いちごソーダとホットミルク
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─ 最終話 ─
繋いだ手、美味しい食べ物に楽しい会話、ふと見た横顔、ふいに合う視線、雨上がりの空気、縮まる距離と触れ合う唇。
今まで見ていた景色が、何気ない仕草が、私を揺らす。
こんなにも今の自分の気持ちにぴったりな曲があるなんて。いつか耳にした恋の歌のうろ覚えのサビ部分を口ずさみながら玄関のドアを開けると、直くんが神妙な顔つきで立っていた。エンドレスリピート決定だった曲は突然の終わりを告げ、もう一人の彼への労いの言葉を探すのに切り替わる。
「ただいま〜、わ、直くん! お仕事お疲れさま。今日は早いんだね」
非番の日以外で直くんが私より家にいることはすごく珍しい。仕事の日は20時過ぎに帰ってくるからそれまでに帰ってごはん作って待っていようと思っていたのに。嬉しいけれどいつもと様子が少し違う。デートの事は朝伝えたはずなんだけどな。傘立てに傘を入れて、靴を脱ぐ。見続けられるのもなんだかやりづらく、若干ギクシャクしながら部屋へ上がる。
「おかえり。きみは随分遅かったじゃないか」
「えっ、まだ19時前だよ?」
門限ギリギリに帰ってきた娘にお父さんが言うような口ぶりに、私も口ごたえする娘みたいな返事をしてしまった。それでも彼は毅然とした態度のまま話を続ける。
「地元のヒーローがアーケード街でイレイザーが可愛い子とデートしてるって教えてくれてね」
「直くんにも言ったよ、今日は消太さんとデートだって」
「ああ聞いたさ、だがね目撃時間は昼過ぎから夕方頃だ。その後、住宅街へと仲睦まじく歩いて行ったと報告を受けている」
わあ、なんだか取り調べを受けてるみたいだ。直くんも背が高いし鍛えてるから威圧感がすごい。あと目ぢから。ヒーローとはまた違うピリッとした緊張感に背筋が伸びる。
「……消太さんの家に」
直くんは、ふうと一息ついて私の手を取った。
「あの、お話してただけだよ? ちょっとぎゅーとかはしたけど、私が恋愛経験ないって言ったから、手加減してくれた、んだと思う」
「恋愛経験がない?」
「うん、私の人生初彼氏、直くんと消太さん」
私がそう言うと、「私とも話をしよう」と手を引いて廊下を一緒に歩いた。当たり前なんだけれど手の分厚さだとか感触が消太さんとは全然違う。安心するのに胸がとくとくと静かに高鳴る。あと、取り調べ感が抜けなかったのか仕事中にしか聞けない直くんの一人称が聞けてドキッとした。
手を洗い、私の部屋の前で一度別れた。直くんは「リビングにいるよ」と言って廊下の先の部屋へ行き、部屋に入った私は消太さんにメッセージを送って、部屋着に着替えるためにクローゼットを開けた。選んだ服に袖を通している間に消太さんから返事が来て、つい顔がにやける。『楽しかったな、またデートしよう』だって。ふふふ。消太さんは意外とマメだ。たまに私の仕事の昼休みにあの河川敷のベンチにやってきては一緒にお昼ごはんを食べたりするし、非番だからって仕事帰りの私を送ってくれたりもする。その時に抱えた紙袋の中身が猫関連だったりして可愛いの。最初に会った時も猫缶たくさん持ってたし、猫が好きみたいなんだけど、聞いても「まあ普通」とか言って。でもその顔がちょっと照れてたから、彼は相当の猫好きだと私は確信したのだ。
そんな意外とマメで可愛らしい一面を持つ彼に返信をして、直くんが待つリビングへと向う。私がずっと直くんのこと好きだった事、前に言ったから恋愛経験はないと気づかれてると思っていたんだけど、そうじゃないみたい。まあこの歳まで恋人がいないなんてモテてた直くんからは想像つかないよね。
「お待たせ」
「ここ、座って」
