いちごソーダとホットミルク
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─ 2 ─
まだ慣れない大きなマンション、エントランスの眩しいライトにクラクラしながら、オートロックを開ける。これまた慣れない階層のボタンを押して、刻まれていく数字が疲労感で遅く感じてこれが社会人かと一日でガチガチに凝り固まった肩を回した。
「ただいま〜」
「おかえり。どうだい社会人二日目は」
非番で家に居た幼馴染のお兄ちゃん、直くんがソファから身体を捻って話しかけてくれた。
「うーん、とりあえず今は覚える事たくさんって感じかなあ。真ちゃんほんと尊敬する。私も勉強だけじゃなくてちゃんと社会と関わるべきだったかも」
「ははは、だよなあ。まあ、真は性分みたいなものだからな。きみのその蓄積された知識が未来のヒーローに、平和な世の中に役立つんだから大事な事さ。それにきみにまで色んな事に首突っ込まれたら身体が保たないよ」
からっと爽やかに笑うとまた前を向いて持っていた新聞に目を移した。
新社会人に似つかわしくない高層マンションの家主は、塚内直正さん。
幼馴染の真ちゃんのお兄さんで小さい頃から一緒に遊んだり、私の親が仕事で遅くなる日に預けられたりして本当の兄妹のように過ごした。大学卒業確定と内定に伴い新居を探していた私は、真ちゃんからの誘いで3月の中頃から三人で住んでいる。誘ってくれた大学生の真ちゃんは相変わらずの行動力で多忙過ぎて家を空けることが多く、警部で忙しい直くんも今日のように非番の日以外はあまり家に居なくて、この広い家で実質一人暮らしをしているようなものだった。
部屋で着替えて、仕事中初めて聞く別分野の専門用語を勉強するために買った分厚い本を持ってリビングへ戻る。
ソファにはまだ直くんがいて、真剣な顔で新聞記事を見ていた。
「一緒にいい?」
「ああ、いいよ。一人は寂しかっただろ。泣いてなかったかい?」
「小さい時の話でしょ、もう。さすがに泣かないよ、寂しかったけど」
「素直でよろしい」
お腹は? と聞いた直くんに、空いた! と答えると、ネギとカニカマと卵が入ったチャーハンを作ってくれた。いただきますと言って、口へ運ぶ。このチャーハンは私が小さい頃から直くんが実家を出るまで、お腹が空いた時に私と真ちゃんに作ってくれたものだ。何度も食べた懐かしい味にホッとして、広い家に誰かがいるのにホッとして固まっていた身体がゆるんでいく。
「久しぶりの直くんのチャーハン、やっぱり美味しい」
「ま、これくらいしかまともに作れないんだけどね」
「私の中でお袋の味と言ったら、直くんのチャーハンか、お母さんのキーマカレーだから」
「俺もお袋枠か」
ははは、と笑った直くんは私が食べ終わるまで待っていてくれた。当たり前だけど直くんは本当のお母さんでもないし、お兄ちゃんでもない。ただお隣に住んでいただけの幼馴染のお兄さん。歳が離れているからそれなりにお世話にはなっていたし、初恋も直くんだったりするけれど、それに気づいた頃には直くんは一人暮らしを初めていたし、成長すれば会う機会もそうそう無く、大人になってこんなにちゃんと話したのもここに越してきてからになる。それでも気まずくなったりしないのは変わらず優しい直くんのおかげなのかもしれない。
「ごちそうさまでした」
「いえいえ、お粗末さまでした」
「ねえ直くん、誕生日プレゼント何が欲しいか決まった? 誕生日明後日だよ?」
「いや、まだ、だね。すまん。きみからならなんでも嬉しいんだが」
「それじゃ私が困るよ〜、だって私の誕生日には欲しいものなんでも買ってあげるって、一目惚れした間接照明買ってくれたじゃん」
「じゃあ次の休みが合った時、一緒に出かけよう、な?」
「約束ね」
「ああ、約束」
私の食べた食器を持って立ち上がる直くんに慌てて「片付けは自分で」と言うと、勉強するんだろと微笑んでくれた。何年経ってもその顔は小さい頃から知っている直くんで、つい甘えてしまう。そんな私に直くんは決まって「素直でよろしい」と頭を撫でる。寂しかったり悲しかったり怖かったりするとすぐに泣いてしまっていた私に安心をくれていた魔法の手だ。もう大人なのに、その手で撫でられるとやっぱり安心した。
「その栞、手作り?」
ソファへ戻り、本のページを開いて片手に持っていた栞を、直くんが指さして言った。
「そうなの、押し花作りなんて子どもの時以来だったよ。今はアイロンとか電子レンジで簡単に早くできる作り方あってね」
ラミネート加工で仕上げた透明の栞には、あの時ヒーローにもらった桜の花びらが二枚挟まっている。あの後風がないところでティッシュに丁寧に包んで手帳に挟んで持って帰ったのだ。上が彼が取ってくれた「上手くいくといいですね」花びらで、下が私の髪に着いていた「幸せが訪れるそうですよ」花びら。
「その日のうちに栞にしちゃった。綺麗でしょ」
「ああ、綺麗だね。その日のうちに作るほど思い入れのある花びらなのかな」
「うぇ? う、うんっ」
あれからあのヒーローには会えなくて。湧き上がるキュンと甘酸っぱいいちごソーダをなんとか飲み込んで返事をする。
ヒーローと一緒にお仕事をする事も多い直くんなら、あの真っ黒いヒーローの事も知っているかもしれない。今日を逃すとまたいつ話せるかわからないし、聞いてみようかな。
「ね、直くん。この辺りに髪が長くて髭が生えてて、真っ黒いコスチュームのヒーローいる?」
直くんは一瞬驚いたような顔をしたけれどすぐに戻って、花びらと関係あるのかい?と静かに聞いた。ヒーローって言ったから事件かなにかに巻き込まれたとでも思ったのかな。直くんは真ちゃんのこともすごく気にかけてるから(実の妹だから当たり前なのだけど)、あまり心配かけないようにしてるのに迂闊だったかも。
「ある、けど、危険なことも事件も何も起きてないよ、ただ手伝ってもらっただけ。大丈夫」
「そうか。まあそういう意味ではないんだけどね」
そういう意味? 真剣な顔をするからお仕事のことかと思ってしまった。最近事件が増えていて、直くんは怪我をして帰ってくることも多い。この間やっと最後の絆創膏が取れたばかりで、そんな日々危険と隣り合わせの直くんの負担にはなりたくない。覗き込む私に直くんは、ふと鼻で優しく笑ってくしゃりと私の頭を撫でた。
「その風貌だとおそらく、イレイザーヘッドかな。鳴羽田を拠点にしているヒーローだよ」
花びらを取ってくれたヒーローは、イレイザーヘッドという名前で、この街のヒーローだった。