いちごソーダとホットミルク
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─ 6 ─
──次の休み、デートしましょう。
消太さんは合理主義者らしく、遠回しな言い方はしない。たくさん好きだって言ってくれる。スキンシップが多い。
二人からの告白からしばらく経って、消太さんと三度目のデートの日。今も私が傘の持ち手を掴んでいる上から手を握られている。待ち合わせ場所にいた彼は、まあまあ不快に感じるくらいには雨が降っているというのに傘を持っていなくて、「どうして」と聞くと、「邪魔だから」と一言言って、この状況である。握り直して動かした人差し指に、彼の指も追いかけてくる。偶然かもと思って反対に指を傾けると、やっぱり追いかけてくる。可愛い。
消太さんの背に合わせて持ち上げているのに、私の腕の重ささえも彼が支えているから私は全く疲れていなくて。歩くたびにぴちゃと跳ねる歩道のタイルの水音もゆっくりで、狭い傘に短い歩幅は彼の負担になっていないかと、傘を揺らさないようにそっと上を向いて彼に問いかけた。
「消太さん、腕とか疲れてないですか?」
「いや、全然。でもそろそろちゃんと手繋ぎたいですね」
そう言って、私の手の甲をやわやわと撫でた。私の心配事を一蹴し、簡単にどきりとさせてくるこの手慣れた様子は経験の差なのだろうか。一つ上とは思えない落ち着きに、私はドキドキして落ち着かない。ちらりと盗み見た横顔はやっぱりかっこよくて、正直今まで髭の良さとかわからなかったけれど、見上げた消太さんのフェイスラインに沿って生えている髭は色っぽくて、ポポッと頬が熱くなる。
目的地のアーケードへ着くと、消太さんは入り口横で傘を畳んで、はい、と手を差し出してきた。柔く丸まった手のひらに、そっと手を重ねる。手の甲に感じていた温もりを今度は手のひらで感じて、顔がにやけた。
ついこの間、消太さんに改めて私のどこを好きになったのかとめんどくさい質問をしてしまった。真ちゃんのように美人なわけでもなく、スタイルだって自慢できるところなんかなくて、中身だってそんなに知らないはずなのに、一目惚れだなんて言うから確かめておきたかった。消太さんはめんどくさがらず向き合って、私に「大事なものを大切にすることができるのに、自分から手放してしまうあなたの横顔が気になって頭から離れなかった」と言った。見ているだけ待っているだけはつらいでしょう、と私の心を見透かすように見つめ、「そんなあなただから好きになったんですよ。納得しました?」と微笑んだ。まだ数えるくらいしか会っていないのに、なぜこの人は私のことをこんなにも理解しているのだろうかと、鼻の奥がツンとした。
「どうしました? 可愛い顔して」
私の顔を覗き込んだ消太さんの前髪がさらりと動いて、それを耳にかける仕草にもドキドキしてそろそろ心臓が保たない気がしてきた。デート、始まったばかりだけれど。
「い、いえ、手繋げて嬉しいなとか、デート楽しいなとか考えてました」
「そうですか。俺もです。そうだ、歳もあまり変わらないし、そろそろ敬語やめませんか」
「はい、あっ、うん」
彼は、ふは、と眉を下げ柔らかく笑うと、握るように繋いでいた手を恋人繋ぎに変えた。消太さんはこの街のヒーローらしく、ここのお店が人気だとか、あのお店のあれが美味しいだとか色々知っていて丁寧に教えてくれながら、色んなものを半分こして食べ歩いたり、お店を覗いてみたり、デートを二人で楽しんだ。
帰る頃には雨も上がっていて、繋いだ手はそのままに来た道を歩く。雨上がりの空気は水分を多く含んでいた。そのひやりとした空気に周りの音も吸い込まれたように静かで、なんだか離れがたくなってしまった。
「楽しくてあっという間だったね」
「そうだな。門限はなかったよな?」
「うん。みんな忙しくて、特に決まってないよ」
「そう。じゃもう少し付き合って。俺の家すぐ近くだから」
離れたくないのは消太さんも一緒なんだと嬉しくて、胸がきゅうとなった。と同時に家へ誘われたことに心臓がばくばくうるさく鳴りだして、どんな顔をしたらいいのかわからず、下を向いてしまった。
「んな取って食ったりしないから」
「……はい」
敬語戻ってるし、と消太さんは笑った。
私ばっかりがドキドキしている気がする。
しばらく歩いて、ここ、と立ち止まったアパートの2階。ポケットから鍵を出して開け、どうぞ、と招き入れてくれた。お邪魔しますと言って上がると、モノというか家具もなくて、最低限の家電に、寝袋とキャリーケース、いくつかのトレーニンググッズが部屋の隅に置かれているだけだった。打ちっぱなしの壁がまた生活感のなさに拍車をかけていた。
