 イーシュは右手に、空中から出した背丈よりも長い白杖を構える。瘴気に向かって光を放つが、消えるどころか勢いを増すばかりだ。
 軌道を変え、今度は神殿に向かって杖を振るうと光の壁が張られた。これで一時的に神殿内に瘴気が侵入しないよう時間を稼ぐことができる。
 イーシュは思考を巡らせた。
(……浄化では間に合わない! その間に神殿内は増幅する瘴気に晒されるだろう。もし触れれば中の人間たちは数秒も保つまい。森ごと強力な力で消滅させるしか……)
 瞬時に覚悟を決め杖を構えたその時、後方から強く制止する声が聞こえた。

「イーシュ! やめろ……何をしてる!」
 闇の中から現れたルージョンは、あたりを見回し目を瞠った。
 イーシュは振り返り、ルージョンの姿をとらえると僅かに動揺し、杖を持つ手に自然と力が入る。
 イーシュにとってもこれはもちろん簡単な決断ではない。ユクアの森や光月花の花畑は二人にとって唯一の故郷だ。
 だが、人命には変えられなかった。

「ルージョン……もう、こうするしかないんだ」
 イーシュは歯を食いしばり、花畑に一歩足を踏み出した。ルージョンはイーシュの衣を咄嗟に掴む。
「なぜだ! あんなちっぽけな奴らのために……お前は……この森を壊すのか! この森を……!」
「……時間がないんだ」
 感情的なルージョンとは対照に、冷静にとれるイーシュの言葉にカッとなり、ルージョンは思わず胸ぐらを掴んだ。
「イーシュ! あんな奴らなぞ放っておけ! 敵を追い払って、時間をかけてゆっくりと浄化すればいいだろう! 何も森を破壊することはない! 私達にとってこの森は……花は……どれだけ……!」
 イーシュは反論せずに受け止めている。だが、いくらルージョンが訴えかけてもその瞳には揺るがない決意があった。
「……すまない」

 その一言を聞いたルージョンは狼狽え、苦々しい表情でゆっくりと視線を落とした。そして、何かを言いかけた口はそのまま固く閉じられる。
 ルージョンは黒衣を翻し、夜の闇へと消えていった。

 森には未だ、人々の助けを乞う悲鳴が響いていた。いつの間にか見張るようにあった無数の青い光はなくなっている。瘴気は更に森の広範囲へと広がり勢いを増していた。

 イーシュは白杖を高く構え、森を包み込むほどの大きな光を放った──

 なぜ、ユクアの森は、常に深い霧に包まれ闇の力で閉ざされていたのか。恐ろしい魔獣の遠吠えを響かせ人を遠ざけていたのか。無害な動物や草花以外を寄せ付けず清らかだったのか。
 それは、森を守るために張り続けてきたルージョンの結界だった。
 ルージョンは多くを言葉で語らない。だが、その心は長い時間共に過ごしてきたイーシュには痛いほどわかっていた。
 イーシュは先程のルージョンの顔を思い返し、深いため息をつく。

 神殿だけを残し、大部分が更地となったかつてのユクアの森でイーシュはひとり立ち尽くしていた。


 ──その後、被害は少ないものの、エイヴル以外の様々な地域の街や村でも同じような「白いもの達」による多発襲撃が起こっていた。

 数日後、大樹の樹冠にある広場には光、火、水、土、風、雷の六人の精霊が集まった。
 精霊の数は全部で九人だが、時の精霊は使命のため、基本的に時空の間にある「時の神殿」から出ることはない。闇と氷の精霊は交流を嫌い、会合の場に集まることはない。という具合である。
 広場の中心には大きな木の丸机があり、ユーリエルと各精霊たちはそれを囲うように座っていた。

 雷の精霊ハディは、足を机に乗せ悠々と話す。
「ふん、それで結局奴らは何者なんだ?」
 ハディは四方に跳ねた長い金髪を高く結い、派手な化粧をし、優雅さと豪快さを合わせ持つ美しい少年の姿をしていた。そうは言っても彼は精霊なのでゆうに千歳を超えているのだが。

 向かい側にいる水の精霊ティータが答えた。
「わからない……だが、イーシュも私もその者たちを未知の脅威と感じている。今回の、エイヴルや各地で起きた事件を鑑みると、前代未聞だが新種の生物か、はたまたこの世界の外からきた外来種の可能性があるのではないか」
 ティータは真面目で利発な雰囲気を漂わせる端正な顔立ちの青年だ。水色の長く艷やかな髪をきちんと結い、鱗の肌を持つ姿は涼しげである。

 ハディは不満そうに答える。
「外来ったってどこから湧いて来たんだよ? 時空の間か? それとも宇宙からか? ハッ!」
 茶化すような様子のハディに、上座から落ち着いた声が二人の間に入った。
「そうあながち間違いではないのかもしれません」

 ユーリエルが話し出すと、精霊たちは少し背筋を正し視線を集中させる。大樹である彼は精霊たちにとって父のような存在なのだ。
「私は常日頃、大地に根を張り世界を見守っていますが、彼らの一番の脅威はその『気配を消す能力』です。先日イーシュとティータの報告によって存在を知りましたが、今回、この者たちが敵意を持った姿を現して初めて、私は彼らを認識することができました。そして、数日も経たぬうちに各地に現れた」
 ユーリエルはひと呼吸おいて続ける。
「それはつまり、数多の敵が誰にも気づかれずある程度の長い期間潜伏していたということ。まだまだその規模は計り知れません。それは、とても恐ろしいことであり、この星が生まれてから初めての出来事でもあります」
 ユーリエルの言葉に真剣に耳を傾ける精霊たちは次の言葉を待つ。
「彼らは未知のものであり、知恵のあるものたちだと私は考えます。よって我々も慎重に動く必要があり、力を合わせて対処せねばならぬ問題です」

