Stay With Me This Time
叶わなくてもいいなんて嘘だ、願わくばそばで笑ってほしいと思っている。
それなのに、その先へ行くにはまだ勇気が足りなかった。
だから、楽しかった今日は今日のまま、告白を先延ばしにした。
いつだって告白のタイミングを逃して、呑み込んでばかりだった。
もう手が届かない人なのだと知って、なぜ必死に手を伸ばさなかったのだろうと、どうしようもなく後悔した。
一度は気持ちの整理をして、落とし所を見つけたけれど、ダメだった。
〇〇さんとフリードさんの間に特別な感情があったとしても、ほんの僅かでも彼女の心に残れたら、そう思って、指に触れた。
あの時、あの瞬間、あの月とぼくを映す彼女の瞳だけは、ぼくだけのものだった。
このくらいの我儘は許される気がした。
抗えない感情の連鎖に、ジニアは指先に残る彼女の熱を、そっと握りしめた。
〇〇へ連絡したのは、いつも通りの日常に戻ってしばらく経った頃だった。
拠点としていたセルクルタウン外れのキャンプは畳み、今は飛行船でデータをまとめていると彼女は言った。あんな事があった後だったため、ジニアは少しだけホッとしたが、フリードと一緒に過ごしているのかと思うと複雑な気持ちになった。
これがヤキモチというやつですかあ、と顎に皺を寄せ、うーんと唸る。
ジニアは、ふと研究員時代を思い出していた。
同じチームに配属になった頃の
〇〇は、どこか緊張していて、ミスはないもののなかなか力を発揮できていない様子だった。まわりの目を特に気にしない彼にとっては、理解はできなかったものの、息のしづらそうな固まった背中は辛そうに見えた。
最初は話かけにくかったんですよねえ。
でもポケモンと一緒の時は、すっごくいい顔で笑ってて。
バニプッチと、マホミルでしたっけ。小さい子が好きなのかなって、声かけたんでした。
それから少しずつ話すようになったジニアと
〇〇は、ズボラですぐ散らかしてしまうジニアの世話を焼いたり、時々険しい表情になる
〇〇を休憩に誘ったりと、徐々に打ち解けていった。
次第に、仕事中の
〇〇にも笑顔が増え、以前のような堅苦しさはなくなり本来の力を発揮できるようになった。そして、人当たりのよくなった彼女には自然と人が集まっていった。
「その時はこんな気持ちにはなりませんでしたねえ」
それはなぜか、そう考えている時、スマホが鳴った。
スケジュールを確認して折り返す、と通話を切った
〇〇からだった。
『もしもし、ジニアくん? お待たせしてごめんね』
「いえ、大丈夫ですよお。
〇〇さんのこと考えてましたあ」
『え、ええっと。……ありがとう。で、ね、来週はどうかしら、私はどこでも大丈夫なんだけど。今、船が西側に停泊しててジニアくんのところまでは少し距離があって、』
「会いに行きますよ、ぼく」
『え、でも……』
「ウインディに乗せてもらったら、あっという間に着きますよお」
『ジニアくん、前に苦手だって、』
「慣れると楽しいんですよ、最近わかったんです」
さすがにリキキリンには乗れませんけどねえ、とジニアの冗談で
〇〇が笑い、「私も行けるところまで向かうわ」と返すと、ジニアの仕事が早く終わる日に会う約束をした。
「そっかあ。みなさんの好きは、ぼくの好きとは違ったから、だったんですね」
ジニアはスマホロトムを胸ポケットへ戻し、ひとつ息をついた。
「今度こそ、ちゃんと伝えなくちゃ」
約束の日、ジニアは珍しく職員室へ顔を出すと、他の先生たちへ臨時の予定や、職員会議がないことを何度も確認した。特に叱られると怖いクラベルとタイムには真っ先に聞きにいくという徹底ぶりだった。
安心したような、けれども真剣な面持ちの彼の様子に職員室では、つい最近、生徒たちの間で流行っているというウワサの“ジニア先生のたいせつなひと”に会うのではないかという話で持ちきりとなるなどした。
「ここまで来れば大丈夫ですね。ウインディ、お願いしますっ」
ボールから飛び出したウインディは、ひと鳴きするとからだを屈め、ジニアを背中に乗せた。手入れの行き届いた艶やかな毛並みに手を添えれば、ウインディは嬉しそうに草原を駆け出す。
どんどんスピードが増していくなかで、ジニアの胸にはいくつもの想いが次々と込み上げてきた。
