月下の戦い

 一つの惑星があった。
 はじめ、星は枯渇した海と、岩と砂の荒地だった。
 その中心には、雲を突き抜け天まで届くほどの大きな一本の木だけがあった。
 大樹は長い年月をかけて大地に力を与えた。

 次第に緑が増え、土地が豊かになると数多の生物が生まれた。
 やがて様々な種の繁栄と絶滅、進化を繰り返し星に命が満ちた頃、大樹はその身に蓄えてきた巨大なエネルギーの塊を取り出し、九つに割った。

 一つ目の石を取り、初めの精霊を作った。
 その精霊は「時」を司り、世界の均衡をはかる役割を担った。
 次に、二つの石を取り「光」と「闇」を。残りの六つを使い「火、水、土、風、雷、氷」それぞれの精霊を作った。こうして世界は大樹、精霊たちの庇護の元に安定し発展していった。


 ──現代から遡ること五千年。

 大樹から北西に少し離れた場所に深い森がある。朝日が昇れば深緑の葉は濃い霧に霞み、月が昇れば不気味な魔獣の遠吠えが響き渡り人々を遠ざけた。
 そこはユクアの森と呼ばれていた。

「ねえ、父ちゃん、本当にこの森に神様がいるの?」
 早朝、森の入り口にある山道で若い商人の親子が荷車を引いていた。息子はまだ五つ程の幼子で、荷車の後ろに座り濃い霧が立ち込める森をのぞいている。あたりは肌寒く、白い息を吐く少年の瞳には僅かな恐怖と抑えきれない好奇心が混ざり合っていた。
 少年は再び父に尋ねる。
「それとも、悪い魔物がいるの?」

 森の奥深くには白銀の神殿があった。森の外からは少し神殿の上部が見える程度で、実際に足を踏み入れて無事に帰った者はいないと噂されていた。

「悪い子がいると、あの神殿に攫われて食べられてしまうんだぞ」
 からかうように話す男に、少年は身を乗り出して答える。
「う、嘘だよ! 僕知ってるんだ、ここには優しい神様がいるって」
「そうか、じゃあ何をそんなに怖がるんだ?」
 男が荷車の後ろを振り返ると、少年はおずおずと項垂れていた。
「……黒くて怖い神様も一緒にいるって」
 軽く笑った男は頷きながら少年に言った。
「そうだ、よく知っているな。このユクアの森には光の精霊さまと闇の精霊さまがいるんだ」
「精霊さま……二人とも神様なの?」
「ああ、そうだ。ただし……」

 男は少年に言い聞かせるように続ける。
「光の精霊さまは慈悲深く皆を導いてくれるが、闇の精霊さまは容赦がなく、一度怒りを買えば一族末代まで呪われ滅ぼされてしまうんだ」
 幼子には恐れを抱く言葉の数々に震え、縮こまる息子に男は笑顔を向けた。
「大丈夫だ、闇の精霊さまも悪さをしなければ我らを導いてくださる。いい子でいるんだぞ」


 ──黒衣の男はふんと鼻を鳴らす。

「子を怖がらせ、躾けるための迷信だ」
 後ろにいる白衣の男が伝えると、黒衣の男は目を細め忌々しいといった表情で返した。
「……どうでもいい。それより、こいつら人間はなぜ小賢しい知恵をつけ、虫のように増える」

 森に佇む全身が白と黒の二人の男は、おおよそ人とは思えない出で立ちをしていた。
 ひとりは、白い陶器のような肌と白銀の髪、聡明な眼差しは威厳を感じさせた。
 ひとりは、黒い肌に黒い髪、白目の部分は黒く余計に人ならざる容姿を携え、眼差しは鋭く冷酷な印象を与えた。

 二人の顔は鏡合わせのように瓜二つだった。人のものではない耳はピンと尖り、どちらもややつり目のくっきりとした二重瞼に、鼻筋の通った端正な顔立ちの青年だ。
 ただ、白衣の青年の方が僅かに太く短い凛々しい眉をしていた。