「ユーリエル」
 イーシュが小さく手を上げ発言の許可を取る。ユーリエルはゆっくりと頷いた。
「……ユクアの森での奴らの行動は、明らかに何らかの狙いを持って一様に動いていた。奴らの行動原理を推し量ることはできないが、非常に厄介なものだと私も考える。奴らには指示を出す司令塔のような者がいるのではないかと思う。あの夜、森に張ってあった結界がいとも容易く破られていた。おそらくはそいつの仕業だろう」

「ほう、ではそやつを潰せばよいのだな」
 イーシュの発言に、口を開いた火の精霊フエゴは好戦的な瞳をギラつかせていた。その威厳ある姿は勇ましい武神といった風采で、猛々しい炎の壮麗な青年だ。
 イーシュはフエゴに向き直り答えた。
「ああ、だが、そいつを炙り出すのには少々骨が折れそうだが……」
「何、細かいことはお主とティータが調べてくれよう。我はいつでも奴らを焼き尽くそうぞ。なあハディ?」
「おうよ! 戦いなら俺とフエゴに任せときな!」
 フエゴに促されたハディは意気揚々と答えた。

 ──ふいに、大樹の葉を激しく揺らす一陣の風が吹いた。巻き上げた木の葉が周囲を飛び回る。
 精霊たちがその風の根源に視線を移すと、低い声が広場に響いた。
「ざまあないな」
 男はそう言い放ち、空から大きな翼を羽ばたかせ舞い降りてきた。頭には二本の突き上がった角を生やし、太い尻尾を優雅に揺らしている。
 傲慢な語り口からは自信が漲り、抑えきれないオーラを纏っていた。威風堂々たるその姿は天に構える竜族の王ガルシアだ。

「普段ふんぞり返っている、お偉い精霊さま方が集まって、大層慌ただしい様子じゃないか」
 ガルシアが皮肉をたっぷりと込めるとすぐさまハディが突き返した。
「何でてめぇがいるんだよガルシア! 大好きな自分のお家にでも帰ってふんぞり返ってろ!」
「そうか、では、そうさせてもらおう」
 ガルシアは口元を緩ませ悠々と答える。
 今にも掴みかかりそうなハディを抑止するようにユーリエルは立ち上がった。
「私が彼をお呼びしたのです。ハディどうか落ち着いてください」
 その言葉を聞き、ガルシアは得意そうに片眉を跳ね上げると、ハディは忌々しげに舌打ちする。

 竜族は風に属し、天に浮かぶ竜の都に住む、古からの神の種族だ。竜族は一人一人の戦闘能力が非常に高い。それを束ねる竜王ともなれば能力は精霊に匹敵するほど強力で、彼らは集団としてとてつもない戦力だった。
 だが、竜族は非常にプライドが高い。基本的に自分たち以外のものを見下しているため、度々他の種族たちと衝突を繰り返していた。

 ユーリエルは皆の顔をゆっくりと見回す。
「此度の件は、必ずや竜族の助けが必要となるでしょう。星のため皆が一丸となって力を尽くす時。ガルシア、お越し頂き感謝します」
「……」
 竜族と精霊たちとの関係は、例外はあれど決して良好ではない。本来なら竜王が嬉々として彼らの集まる大樹へ来ることなどありえなかった。
 しかし、ガルシアは腕を組み悠然と答える。
「いいだろう。大樹に貸しを作るのも悪くはない。我ら竜族がいる限り、どんな敵が来ようとも全て蹴散らしてくれる」
 この時、両者の間に一時的な協力関係が成立した。
 ユーリエルはガルシアに敬意と感謝を込めて一礼する。

 その直後── 
 ユーリエルは碧眼の瞳を固く閉じ、額に指を添え、じっくりと見極めるように静止したあと、ふたたび瞳を開けた。

 イーシュはその様子に尋常ではない何かを感じ取り、尋ねる。
「ユーリエル、一体何が……」
 嫌な予感を拭えないイーシュは厳しい表情でユーリエルの言葉を待った。イーシュはここにいる誰よりも近くで敵に触れ、その異様さを肌で感じているのだ。

「敵はすでに何手も我々の先を進んでいるようです。こちらが体制を整える間を与えてはくれませんでした。皆それぞれの領域へと急ぎ戻り、防衛してください。総力戦です」
 ユーリエルの言葉に一同息を呑む。
「ガルシア、竜族には各地の援軍へと向かって頂けないでしょうか。あなた達と我々が手を組めば必ずや道が開けるはずです」
「ああ」
 小さく頷いたガルシアは翼を翻し、空へと消えた。
 
 戦いの幕開けだった。


 ──その夜。
 白い兎は灰となった更地に佇み、白藍の瞳で一心に夜空を見上げていた。
 そこには皓皓と照る月があった。

 兎はしばらく月を眺めたあと、その小さな前足を空に向かって高く掲げる。
 まるで月を懐かしむように、慈しむように──
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