ソファの定位置に座っていた彼が、座面をぽんぽんと軽く叩きながら呼んで、その声が少し静かだったから私は隣にわずかに隙間を空けて座った。
「消太さんの家に行ったから怒ってる?」
「いや、付き合っているからいいんだ。すまない。みっともなく嫉妬した」
「直くんが嫉妬?」
「ああ、するよ。今までも見た事も会った事もないきみに触れたやつを想像しては嫉妬していたくらいだ」
「そんな人いなかったよ」
「ああ、だから動揺してる」
そう言って直くんは隙間を埋めた。そして、ソファの背もたれに押し倒すように抱きしめて、「愛してる」と囁いた。私を甘やかすその唇が、耳に、目元に、頬にと降って、唇へと触れようとした時、リビングのドアが開いた。
「ただいまー、あら私おジャマだったかしら」
そう言いつつも、あらあらと言いながら近づく真ちゃんのキラキラとした視線が痛い。
「おかえり、真ちゃん」
「おかえり、真」
ぴたりとくっついていた身体を離して、行き場を失った両腕をぴしっと膝の上に伸ばして置く。横目で見ると直くんも同じ格好をしていた。
「なによ、二人ともかしこまっちゃって。というか兄さんたちいつの間に付き合ってたの? あのイレイザーっていうヒーローは?」
腰に手を置いて仁王立ちした真ちゃんが私たちの前に立って話し始める。ぷるぷるの唇の口角がにんまりと上がってすごく嬉しそうだ。
「あの、ね、三人でお付き合いすることになったの」
「これはイレイザーヘッド…相澤くんからの提案でね、俺の気持ちに気づいた彼が先を予測して最悪の結果を回避した結果なんだ」
「ふうん、何となく予想はつくわ。やるわね、イレイザーヘッド。姉さんが幸せで、そして姉さんが私の姉さんになるならいいのよ! 兄さんも長年の想いが伝わってよかったわね。二人ともおめでとう!」
真ちゃんは意外とすんなり受け入れてくれた。ありがとう、と返すと彼女はニコリと微笑んで「じゃ私着替え取りに帰っただけだから」とまた出かけて行った。小さい頃からべったりだった真ちゃんは私の気持ちにも、直くんの気持ちにも早々に気づいていて、二人が結婚すれば私が本当の姉になることを長年楽しみにしていたという。結婚はちょっと気が早いような気もするけれど嬉しそうな彼女の顔を見るのは嬉しく、真ちゃんへ報告ができてよかった、と私は胸を撫で下ろした。
部屋に静けさが戻る。
ホッとしたのも束の間、もじもじと絡ませていた指に直くんの太い指が絡んできた。太くて男らしいけれど爪が綺麗に切り揃えられていて清潔感のある指、優しく撫でてくれるあたたかい手。その熱に触れて、ぶわっと先ほど見た彼の顔を思い出す。直くんも、とろけるように甘くて獲物を落とすような男の人の目をするのかと、すごくドキドキした。いつもの柔らかい眼差しに蜂蜜のようなメープルシロップのようなこっくりと甘いなにかを混ぜたような。甘くて熱くてとけてしまいそうだった。
あれ、今更だけど私二人とお付き合いして身体保つのかな。恋愛初心者がこの先大丈夫なのだろうか。色々勉強しておくべき? 男心とか恋愛での空気の読み方とか? いやいやお相手は警察とヒーローだよ、取って付けたような知識はすぐバレちゃうよね。経験豊富そうだもんね、二人とも。ぬるりと絡んでやわやわと揉むような触り方に思考があっちへこっちへと飛んでしまう。
「ま、真ちゃんに言えてよかったね、なかなかタイミングなかったから」
「ああ、そうだね。これで堂々とできる」
さっきお預けだったからね、と一言言って、唇が触れた。やんわりとゆっくり感触を確かめるような少し長いキスだった。
「愛してるよ。今夜は一緒にいてもいいかな」
唇が離れると、またあの甘い瞳が私を見ていて、あまりの重さに声が出なくて、こくりと頷いた。