 白衣の青年はやれやれといった様子で首を横に振る。
「ルージョン、なぜそう人間を毛嫌いする」
「イーシュ、お前こそなぜ好んで助ける? 奴らは身勝手な上に学ばない。勝手に争ったあげく都合が悪くなれば助けを乞う。何度お前の手を煩わせたか」

 光の精霊イーシュと闇の精霊ルージョンは光と闇を司り、ユクアの森を中心とした地域一帯を広く守護していた。

 精霊の役割は様々あれど主に世界の安定と調和だ。それぞれに管轄する地域があり、精霊によっては人間にあまり干渉しないものもいれば、人間を好み積極的に助けるものもいた。
 例えば、天災や凶悪なモンスターの鎮圧などだ。基本的には自然界の理に沿うが、魔の者の度が過ぎた行いには精霊が直接力を振るうことがある。
 慈悲深く聡明な光の精霊イーシュは、この数千年幾度も人間たちを導き守ってきた。その伝説が世に広まり人々からの信仰も一際あつかった。

 イーシュは弟に諭すように言う。
「彼らは生きるのに必死なのだ。我らと違い、人の力は限られるゆえままならない。そう邪険にするな」
 ルージョンはそれ以上聞く必要がないとでも言わんばかりに顔を背けた。


 ──大樹は堂々と天までそびえ立ち、星の隅々まで見渡せるほどの存在感を放っていた。
 青々と輝く葉は光を弾き、生命力があふれ瑞々しい。幹は見上げれば視界に入り切らないほど太く、幾重にも枝分かれていた。

 大樹の樹下には森が広がっていた。
 そこは大樹から生み出される妖精たちの住む里がある神秘の森だ。一度足を踏み入れれば方向感覚を失い惑わされ、妖精の里には誰一人としてたどり着けない。
 妖精の森を抜けて大樹の幹を登っていくと、樹冠には太い枝で出来た広場のような空間があった。そこは人型となった大樹の化身であるユーリエルの住処だ。

「ユーリエル、息災か?」
 広場の空間から現れた白い人影は親しみのこもった口調で話しかける。
 声を聞き、ゆっくりとした動作で振り返るその人物は、両手に羽衣をはためかせ、高貴な佇まいは仙人のような風格があった。

 ユーリエルは小さく微笑む。
「イーシュ、そちらこそお変わりありませんか」
 瞬きをすると、長い睫毛が揺らめき美しい碧眼の瞳をのぞかせた。肌は雪のように白く滑らかで、金色の髪を肩下でゆるく結っている。その儚げな美貌は息を呑むほどだ。

 ユーリエルは広場の隅にある枝で出来たテーブルにイーシュを案内した。その後、木の湯呑を二つ持ってきてそっと置く。
 イーシュは湯呑を少し持ち上げて尋ねる。
「妖精の酒か?」
「はい、今年は特に豊作なんです。おかわりも十分ありますので遠慮なく仰ってください」
 そう言うと、ユーリエルは両手で湯呑を持ち、上品な所作で酒を口に運んだ。
 イーシュも一口飲み満足そうに答えた。
「うむ、流石だな。妖精の酒でしか出せぬ味だ。だが、あまりに酔ってはまずい。今日はこの一杯だけにしておこう」

 何かを察して顔を向けてきたユーリエルをちらりと見た後、ひと呼吸置いてからイーシュは口を開く。
「……実は今日ここへ来たのは少々気になるものを見つけたからなのだ」

 数日前、イーシュは見回りでサングヤダ渓谷にいた。そこで一匹のモンスターの死骸を見つけたのだ。
 サングヤダ渓谷には蹄の発達した獣型モンスターの「ヤクト」が生息していた。ヤクトは警戒心が高く群れを好み、同胞の死骸は巣へ持ち帰り食べる習性があった。
 その為、一匹で外傷もなく野ざらしで死んでいるのは少々珍しくイーシュは近づいて観察した。死んで間もないのだろう。その死骸は今にも動き出しそうなほど綺麗だった。
 イーシュがおかしいと感じたのにはもう一つ理由がある。ヤクトは本来は黄土色だが、その個体は全身が白みがかっていたのだ。
 突然変異か、あるいは術をかけられ変異したのかいくつか理由をあげることはできる。だが、直感でそれらは違うと思った。この体からは今までに体験したことのない「異物感」を感じたのだ。