何度も逃し、最後の最後は呑み込んでしまったこの気持ちを、今度はちゃんと伝えたい。けれども、彼女には彼女の人生があり、研究がある。その邪魔はしたくない、という想いも大きくある。これは、別れの時に抱いた気持ちと同じだ。
今は、叶うことならそれをそばで見ていたい。
少し泣いてしまうかもしれないけれど、叶わなくても、いい。今までも、これからも、彼女は自分にとって“たいせつなひと”ということに変わりはないのだから。
「……それでも、と思うのはワガママですかねえ」
チャンプルタウンへ続く道の途中。
こちらへ向かって、小さな人影が手を振っているのが見えた。
〇〇だった。
風に揺れる髪、肩で息をしているのが遠目にもわかる。随分と歩いてきたのだろう。
けれどその顔は、笑っていた。
ジニアはウインディの背をぽんと撫で、スピードを緩める。
そして、地面に降り立つと、彼女に向かって歩き出した。
互いの距離が、ひとつ、またひとつ、と縮まっていく。
ほんの数歩分の距離を残して、風がふたりの間を通り抜けた。
頬を撫でるように囁いた、あの時の優しい風に似ていた。
「ふふ、ジニアくんの髪の毛、いつもよりふんわりしてる。ウインディ、すごい速さだったんじゃない? 大丈夫だった?」
「
〇〇さんこそ、息上がってますよお。無理してませんか?」
「はやく会いたかったのよ。待ち合わせなんて決めたら、きっと待ちきれないと思ったの」
「ええ、えっとお、え、えへへへへへ」
照れ笑いするジニアに、「この間の電話のお返しよ」と
〇〇は言って、彼の頭へと手を伸ばし、指先で乱れた髪を撫でる。
彼女の手が触れたのは髪の毛なのに、全身を優しく包まれたような気がして、ジニアはそっと目を伏せた。
「……どこか座りましょうか」
「ええ」
すぐそばにあった低い岩に腰掛けて、風の音を聞く。近くには西パルデア海へと繋がる川も流れていて、会話が途切れても心地のよい沈黙だった。
ふと視線が交差した瞬間、ジニアが優しく笑った。
やわらかく、あたたかくて、少しだけ照れくさそうな笑顔。
まるで春の光に頬を照らされたように、胸の奥がじんわりとする。
「……やっぱり、ジニアくんの笑顔、好きだなあ」
思わず、言葉が溢れた。
意識したわけではなかった。ただ、湧き上がった想いが、言葉となって出ただけだった。
「え……今の、もう一度……いや、今度はぼくが……」
聞いてもらえますか、とジニアは目をやわく細め、
〇〇を見つめた。
ジニアの淡い瞳は、進化を促す石のようで、静かな力があった。
〇〇がゆっくりと頷くと、ジニアは少し微笑んで口を開く。
ぼく、ずっと
〇〇さんのことが好きだったんです。
研究に向き合う姿勢はもちろん、まわりをよく見ているところも、お人好しなところも、少し無茶をしてしまうところだって、いいなと思ってました。
〇〇さんと話すたび、ぼくにはないところをたくさん持っていたあなたに、どうしようもなく憧れた。
フリードさんと結婚すると聞いて、動揺しました。
……ぼくのはやとちりだっだんですけど。
ぼくだって、あなたをずっとそばで見ていたかった。
縁があればまた会えると言ってくれた
〇〇さんとの再会が、他の人との結婚の挨拶だなんて、なんでもっと素直にならなかったんだろうと、すごく後悔しました。
そんな中、自然と生徒さんへ向けた言葉に覚えがあったんです。すぐに
〇〇さんからもらった言葉だって気づいて。
ぼくの中に、
〇〇さんがいた。
憧れや尊敬が、ぼくを作っている。
最初はそれでいいと思ったんです。
けれど、やっぱり
〇〇さんの隣にいたい、笑った顔をそばで見ていたいと、改めて思いました。
〇〇さんの人生や研究の邪魔はしたくない、という考えもよぎりましたが、どうしても伝えたくて。
「
〇〇さんが好きです。ぼくと、付き合ってもらえませんか」
どのくらい、彼が言葉を紡ぐのを見ていただろう。
すうっと心に染み込んでいくような澄んだ声は、心地のよい夢を見せてくれているみたいだった。
私の向き合いきれなかったところ。憧れていたひとからの、本当の視線。気づかないふりをしていたことは許されるわけではないけれど、彼が見ていた私という人は、救われた気がした。
「……私も、素直に話すわね」
私、ジニアくんの才能や、研究に対してのひたむきさに憧れていたの。夢中になると周りが見えなくなるほど集中して、普通だったら嫌厭されがちなのに、そうならない人当たりの良さも。
もっと、頑張らなきゃって、劣等感の塊だった。