それから私たちは夕飯を食べて、それぞれお風呂に入ってまたリビングのソファに座っている。何度も見た彼のパジャマ姿にどきりとして、お風呂上がりのセットされていない髪型にキュンとして。それは直くんも一緒だったようで、「可愛いよ」と言って私の髪をひと束掬い、口づけた。眠るにはまだ時間が早くて、映画を観ることにした。少しでも離れたくないという彼はソファのコーナーに深く寄りかかって、「おいで」と私を呼んだ。直くんの脚の間に膝を抱えるように座れば、ぎゅっと抱きしめられ、彼の大きな身体にすっぽりと包まれた。
落ち着くのに、肩や膝を撫でるように触る手のひらに胸がそわそわしてドキドキして、落ち着かない。
そんな私をよそに直くんは映画を観ながら手を握ったり髪の毛を嗅いだりしている。消太さんより手加減がない、気がする。こんなに密着してたら心臓うるさいの聞こえちゃう。首も耳も熱いのだって気づかれてしまいそう。映画の内容も全然入ってこない。それでも直くんの体温は心地いいから身を任せてしまう。
映画も終盤というところでブルッとソファの座面が震えた。直くんの携帯だった。
「ん? 相澤くんか。ちょっと失礼するよ。仕事ではなさそうだ…が、」
メッセージを開いた直くんが一瞬止まって、「彼はどこまでも合理的だな」と呟いて、ふうと息をはいた。私がどうしたの? と聞くと、いや、と言葉を濁して、「時が来たら教えるよ」と頭を撫でた。エンドロールまで観終えて、どうだったかなんて聞かれたらどうしようかとなるべく覚えているシーンを思い返していると、直くんが私の肩に顎を乗せてぽつりとこぼした。
「映画、全く内容入ってこなかったな」
「わ、私も」
直くんが「ははは」と笑って、私も「へへへ」と照れ隠しに笑った。春用の薄いパジャマ越しに感じる熱をお互い敏感に感じ取って、密着していた2時間。ドキドキしていたのは私だけじゃなかったんだ、と嬉しくなった。ずっと心臓がうるさかったせいか、つま先が冷たい。
「冷えた?」
「ううん、直くんとくっついてるから大丈夫、あったかいよ。つま先がちょっと冷えただけ」
私がそう言うと、直くんは足の指に触れた。ぴくりと身体が跳ねて、短い声がもれる。耳もだけれど、足の裏も指も人に触られるのなんてそうそうない。こんなとこが敏感だなんて私も知らなかったよ。そう言えば、これは反則だって今日消太さんも言ってた。直くんは? 変わらず足の指あたためてくれてるけど、直くんはどんな顔をしてるの? 自分の抱え込んだ膝に顎を乗せると、さらりと髪をよけられてうなじにキスをされた。彼の唇も私の熱くなった首と同じように熱かった。
「なおくん」
「なんだい?」
「好きだよ」
「俺も好きだよ。いまだこの腕の中にきみがいるのが信じられないくらいだ」
そう言って直くんは私をぎゅっと抱きしめた。私もぎゅっとしたかったから、前を向きたいと言うと抱えられて膝の上に座らされた。これはこれで恥ずかしい。目が合って、やっぱり恥ずかしくて彼の胸に顔を埋めると「そんな可愛いことされると抑えが効かなくなるよ」と彼は言って髪を撫でた。鼓膜を優しくふるわす深い藍色のようなしっとりとした声に、胸がツンとしてだめだと思いつつも彼の背中に腕をまわす。耳をつけた彼の胸から「相澤くんは手加減してくれた?」と響いて聞こえた。腕の中でこくりと頷くと、「俺はどうも無理なようだ」と聞こえて、背骨に沿ってつうと指が這う。
「きみには俺から教えてあげてほしいって相澤くんからも連絡あったからね」
恋した彼と、愛する彼との本当の意味でのお付き合いはこれから始まるのだと、どくんと一際大きく胸が高鳴る。
胸からそっと離れ、顔を上げれば、とろけるように甘くて熱い瞳と視線が交わり、私のとけた眼から熱い雫がぽとりと溢れた。
私は、涙のそのわけを後ほど知ることになる。
おわり