「厄介なものだと?」
 そこまで静かに聞いていたユーリエルが尋ねると、イーシュはこくりと頷く。
「……直後、一瞬で色が本来の黄土色に戻ったのだ。異物感が消え、ただのヤクトの屍だけが残った」
「……死因はわかりましたか?」
「腹を割いて中を見た。内蔵は……見る影もなく溶けていた」
 イーシュは思案するように一点を見つめている。
 ユーリエルはゆっくりと話し出した。
「実は、先日ティータからも似たような報告を受けました。ネレハ湖の畔。ヤクトとは別種の個体です」
「ティータ……彼は何と?」
「あなたと同じく警戒に値すると。現在追って調査をしてもらっています」
 ネレハ湖は水の精霊であるティータの力が及ぶ支配地域だ。生息しているのは、主に鱗や鰭の発達した魚型モンスターである。
 イーシュは僅かに目を細め指で顎をなでる。
「この二つの件は偶然か、はたまた……我らの杞憂であれば良いのだが……」

 ──ガサッ!
 突如、前方の葉群からわらわらと現れたものたちに二人の視線が集中した。
 その姿は一見まるまると太った兎だ。雪だるまか、鏡餅のように白く丸い体に垂れ耳を生やしている。背中には飾りとばかりに小さな羽があるが、おそらく、その大きさで羽ばたく事は出来ないのだろう。ぷかぷかと不思議な力で浮いているようだ。
 大樹の子供である妖精たちはそのつぶらな瞳を輝かせ、代わる代わる歓喜の声を上げた。
「大樹さま! 大樹さま!」
「ご機嫌はいかがですか?」
「こんなに大きなどんぐりがありましたぁ」
「ユーリエルさま〜お酒はいかがですか〜?」

 妖精という種族は皆おっとりとしてマイペースだ。悪く言えばのん気で騙されやすい。親であるユーリエルを慕い、無邪気にそれぞれの持ち寄った「お土産」を見せにこにこと話しかけてくる。
 妖精たちの中には一回り小さいものもいた。まだ生まれたばかりの子供なのだろう。呂律が回らない言葉で懸命に喋り、手に乗せたどんぐりを差し出している。
「たいじゅちゃま、どうぞ」

 ユーリエルはどんぐりを受け取りながら子妖精の頭を優しく撫で、周りを飛び交う妖精達に言った。
「皆ありがとう。でも、今は来客中ですので、もう少しいい子で待っていてもらえますか」
 それを聞くと、机の向かい側にいるイーシュへと視線が一斉に向けられる。
「わ! 精霊さまだ! 光の精霊さま!」
「綺麗だな〜素敵だな〜」
「大樹さま、光の精霊さまごめんなさい」
「お邪魔してしまいました」

 妖精たちは皆イーシュを見つめ、身振り手振りで感嘆したり謝罪したりと目まぐるしい。
 イーシュはそんな彼らに微笑みかけた。
「お前たちの作った酒は今年も傑作であった。少しもらって帰ってもいいか」
「も、も、もちろんです! 光の精霊さまのためならいくらでも作ります!」
「沢山持ってきます!」
 イーシュの言葉に皆感激し、謝罪と共に名残惜しそうに里へと帰っていった。

「後で何本か包みます。ルージョンへのお土産にもよかったら」
「ありがとう、あいつもきっと喜ぶ」
 ユーリエルの言葉にイーシュは頷いた。妖精たちが去った広場は元の静寂を取り戻していた。
 ふと、世間話をするようにユーリエルが言う。
「ところで、先日はルージョンとハディとでまた喧嘩をしたそうですね。数時間ほど雷は鳴り止まず渓谷は半壊してしまったとか」
「……ああ、全く困ったものだ」
 イーシュは小さく嘆き眉間をさすった。

