いちごソーダとホットミルク
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─ 5 ─
次の日、私は休日だった土曜日、直くんは仕事へ行って、真ちゃんは大学の後輩に用事があるみたいで私をぎゅうっと抱きしめてから出かけて行った。
直くんは本当にいつも通りだった。距離が縮まったり離れたりすることなく、普段の、小さい頃から知っている優しい直くんだった。私がイレイザーヘッドさんに出会っていなければ、好きになっていなければ、私の初恋は直くんだよ、と抱きしめ返していたかもしれない。けれど私はイレイザーヘッドさんに出会ったし、好きになってしまった。それに、こんなことがなければ直くんは私に気持ちを伝えようなんてしなかったと思う。悲しくて嬉しくて苦しい。
複雑な気持ちは続いていたけれど、先延ばしにしては失礼だと携帯を握った。本当だったら昨夜送ろうと思っていたメッセージを彼へ送ると、すぐに既読が付いて、通話の着信音が鳴った。お昼過ぎのことだった。
「もしもし」
『昨日、連絡来るかと思ってたんですが』
「えと、すみません。ちょっと色々ありまして」
『塚内さんに告白でもされましたか』
「えっ、なんで」
イレイザーヘッドさんは、小さな声で「やっぱりな、それも想定内だったけど」と呟いた。
『あなたたちわかりやすいんですよね、塚内さんも大事なら早く言ってしまえばよかったのに。あんなの妹を見る目じゃねえっての。あなたもお兄ちゃんなんて言って、心の内ではそう思ってないでしょう』
「イレイザーヘッドさんは、」
『消太』
「あ、えっと、しょうた、さんは、気づいてたんですか? あの、私の事好き、というのは、ほんと?」
『人に気を遣って告白なんてそんなバカな真似なんかしないですよ。あなたの事は好きです。ただ、俺が言った事で塚内さんが黙っていないだろうなと思っただけです。あの人嘘つけないでしょ』
消太さんは、「また連絡します。塚内さんにも話して、おそらくそちらに伺うと思います」と言って、もう一度、「好きだよ」と囁いた後通話を切った。
私の頭の中は混乱を極めた。私は相澤さんが好きで、相澤さんも私が好き。直くんも私が好きで、私は直くんが好きだ。言ってしまえばそう難しくもないのだけれど、感情が追いつかない。事実が何メートルも先を走っていて、その後ろを感情が走っている感じ。手を取って一緒に走りたいのに、ずっと手を伸ばしながら不恰好にただ走り続けて、はあはあ息ぎれしている。
「わかんない」
ぼふんとベッドに仰向けに倒れた。ベッドサイドに置いている、誕生日に直くんが買ってくれた間接照明が目に入る。何度も「高いよ、いいの?」と聞いても、お祝いだからと綺麗なラッピングまで頼んで贈ってくれたもの。
ベル型のライトの下にアロマキャンドルを置くと、ライトの熱でアロマがほのかに香る、キャンドルウォーマーランプ。調光もできてタイマーも付いている。普段は夜寝る前に点けて、香りと暖かいオレンジの灯りに癒されながら眠っているのだけれど。手を伸ばして、カチリとスイッチを押す。しばらくして甘いバニラの匂いが鼻をくすぐって、夜だと勘違いした脳がとろんとろんと眠りを誘った。夢現の中、このライトの包み込むような優しさは直くんみたいだ、とぼんやり考えた。
「すまない、起こしてしまったね」
いつの間にか閉じてしまっていた瞼を開けると、直くんがいて、布団をかけようとしてくれていた。明るかった窓の外は真っ暗だった。
「おかえり」
「ただいま。携帯に返事もなくて、声かけても反応なかったから入らせてもらったよ。眠っていただけで安心した。だが布団もかけずに眠ったら風邪を引いてしまうよ」
「ん、ごめんね。うたた寝してた」
「イレイザー、いや、相澤くんが話があるから家に来てもいいかってさ」