消太さんは恥ずかしがるわけでも慌てるわけでも自慢するわけでもなく、いつもやっているのであろう帰宅時の動作を淡々とやっていた。
「生活、できて、る?」
「できてる」
「ほんと?」
「本当。最低限あれば良い」
初めて知った彼の一面に驚きつつも、この部屋に入った事で最低限の中に私も含まれるのかと思うと、喜んでいいのかわからないけれどそわそわした。
「こっちおいで」
黄色い寝袋を半分に畳んだ上に座るよう促して、消太さんも隣に座った。
「塚内さんには過度に触れるなとか言ったけど、近くにいると無理だな」
「な、直くんもそう言ってた」
「だよな、俺も無理」
そう言って消太さんは、私をぎゅうっと抱きしめた。直くんとは違う力強さ。ホッとするというより、ドキドキして胸の上の辺りがきゅうとして切なくなる。酸っぱいいちごを噛み締めた時みたいな。切なくて涙が出そうだけれど触れたくなる。私はゆっくり、腕を彼へ伸ばした。
抱きしめ返すと少し上から降ってくる声にまた胸が、耳がきゅうとなる。
「好きだよ」
「私も、消太さんが好き」
そっと身体が離れて、鼻先が触れそうな距離に私はどこを見ていたらいいのかわからず、目が泳いで止まった先、消太さんの薄い唇が柔らかく弧を描くのを間近で見てしまった。彼の唇は少しかさついていて、私のはどうかなと下唇を噛んだ時、ちゅっと軽くそれが触れた。それがキスだとわかるのに2秒ほどかかって、理解した瞬間、顔がボフンと熱くなった。かさつきとかわからないくらいに柔らかくて、ふにとしていた、と思う。思わず指がその感触を確かめてしまった。
「ふは、反応おそ」
「えと、初めてで。お恥ずかしい限りです」
「マジ?」
「まじ」
なんか塚内さんに申し訳ねえな、と彼は言いつつ、今度は喰むように合わせた。唇、震えてしまっていたかもしれない。髭がちくりとしたけれどそれさえも心地良かった。唇が離れて、触れた余韻の隙間が甘い。
やっぱり私だけがドキドキしてるみたいで、恥ずかしくて視線をそらすと、彼は、「可愛いね」と言った。
「もしかして塚内さん好きすぎて恋人作れなかったとか?」
「に、近いかも。どうしても直くんと比べてしまって。あ、消太さんは比べたりとかしてないよ、花びら取ってもらった時にはもう好きだったから」
「それはどうも。ぼんやりしてんなと思ってたが、そこまで守られてたとはね」
今日はこれくらいにしとくか、と消太さんは言ってもう一度キスをした。その時、彼の大きな手が私の頬を掠めて、ふわりと包み込んだ後、指先がシャボン玉の膜に触れるようそっと耳の輪郭をなぞった。触られた事のないところをあまりも優しく触れるからぞくりとして声がもれてしまった。彼はしっとりとした瞳で見つめて、「それは反則」と夏の夜空のような濃紺の低い声で言った。
初めてのキスで戸惑ったけれど、付き合う男女が親密になればこの先どうなってなにをするかくらいは知ってる。そこまで無知ではない。きっと今、私たちの間にはそういう空気が流れている、と思う。けれど、消太さんは「送るよ」と私の手を引いて立ち上がった。勢いでよろけた私を、彼の分厚い胸がキャッチして、そのままぎゅっと抱き寄せた。腕の中で見上げると、下を向いて垂れた彼の長い髪がカーテンみたいになっていて、これは私だけが見れる世界なのだと、その甘い瞳をじっと見つめた。
「んな顔すんな。期待すんだろ」
彼は、ニと片方の口角を上げて笑い、くしゃりと私の頭を撫でた。心の内を見透かされているようで顔から火が出そうだった。私は一体どんな顔をしていたのだろうか。はしたないって思われてないかな。恥ずかしい。はあ、もう心臓が痛いくらいに苦しい。
消太さんはマンション下まで送ってくれて、私がオートロックのドアの向こう側へ行くまで見守ってくれた。名残惜しくて、振り返っては何度も手を振る私に、彼は「はやくかえれ」と大きな口でゆっくり口パクで言って手を振った。
今日はとても気分がいいからエレベーターが刻む数字も心なしか速い気がする。いつもとは大違いだ。デート楽しかったねと後でメッセージを送ろう。
前まではイマイチ共感できなかった可愛い恋の歌なんかを口ずさみながらるんるん気分で玄関のドアを開けた。
共感できなかったのに自然と浮かんでしまうのは、きっと憧れていたからなのだと後でその歌の歌詞を見て思った。