 雷の精霊ハディは豪快で気持ちのいい性格だが、気性が荒いため、馬の合わないものとはよく争いを起こしていた。ルージョンはイーシュ以外の誰にでも非好意的なので、例外なくハディにも高圧的な態度をとってしまい二人は度々争っていた。

「ルージョンは……ハディだけではない。年々世界と隔絶している。仲良くしろとは言わないが、せめて争わぬよう言い聞かせているのだが……」
 イーシュは少し躊躇ったあと続ける。
「時折……心配になる。もし、私がいなくなったらルージョンはどうなってしまうのだろうと。何千歳もの男に過保護だろう? 私にもわかっている。だが、もう少し私以外のものにも心を開いてくれれば……」

 弟を案じ頭を悩ませているイーシュの手を取り、ユーリエルは真っ直ぐに青い瞳を向けた。
「大丈夫ですよ。ルージョンはあなたの半身。お互いに分かり合えないはずがないのです」
 ユーリエルの言葉は水のように澄んでいて、声は柔らかくとても聞き心地が良い。まるで大樹に包まれるかのように心は和らいだ。
「……ユーリエル、あなたの言葉はいつも不思議と心に落ちる。感謝する」

 ユーリエルが微笑むと、イーシュはしっかりと椅子に座り直し改めて向かい合った。
「ユーリエル……この先、もし私に何かあったらルージョンを頼まれてくれないか」
 イーシュの金色の瞳には様々な思いが散りばめられていた。ユーリエルはその思いに応えるように心を込めて伝える。
「もちろんです、私はいつでもあなた達を見守っていますよ」


 ──ユクアの森深くには光と闇の精霊の神殿があり、それを囲むように人知れず「光月花こうげっか」と呼ばれる花が群生していた。
 色は純白で、花弁は大きめの先が尖った細長い形をしている。幾重にも重なった華麗な八重咲きの花びらが満月の光を浴びると、きらきらと黄金に輝くのだ。月に一度非常に幻想的な光景が広がる。
 光の精霊イーシュと闇の精霊ルージョンはこの森で育った。

 精霊は、前の精霊が果てると額の石だけを残しエネルギーとなって消える。その残った石が大樹に還り、また新たな精霊となって生まれてくるのだ。そして、時の精霊から「名」を授かりそれぞれの領域へと放たれる。
 精霊は生まれておおよそ百年の間で赤子から幼少期の姿を経て大人になる。

 太古の昔より、光と闇の精霊は不思議と対のように同時に生まれてきた。つまりは、消滅の時も同じなのだ。最古の二人がそうであったからなのか、それとも何かの運命とでもいうのだろうか、一度として例外はなかった。
 それにも関わらず、あの時なぜユーリエルにルージョンを頼んだのかイーシュ自身にもわからなかった。時の精霊のように未来が視えるわけもなく、自分たちに何が起こるのかもわからない。ただ、ふいに口から出てしまったのだ。

「イーシュ! 光月花こうげっかも、この森も、私たち二人だけのものだ!」
 ユクアの森に降り立ったイーシュは、無邪気にそう言い放つ子供姿のルージョンの笑顔を思い浮かべる。
 幼少期は長い精霊の生を考えればほんの僅かな歳月だが、イーシュにとって、当時の記憶は六千年経った今でも鮮明に思い出せた。
 二人はお互いを支えとし、何をするにも一緒だった。お互いがいれば他には何もいらなかった。
 双子のように瓜二つに生まれ、先に発生したイーシュが兄でルージョンが弟だ。少しの違いではあるが、イーシュは兄である自分が弟を守るのだと固く誓っていた。

 ──カサッカサッ
 イーシュが音の方向に顔を向けると、光月花の花畑の中から何かが飛び出してきた。
 それは一匹の白い兎だった。

 イーシュは先程会っていた妖精たちの姿を思い出し、ほくそ笑むと、小さな命を抱き上げた。
「お前もこの花が好きか?」
 兎は薄ピンク色の鼻をひくひくと動かし、静かにイーシュの腕に抱かれている。
 そのつぶらな瞳の色は、静寂な白藍しらあいだった。
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