「そう言えばそんな事言ってたかも」
「困らせてすまない」
「困ってなんか、私も直くん好きだから嬉しかったよ、でも」
直くんは、それ以上言わないでくれ、と言わんばかりに私の額に柔く唇を当てた。「夕飯用意するよ、と言ってもきみが作ってくれたのを温めるだけだがね」と言って部屋から出ていった。
真ちゃんはそのまま後輩の家に泊まるらしく、直くんと静かに夕飯を食べた。
私の方に連絡はなく、直くんの携帯が鳴って、席を外し向かった廊下から「うん」とか「ああ」の短い返事が何度か聞こえた後、すぐにインターホンが鳴った。話って何を話すんだろう。私にこの家を出てくれとか? 直くんに諦めてくれとか? 私の気持ちをはっきりさせるとか? 思いつくのはどれも消太さんが言いそうにない事ばかりで、この先の展開を全く予想できなかった。
「お邪魔します。これ、お土産です」
コスチュームを着ていない消太さんは、私服も真っ黒で、違うところと言えば首に巻いた布がないというだけだった。
お土産と言って渡してくれたのは、いちご。あの日私が無くしてしまった、ひとパック400円を切った小ぶりの酸っぱそうないちごではなく、大きくてツヤツヤで見るからに甘そうないちごだった。あの日の帰り、遅くまで開いているスーパーへ寄ったけれどいちごは売り切れで、食べれず終いだった。
「あの日、いちごも買っていたでしょう? 好きなんですか?」
そう言った消太さんの顔はとても優しかった。別れ話や人の想いを諦めさせようだなんて全く言いそうにない穏やかな顔だった。
「はい、少し安くなっていたのが嬉しくて。いちご大好きなので嬉しいです。ありがとうございます。洗ってお出ししますね」
私は袋を抱えてキッチンへ行き、直くんは消太さんをリビングへ呼んでソファへ座るよう促していた。
ポットにティーバッグを数個落とし入れ、お湯を注ぐ。いちごは洗ってヘタを取り、ガラスの器に分けた。シルバーのフルーツフォークと白すぎて青みがかって見えるティーカップもトレイに置いてリビングのローテーブルへ運ぶ。ポットから紅茶を注ぎ、いちごと紅茶を消太さんと直くんの前置いた。自分の分も置き終えた頃、消太さんが口を開く。
「三人で交際するのはどうですか」
予想外の発言に、直くんも私も「え?」と声を揃えてしまった。
「相澤くん、三人で交際とは?」
「言葉通りの意味ですよ。俺も塚内さんも同じ人を好きなのだから成り立つでしょう。塚内さんは俺の人となりも知ってるでしょうし、俺もあなたの真面目で仕事熱心なところ嫌いじゃないです」
「だが、だからって」
「大事に想っていた人を掻っ攫われて、切り替えられるんですか?俺は無理ですね。彼女がやっぱり長年一緒にいた塚内さんの方に情があるから、と別れを告げられても諦められません。それならいっその事三人仲良く平和に、が一番合理的じゃないですか」
「彼女の気持ちはどうなる」
「それは心配いらないのでは」
話を進めていく消太さんに、戸惑いつつも返事をする直くん。それを聞くだけの私に注目が浴びる。
私の気持ち。私の気持ちは、消太さんが好きで告白されて付き合おうって言ってもらえてすごく嬉しい。切なくて苦しくて、いろんなものが綺麗に見えて、知らなかった新しい感情を教えてくれる。
直くんももちろん好き。初恋の相手だし直くん以上の人が見つからなくて彼氏も好きな人すらできなかったくらいに。一緒に暮らせて嬉しかった。歳も離れているし、何度か告白したけれどその度に上手くかわされて、妹だと思われていると思っていたから側にいられるならそれでもいいかと言い聞かせていた。直くんの側はあたたかくて落ち着く。
答えは全部私の中にあった。消太さんの言葉に、感情がやっと追いついた。
「私、二人が好き。二人と一緒にいたい」