今思えば、ジニアくんの隣に立ちたかったんだなあって。同じチームになる前からすごい人がいるって聞いていたから。
でもね、ジニアくんの笑顔に癒されもしていたの。すごくほっとして、いつも好きだなあって思ってた。
近づきたくても、近づけないと勝手に遠ざけてしまっていたの。ごめんなさい。
フリードにね、言われたの『そのままでいい』って。ひとりになって、焦燥感と劣等感でますます酷くなっていた私に、もっと自由でいいんだって、翼を貸しくれた。少しからだを軽くしてくれて、私はまた歩けるようになったの。
飛行船の仲間から学ぶこともたくさんあって、彼の優しさや気持ちに触れて、今の私を知るためにとって必要な出会いだった。
昔の私も酷かったわ。
自分に自信がないからって、他人からの評価を受け入れられなかった。それでもジニアくんといるのは、とても息がしやすかった。
再会したジニアくんは、やっぱりすごい人で、以前よりずっと頼もしくなってた。
それなのに、変わらず優しくて、あたたかいままだった。
そんなジニアくんから“たいせつなひと”だって言ってもらえて、嬉しかったわ。
いまだ過去の自分と向き合えていなかった私に、きっかけをくれたの。向き合って改めて、ジニアくんが私のために隠せないほどの気持ちを呑み込んでくれていたことに気がつけた。
まだ気づけていないこともあるかもしれない。
それでも、ちゃんと伝えたいって、伝えなくちゃって。
「私、ジニアくんが好き。私とお付き合いしてくれませんか」
思いのままに話してしまった。伝わっただろうか。
〇〇が、ふうと小さく息を吐く。
「……
〇〇さん、抱きしめてもいいですか」
「……え、うん……」
優しくも力強い腕が
〇〇を包み込む。
柔らかい雰囲気の彼でも、広くてしっかりした胸板に触れると、やっぱり男の人なんだと思ってしまう。
頬が熱くなって、心臓が跳ねる。
彼の体温と匂いがすぐそばにあることに、胸がいっぱいになりそうだった。
鼻を啜る音が聞こえて、驚いて顔を上げようとすると、そっと後頭部にあたたかい手が触れた。
「ちょっと待ってくださいねえ。今、情けない顔してると思うんで」
とどめるよう添えられた手に、ほんの少しだけ甘えが滲んでいる気がして、胸がきゅっとなる。
「うん、いつまでも待つわ。私は、ジニアくんなら、どんな表情でも見たいけど」
そう言って
〇〇は、胸に置いていた手をふわりと背中にまわす。
ただ優しく、穏やかに、彼が自分へ向けてくれていた笑顔のように。
「ぼく、あなたのそういうところに弱いんですよお」
「好きよ、ジニアくん。私を見ていてくれてありがとう。あなたの恋人になりたい」
「ぼくも、
〇〇さんが好きです。これからも、ぼくのそばで笑っててください」
もう一度、抱きしめ合ったあと、どちらからともなく腕がほどけていく。
距離を保ったまま、視線だけが再び絡んだ。
確かめ合った想いが、静かに溶ける。
僅かに近づいていく、ふたりの顔。
触れそうな唇。
――その瞬間、ジニアのお腹が小さく鳴った。
ぴくりと肩を振るわせた彼に、
〇〇は、くすっと笑みを溢す。
「可愛い」
愛しさを含ませて呟けば、彼の顔はみるみる赤くなっていった。
「……すみませえん……」
「私もなんだかホッとしちゃって、お腹空いたわ」
「えへへ。ごはん、食べに行きましょうかあ」
恋人になって初めて交わす言葉は他愛なくて、けれども、じんわりと心を満たしていく。
軽く触れた指先は自然と絡んで、ジニアと
〇〇は並んで歩き出した。
「ジニアくん、辛いの好きよね」
「好きですー。止まらなくなるんですよねえ」
「にこにこしながらすっごく辛いの食べるからびっくりしちゃう」
「
〇〇さんは甘いの好きですよね」
「ええ、特に疲れた時は欲しくなるわね。マホイップのクリームをちょっと舐めさせてもらったり」
「あのマホミル、進化したんですかあ! おめでとうございますう! どんな姿でどんな味なんでしょう、気になりますー」
「うふふ、ありがと。あとで会わせるわね、きっと喜ぶわ! クリームもね、すっごく美味しいのよ! この間、ケーキ作ったりして――」
草花揺れる細い道には、ふたりの朗らかな笑い声が響いている。
祝福するような甘い風がそっと吹いて、恋が芽吹いていくには素晴らしすぎるくらいの午後だった。
write 2025/7/10