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7

マセラティ・グラントゥーリズモのステアリングをきりながら、ブチャラティは考えていた。

ルナと出会った時の感覚が何だったのかわからないほど、自分はガキじゃあない。

アバッキオに指摘されるまでもなく、自分の中に生まれた感情に気づいていた。

ーーヤバい。

そう思った時は、たいていのことが遅すぎるものだ。

今まで、仕事も含めてそれなりに女はいたものの、特別な相手は作らないようにしていた。

いつ死ぬかもわからないギャングである自分。そんな世界に、相手を巻き込んではならない。

12の時にこの世界に入って以来、そのことを誰よりも一番わかっているはずだ。

それなのに、だ。

気がつくと、ブチャラティの口許は自嘲の笑みを浮かべていた。

「情けねえな・・・」

ホテルのドアマンに車のキーを放り、サングラスを外しながらロビーに入る。

ブチャラティに気づいたホテルのスタッフがそれとなく挨拶をする。

このネアポリスは、パッショーネの街と言っても過言ではない。

そしてそれは社会の暗部だけではなく、表の世界にも広がっていた。

ブチャラティはイタリア人らしくなく時間に正確なので、待ち合わせの場合は、たいてい早く現れる。

待ち人はまだ来ていないことを確認して、ソファに座ったところで、ふと、頭の中に、昨日ナランチャがなにげなく呟いた言葉が響いた。

『オレ、頭悪いから上手く言えねえけど・・・なんか、ルナって明るいけど・・・寂しそうな感じがするな。』

ーー寂しそう、か。

ナランチャは、勉強はダメだが実は鋭い。
特に人の感情の機微を読むのに長けている。

天真爛漫で気さくで、シャイで天然。

けっして不快ではないやり方で、他人の心の中に、いつのまにかするりと入り込んでしまう、不思議な魅力の持ち主。

そんな女がもつ、寂しさとはいったい何だ・・・

ーーざわっ。

ロビーの空気が変わった気がして、ブチャラティは思考を中断して奥へと目をやる。

すると、周囲の目を惹きつけながら、ルナがゆっくりとこちらへ歩いて来ていた。

これまでジーンズにスニーカーという格好しか見たことが無かったが、今日は違った。

ティレニア海を思わせる深いブルーのさらりとしたワンピースに、同系色の上衣を持ち、白いサンダルを合わせている。

ぴんと伸びた背中に琥珀色の長い髪が絹の滝のように流れ、ワンピースの色とともに、真珠色の肌の輝きをより一層引き立てていた。

ブチャラティは立ち上がりながら、今日、車で来た自分の判断を内心で褒めた。

ーーまいった・・・

もし今日のルナを街に連れ出したら、いつかの自分のセリフじゃあないが、ネアポリス中の男に目をつけられるな。

「ブローノ。」

透明感のある優しい声が自分の名を呼ぶ。

本人は気づいているのか、いないのか・・・ロビーの男たちが一斉にこちらを見る。

「待たせたかしら。」

「ーいや。」

男として、じんわりと優越感を抱きつつ、ブチャラティは、ルナのほっそりした白い手をとる。

「普段の姿もいいけど、今日みたいな姿もよく似合う。本当に綺麗だ。」

言って、その手に目を閉じて口づけた。

「Grazie・・・」

宝石のように美しいヴィオラの瞳が、はにかんだような微笑む。

日本人だからだろうか、ルナはすぐ赤くなる。それがまた可愛い。

ブチャラティは、むき出しの白くなめらかな肩に触れたいという欲求をなんとか理性で抑えつけ、ゆっくりとルナの手を引きながら言った。

「行こう。」





ーーああもう、ほんとに・・・

ルナはドキドキする心臓を一生懸命落ちつけていた。

キスされた手は、そのままさりげなく繋がれてしまった。

やっぱり、手、大きいなあ。
温かくて、気持ちいい。

こんなんで今日、心臓もつのかしら、私は・・

心臓に悪い張本人は、ホテルの制服を着た男が投げたキーを軽やかにキャッチし、折りたたんだ紙幣を男に渡した。

そして、ブチャラティは助手席のドアを開けると、ルナに笑いかけた。

「どうぞ、bellissima.」

その、流れるような一連の動作の優雅さって言ったらもう!!

こんなお迎えをされて上機嫌にならない女の子なんて、いないと思うわ。

パールホワイトに塗られた美しい車はすべるように走り出した。

「今日は車なのね。」

「ああ。普段はあまり乗らないんだが。少しネアポリスを離れないと、いろいろ不自由だから。」

「まあ、ブローノって、有名人だものね。」

何度か一緒に街を歩いた時も、お店のおじさんやおばさん、おばあさんからも親しげに挨拶されていた。

「有名人と言えることじゃあないさ。仕事柄、たまに頼まれごとをされるっていうだけで。」

この人の、こういうところが良い、とルナは思う。

言動の端々に、誠実さや優しさが感じられる。

だからギャングとはいえ、街の一般の人たちからも信頼されているのだろう。

「ところで、どこに連れて行ってくれるの?」

「内緒だ。」

「えーっ?」

ルナが頰を膨らませてブチャラティを見ると、サングラスをかけたその整った横顔が笑った。

「教えるとつまらないだろ?心配するな、可愛いジャポネーゼをどこかに売り飛ばすわけじゃあない。」

「冗談にならないでしょ、あなたが言うと・・・」

まったく、と、呟いてルナは厚い革張りのシートに身を預ける。

今日のブチャラティは、カジュアルすぎない黒いジャケットに黒いパンツを身につけていた。それに、シワひとつない真っ白な、上質なシャツを合わせている。シャツのボタンは上から二つ開いていて、たくましい胸から色香が漂っていた。

ルナは、改めて不思議に思う。

こんなに素敵な青年が、なんで、私をデートに誘ったのだろう。
多忙の中、やっと取れたお休みだろうに。

そう考えると、やっぱり・・・

ルナは、学生なのか?」

ふいにブチャラティに話しかけられ、はっと意識が車内に戻る。

「高校を卒業したところ。日本は、3月に卒業式があるのよ。」

「へえ。この後は?大学?それとも働く?」

「一応、9月からアメリカの大学に行く予定になってはいるけど。」

「裕福なんだな、君の家は。良いホテルに泊まってるし。」

「私の家は一般家庭よ。というか、一般家庭だったわ。両親は亡くなったの。それから親戚の家にお世話になってる。」

「そうなのか・・・」

「まあ、ありがたいことに、親戚のいとこが良くしてくれるから。」

「お母さんはイタリア人だろう?もしかすると、こっちにも親戚がいるんじゃあないか?」

「そうかも。でも、よく知らないわ。ママは昔のことはあまり話さない人だったから。」

そこまで言って、ルナはくすりと笑って運転席を見た。

「質問攻めね。どうしたの?」

ブチャラティは前を見たまま、ふっと笑った。

「気を悪くしたらすまない。知りたいんだ、ルナのことを。」

「別に嫌じゃあないけど。」

そこで、ルナは目を閉じて微笑んだ。

「そうね・・・じゃあ、あとで、一つ秘密を教えるわ、ブローノ。」

「秘密?」

「そう。でも今は、内緒。」

と、ルナは静かに答えた。





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