「ほら。俺はこうなると思っていましたよ。塚内さんの事だから彼女を困らせてしまうからって身を引いて、それを気にした彼女も暗い顔をしてやっぱり、というのが安易に想像できましたからね。あなたたちどこか似てるんですよね。振られるのは嫌なので先手取らせていただきました」
「いいのかい」
くしゃっと顔を歪ませた直くんは、涙をためて私を見つめた。直くんの泣き顔を見たのは初めてだった。私が、うんと頷くと、座ったままぎゅうっと抱きしめ、今度は私も腕を伸ばして、直くんの広い背中をぎゅうっと抱きしめ返した。
「あの、俺もいるんですが」
「わ、すまない。つい」
「つい、で今後俺のいないところでくっつかれても困るんですよね、俺の彼女でもあるので」
長い前髪の間からクマの濃いジトっとした目で直くんを睨んで、消太さんは言った。
そして、ぱくぱくと次々にいちごを口へ放り込んで、紅茶も一気に飲み干し、「今日は帰ります。紅茶、ご馳走さまでした」と席を立った。つられて立って追いかけた私に、またね、と頬にキスをして、見送りはいいです、と言った。代わりに直くんへ手招きして廊下で直くんと何か話しているようだった。
戻ってきた直くんが、照れながら「驚いたね」と言って頭を掻いた。
「消太さんと何話してたの?」
「あ、いやなんでも。いや、うん」
嘘をつけない直くんが頬を染めながら言葉を濁している。あれかな、さっき自分がいないところでくっつかないでみたいなこと言ってたやつかな。
「驚いたけど、私は嬉しい。変かな」
「いや、こんな道もあったとはね。彼は結果的に自分のためだと言ってたが、相澤くんの心の広さに救われたよ」
控えてくれと言われたけど、とゆっくり近づいた直くんは、私の腰に手を回しそのまま抱き寄せた。
「幼い頃の約束覚えているかい」
忘れもしない、私が6歳の誕生日。両親が揃って仕事で帰れなくなって泊らせてもらった塚内家。急遽お祝いをしてくれて、それはすごく楽しかったし嬉しかったのだけど、やっぱり両親に祝ってほしかったなあと夜寝る前に泣いていた時だった。両親はヒーローのサポート会社に勤めていて、かっこいいヒーローたちを縁の下で支える両親も私にとってはヒーローで、自慢の二人だったからわがままなんて言えなかった。それを知っていた直くんは、私の両親を悪者にするわけでもなく、諭すわけでもなく、ただただ私の気持ちに寄り添って泣き止むまで一緒にいてくれた。あたたかくてホッとしてだいすきだと思った。
──だから。
「なおくん、大人になったら私とけっこんしてくれる?」
そう言ったのだ。幼い頃の口約束だったし(私は中学生まで本気だったけれど)、7つも下だと相手にされない事は幼いなりにわかっていた。けれど直くんは優しく、「約束」と言って頭を撫でてくれた。今と同じように。
「幼いきみはそう言って、俺が先に大人になった時、もう一度言ってくれたね」
「うん」
「きみの未来もまだまだこれからで、俺が縛っていいものかと悩んで返事ができなかった。もしきみが大人になってもまだ俺の事を想っていてくれていたらと思ったが今更と目を瞑るくらいに今の生活が心地よくてね。離れられるのが怖かった。結果きみが他の人と付き合うことになって絶望する羽目になったんだがね」
直くんは、はは、と自嘲気味に笑った。直くんは全部覚えていてくれて、私の事を想っていてくれた。二人とも気づくのが遅かったんだ。消太さんはたった数回会っただけでそれを見抜いていた。追わずに見てるだけ、焦ったいってそういう事だったのかな。
「直くんは私が消太さんを好きでもいいの?」
「いいよ。俺の事も愛しているだろう?」
そう言って、強く抱きしめた。
しゅわしゅわ甘酸っぱいいちごソーダが恋ならば、蜂蜜がとろりと溶け込むホットミルクは愛なのだと、あたたかい腕の中で思った。